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シー モア グラース。鏡をじっとのぞき込めば、きっと自分の身体が、自分の意志とは関係なく生きていることに気がつくはずだ。口を開いて鏡をのぞき込んで、鏡に映る口をのぞき込む。そうすれば、舌が脈動しているのが見て取れるはずだ。人の身体は生きている。意識せずともだ。 舌は無意識でも動いている。それを知ったとき、言葉の意義は少し変わってくるように思われる。舌が意識とは関係なく動いていること、予めリズムを持っていること。それはつまり、人間は無意識のリズムを常に刻んでいるということ
わけもなく悲しい。何も考えられない。 というお気持ちであるが、無論、本当に何も考えられないわけではなく、こうして文章なども書けている。では、なぜ『何も考えられない』などと感じるのかが問題となるが、それは、考えることすべてに何の意味もないように感じるからである(ように思う)。当然、いまここに書いている言葉にも何の意味もないと思っているし、何の意味もないことを確認することにも何の意味もないと思っている。では何故書くのかと問われれば、考えること自体に意味がないからこそ、何らか
Ⅰ)生物の根源的本能 死。それはあらゆる生物が根源的に忌避し、恐怖するもの。それは純粋な生存本能に起因しているはずだ。どんな生物もその本質として、種を受け継いでいくバトンリレーの走者としての役割が刻み込まれていることに疑いはないだろう。種としての全体性を存続させるために個々が命のバトンをつなぎ、そのなかでそれぞれの個体は生と死を延々と繰り返していく。 だからこそ生に不可欠な三大欲求は生物にとって避けられない強烈な欲求となる。それは純粋な生存本能に起因する欲求なのだから。
はじめまして、noteはじめてみました。 【お気の毒Tips : 下の方の太字だけ読めば大体の内容はわかります】 初投稿というとやはりこれからの指針なり、これより書いていかんとする内容についての言及をしていくのがフェアなのか知らんと考え、そう言うものを書いていこうと思います。しかしながらブログを始めたこと自体、流れというかノリというか……要は自己の強力な便乗欲求から為された行為であり、何を隠そう記事の具体案に対する検討等は未だ為されてはいないのである。以上の前提のもと書