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台湾総統選/2024.1月

報道される外側、切り取られた画面の外側が、どうなっているのか確認したくて総統選に合わせて台湾に行きました。

法廷傍聴を終えた夜19時過ぎ、外に出ると、手に手に水色(民衆党柯文哲候補者のチームカラー)の旗を持った人たちがどこかに向かって歩いていました。涼しい夜風の中、遠くから聞こえる胸を高鳴らせるような音と光を目指して歩いているようで、表情も足取りも穏やかに秋祭りに向かって歩いているようでした。比較的若い人が多いようで、子供連れ、赤ちゃん連れも見かけました。ところどころ、警察官がいましたが物々しい警備という雰囲気は全くなく、他の候補者とは会場もルートも衝突しないようになっているのか、他の候補者の旗を持った人には出会いませんでした。

テイクアウトしたスープを手に下げながら人の流れに乗って歩いて行くと、やがて満員電車のような混雑となり、街灯も乏しくなり、身の危険を感じることはなかったのですが思い直してホテルに帰りました。多くの人が会場にたどり着くことを思い直してか広場の縁石に腰かけるなどしてスマホを操作していました。

後で聞いたところ、投票日の前の数日間、各候補者がコンサートのような大規模集会(「造勢晩會」)を開くのが一般的とのことでした。人の流れはこの集会に向かってだったのでしょう。

投票の日は、小学校などの各部屋が投票所となり、各教室の入り口に投票の順番を待つ人々が列を作り身分証提示の上入室していました。
開票作業は投票所となった各教室で行われ、10名程度のスタッフがチームとなり、一人が投票用紙を掲げて票が投じられた人の名を読み上げ、別のスタッフが候補者名に正の字を書き、投票用紙を渡す人、重ねる人、全体を確認する人、録画する人などで手分けされていました。開票作業の終り頃だったためか、参観人数名、警察官1名でした。

投票日の前にたまたま通った道がそうだったのか、交差点で手を振る支援者の一団に遭遇したのは1か所だけで、選挙カーによる候補者名の連呼はなく、建物の壁一面に候補者の巨大ポスターが貼られていたりしましたが、投票日の前後を通して、街も人々も皆選挙を知らず穏やかに通常通り日常を過ごしているように見えました。けれど投票率は71・86%。流石にテレビでは特番が続いていました(25ほどのチャンネルの内、選挙特番は4つ)。

こんな一節があります。
「『暴政』という30分もあれば読めてしまう小さな本がある。ナチス・ドイツや戦前の日本など、20世紀の政治の暴走から学ぶ20の教訓を記した本だ。いくつか味わい深い教訓を抜粋してみよう。
4 シンボルに責任を持とう。
10 真実は存在すると信じよう。
11 自分で調べよう。
12 アイコンタクトと雑談を怠るな。
14 私生活はちゃんとしよう。
15 大義名分に寄付しよう。
ずいぶんと地味で身近である。こんなんで暴政と闘えるのかと心配になる。だが、ちょっと考えてみればこの生活感は当たり前である。「政治」と私たちが呼ぶ表舞台が海面に顔を出した氷山の一角であるとすれば、その下に隠れる巨大な氷山は無名で素人の個人たちの感情と生活だからだ。個人的なものこそ政治的である。」(「22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」成田悠輔、SBクリエイティブ株式会社、2022年) 
 
ただ、インターネットやSNSの中でどのようなやりとりがなされたか私には分かりません。
同じ著者による一節。
「選挙によるお祭り的な意思決定が誘導や空気に弱すぎ、その弱みがインターネットやSNSによって増幅されているという問題を思い出そう。」(同)
 
228事件、白色テロ、戒厳令(解除は1987年)といった比較的近年の台湾の歴史に接し、当時の体験を直接伺いもした、ふらりと立ち寄った者の目から見て、報道に切り取られた熱気の外側で、台湾の人々は、困難な事情と隣り合わせながら浮足立つことなく未来に票を投じたように思えました。

*写真は、公園の木陰の東屋。本を読みながらうたた寝をして気持ちよかったです。


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