月食
首がまわらない。
どういう意味かしっかり考えたことなかった。シューティングゲームの視野くらい視野が狭くなった今の状況を表現するには、ドンピシャリな言葉だった。
丸と四角という、3歳の赤ん坊が初めて描くシンプルな図形をした有機物の問題は、やけに傾斜のある肩の角度をさらに大きくした。
不意に、道端にいる数人が、上を向いて携帯の画面を覗き込んでいる姿が目に入った。横に動くかなくなった大木をのっそりと上にむけると、賞味期限のきれたイクラ色をした月があった。
そうか、今日は月食だったな。
いつもなら、
すげえ、何百年に一回しか見れないんだって。いいもの見たなあ。
みたいな思いにふける価値のある風景だと思う。
が、新しい感情をとりいれられないほど、体の容量はひっ迫していた。
月食というのは、太陽が月を食っているわけではなく、地球の影が月に落ちて月が見えなくなることだと聞いたことがある。たしかかは知らんが。
きれいだ、と思うものを自分の姿で無きものにしてしまうなんて滑稽だ。そんな皮肉が明るかった心を蝕んでいくのがわかった。
気道がせまくなる感覚。ぼやっとした月が、酸素のうすくなった血液のせいで余計に霞んで見えた。
焦り。親には頼れない。
言うことを聞かず、とび出してきたのだから。
脳みそを動かさないやつほど、財布は薄くなっていくのだと身にしみた。
面倒なことを端から端まで考えている人が、結局最後は笑っているのだ。
今の自分はなんだ。
気づくとレンガでできた、プランターの上に座り込んで道に落ち込んだ影を見つめていた。
上をむくと、いつもの見慣れた月がそこにあった。赤黒かったモヤは、地球から無数のレンズをむけられ、恥ずかしさで逃げだしたようだ。
眼前のモヤはなにもはれていないが、穏やかな月光が重かった腰の重力を少しだけ軽くしていた。重かった首を少しだけ上げ、また歩きはじめたのだった。
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