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道辺日記(2024年5月17日)

7時前に起床。食べるものがなかったので、夫とコンビニへおにぎりを買いに行った。夫がバナナ、ケール、小松菜、黒胡麻、牛乳でグリーンスムージーを作ってくれた。私はこのスムージーが大好きだ。疲労が溜まっているのか、体の怠さが拭えず、駅まで行かずに玄関で夫を見送った。朝から落ち込んでいる。
私はもっといい文章を書きたいと思った。文章にとどまらず、私の言動も、もっと洗練されたものにしたいと思った。会話も、メッセージでのやり取りも、私は苦手意識が強い。頭の中がそもそもぐちゃぐちゃなので、筋道の通ってない発言を繰り返す節がある。うまくコミュニケーションが取れなかった場合、私は私の人格が相手に「誤解されている」と感じるのだが、そういう保身に走るような感覚もやめたい。「誤解された」と感じるのは酷い責任転嫁である。やはり伝える側がしっかりせねば。相手の感性や優しさに甘え過ぎているのではないか。日常生活の節々でそう自問する。
ギタリスト福田進一氏の『ショパニアーナ』というアルバムを聴く。ショパンの曲がクラシックギターにアレンジされている。人肌のメランコリックが心地良い。ショパンは小学生の時、大好きだった。私が一番最初に好きになった作曲家だろう。ただ、現在ではショパンの表す愉悦や傷心が少しむず痒く感じる。おそらくピアノだとそれらの純度が高過ぎるので、今日聴いたようなギターアレンジがちょうどいいのかもしれない。学生時代、学部の後輩でショパン好きのピアニストがいたが、彼は元気だろうか。彼も精神を患っていた。ピアノ(彼)とチェロ(私)でデュオを組んで、ショパンのチェロソナタの演奏を試みたが、数々の行き違いが生じたためにろくな挨拶もせず解散した。アルバムを流しながらリビングのソファで12時前まで眠った。
13時に家を出る。書道用品店をお目当てにMという街へ。書道の先生御用達のお店である。先生よりお薦めいただいた「時蔵」という筆を探していたが、その店には無かったため似たようなものを2本ほど見繕っていただいた。実際に書かせてもらって、冴というシリーズの「月」という筆を選ぶ。加えて、練習用の半紙として墨仙を100枚購入した。
14時、駅近の喫茶店へ。以前私は閉鎖的な空間でパニック発作になったことがあるが、このビルの地下にある喫茶店は大丈夫だった。Lサイズのアイスコーヒーを頼んだ。かつて、大学の恩師Y先生はアイスコーヒーは邪道だと言っていた。その恩師にコーヒー指南を受けた私はアイスコーヒーなど決して飲まなかったのだが、今年の春あたりからガブガブと飲んでいる。確かに特別美味しいとも思わないのだが、飲んでいる。恩師の教えに背くのがなんとなく痛快なのだろうか。
読書でもしようと思ったのだが、身が入らないので、気になる進路などについてネットサーフィンをした。なんとなく、哲学科のある大学について調べていた。卒業した大学では文学専攻であり、文学理論や批評を学んだ。卒論では漱石について書いた。しかし、在学中の殆どは哲学系の講義を履修し、それらに熱中していた。その一方で、哲学を専攻することは私の中でほぼ論外だった。真面目に考えなかった、とも言える。単純に文学が好きだったのだが、この専攻選択に関しては私の天邪鬼な性格がよく表れている。正直、哲学を学ぶということが怖かった。何故怖いのかは、今もはっきりと書くことはできない。ただ、昔から私の中で哲学といえば実存に関わる問いを指していた。自己に肉迫する漠然とした恐ろしさとでも言おうか。そういうものと一定の距離を取ろうと、紛らわし、逃避していたのだと最近気づいた。だからと言って大学に入って学び直すか、と言われると躊躇してしまう。今の私にはそんな根気などない。私にはただ想像する力しかないのだ。このようなネットサーフィンも結局は現実逃避に過ぎないのではないか。そうやって我に帰ると、また手も足も出ない私がいる。

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