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日曜日の公園
日曜日の公園が好きだ。
と、日曜日に公園に来るたびに思います。
土曜日の仕事終わり、「明日は何をしようか」とわくわくしていました。なぜなら、日曜日がお休みなのが久しぶりだったから。
いつものわたしなら昼過ぎまで寝てだらだらと部屋で過ごすのが常。
ですが春本番、天気も「出かけなさい」と言わんばかりの晴れ予報。
よし、公園でコーヒーを飲みながら読書をしようという素晴らしい計画を思いつきました。
日曜日、アラームをかけずにゆっくり起きて、リュックに本とノートとペンを詰め込む。
目的地である公園に行く途中で、コーヒーとパンをこしらえる。
その日、公園近くの商業施設のあたりで雑貨やワンコ専用マルシェが開かれておりかなり賑わっていました。
そこにコーヒー屋のトラックが来ていたのでこれは運命!と思いアメリカーノを注文。
パンは大好きな塩パンを。
そして、外で読書をするときのお決まりの公園のベンチへ。
隣に大きな木があり、その木陰が日に照らされて汗ばんだ体を冷やしてくれます。
ベンチに座り、コーヒーの酸味に感動し、パンを食べながらしばらく本を読み耽る。最高の時間です。
少し肌寒さを感じ、文字の海から顔を出すと眼前に広がるのは絵に描いたような「平和」
青空の下キャッチボールをする父子、緑の芝の上をかけまわる子供たち、春らしい白黒ボーダー服をきてバドミントンをするカップル、茶色のレンガ道を散歩する老夫婦、
これを平和と言わずになんというか。
そういえば、何年か前にも悩み、疲れたときに、1人で本を持って公園に来たときも同じように感じたのを思い出しました。
日曜日の昼の公園は、心の平穏を取り戻してくれる。
日曜日の公園にいると、インターネットでみる殺伐とした事件や争いは現実のものなのか疑ってしまいます。
逆に、わたしがいまいる公園が夢の中なのかとさえ。
そして、自分の悩みやいざこざなどどうでもよくなってしまいます。
そんなことよりも、どうしても平和を願わずにはいられなくなる。
キリスト教徒にとっての教会のようなものなのかもしれません。
「日曜日」ということに意味があるのかもしれません。
休みの日という心のゆとりが、平和を生み出しているのだと思います。
この空間をスノードームみたいに閉じ込めておきたい。そして、少し疲れたときに自分も小さくなってその中に入れるようになったらいいのに。
読んでくださってありがとうございます🌱
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