見出し画像

ありがとう、曽田文子さん

 曽田文子著『さいごのスケッチBook』(自費出版、非売品)ができあがり、文子さんから指定された方々への配送が終わった。国会図書館への納本、新潟と愛媛の公立図書館への寄贈も受けていただけ、大きな宿題を終えた気分だ。
 自費出版だからこそ、できる本がある。価値のある一冊だと私は思う。
 できあがってみると厚みが一センチほどの薄い本だが、曽田文子さんの人生がぎゅっと詰まっている。生前の文子さんを知る方にとっては、文子さんを偲ぶ大切な一冊になったと思う。
 63ページ、30あまりの見開きに、文子さんは最後の二年を費やした。完治するすべのない難病をふたつ抱え、思うように手も動かせない日もあったのではないかと思う。逆に絵を描くことがリハビリになっただろうか。
 当時の文子さんからの絵入りの手紙を読み返すと、とにかく絵を描いてい時だけは、病気の辛さも死の恐怖も忘れられたのだと思う。
 最初にレイアウトに落としこんだ時には、もっと長い文章が入っていた。編集の文芸社の谷本明世さんとのやりとりの中で、文子さんは文章と絵を見直した。心を整理し、重荷をおろし、最後は身軽になって、与えられた命を生き切ったと満足し、旅立った。   
 瀬戸内寂聴さんが「源氏物語」の登場人物の女性の心の丈がすっと高くなったという表現をされたけど、文子さんも、亡くなる直前まで、人として成長し続けたのがよくわかる。本が完成するまでの過程の原稿を整理しているうちに気がついた。
 文子さんから返事がくるたびに直しが入り、構成まで大幅に変更したため、編集者の谷本さんは大変だったと思うが、持ち前の明るさとねばり強さで対応してくださった。仕事とはいえ頭が下がる。
 私に、バトンタッチしてね、と、文子さんから連絡が来たのが、ちょうど去年の今ごろだったろうか。緩和ケアにうつると判断ができなくなるので、と、文子さんから頼まれたが、文子さんが亡くなるまでは、私は関わっていない。ごく最初に、文子さんが過去に書いたエッセイもいい文章なので、活かしたらということ、最初のタイトルにの「愛しい遺品たち」の遺品は変えたほうがいい、この二点、感想を述べたくらい。あとはただ見守っていた。
 亡くなってからは、編集作業を見守り、レイアウトを詰め、校正をさせてもらった。文子さんの原稿を何度も読み返すうちに、ようやく文子さんがなぜ文章をそぎ落としたか、しみじみと理解できるようになった。
 本を送ることでも色々とわかったことがある。 
 本をお送りする方がどういう方か、私は知らされてなかった。生前、文子さんは、お身内はもちろん、ご友人でさえ自慢めいたことは仰らなかったが、多士済々、年齢も職業もさまざまだが、魅力にあふれた方ばかり。夫の恒さんしか知り合いのいない柏崎に来て、五十年のあいだに、文子さんは多くの方々と出会い、楽しく日々を送ってこられたことが伝わってきた。仲人をされたご夫婦も何組かいた。みなさん口々に、文子さんによくしてもらったと言われる。さらに文子さんの人柄の良さがわかった。
 この半年、文子さんの本に関わらせてもらったことで、学んだことは多い。これからも私の中で、文子さんを感じていよう。
 ありがとう、文子さん。
                     写真・文章とも©敷村良子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?