橙の味
ふるさと成分が、私のからだには、しっかり残っている。
ある日、ふと、ダイダイ、橙が、無性に食べたくなった。
新潟に住んで、そろそろ四半世紀になる。故郷の四国松山に住んだのは高校卒業まで。二十代は東京、戻って三十代の前半、四、五年は住んだだろうか。ざっと計算すると、愛媛県外に住んだ期間がだいぶ長くなったいま、どういうわけか、ダイダイが恋しくなった。
きっかけは、湯豆腐。ピエンローや火鍋や、色々と食べてきて、突然、具が豆腐だけの湯豆腐が無性に好きになった。水に昆布をひたし、あとは豆腐だけ。湯豆腐用の豆腐より、私は固めの木綿豆腐がいい。幸い、新潟は大豆もよくでき、あちこちにおいしい豆腐がある。
豆腐がふわりと浮かんできたらすくい、土佐醤油というのだろうか、濃いめの出汁に、たっぷり橙を絞って入れる。目が覚める強烈な酸味と、春を感じる柑橘類特有の香り。酸っぱさで全身の毛穴が開く。鼻が抜ける。これがたまらない。もちろん、すだちでも、ゆずでも、レモンでも、甘くない柑橘なら何でもいいのだけど、今の私には橙がいちばんおいしい。
幼い頃、鍋のつけ汁といえば、橙だったが、私は酸っぱい物が大嫌いで、あまり好まなかったはずなのに。コロナ禍も長期化し、何かにつけ、里心がつのっているのかもしれない。
松山では、家の庭にダイダイの木があった。庭になくても、ご近所や親戚から、おすそ分けが回ってきて、家のどこかに転がっていた。
ダイダイは、残念ながら、新潟市内の八百屋やスーパーマーケットには、ゆずやすだちのように並ばない。悲しい。全国、特に東日本で、もっと流通すればいいのに。心の中で叫びながら、やっと気がついた。あ、そうか、ネットで取り寄せればいいんだ。
ダイダイが届いた翌日、さっそく、新潟のおいしい豆腐で湯豆腐。
湯豆腐にだいだい。これしかないと思った。ゆずやすだちや檸檬には悪いけど。
ふるさとの成分は、一生、からだの奥から抜けないのだろう。
文章&写真©敷村良子