2022年立春、吹雪はいつか止む
節分が大晦日、立春が元旦、このほうが季節の肌感覚に合っている気がする。
2022年の新潟市、今シーズンの冬将軍は、大晦日と元旦に一回来て、節分と立春にも来た。年が明けてから降る雪は、冬の底だからこそ、春の含みがある。春の伏線。雪の合間の陽ざしに、かすかな希望を感じる。
私たちは冬が永遠に続かないと知っている。どんな吹雪も必ず止むときが来る。冬は必ず終わる。
新潟の天気予報は雪だるまがずらりと並んでいる。朝から晩まで雪だるまのパレードだ。
小学生の時、理科の授業で天気図の記号を習った時。天気を記録するとき、私が暮らした愛媛県松山市は毎日ほぼ曇り。ああ、もっと雪の記号が使えたらいいのに。憧れにも似た気持ちで、雪マークを眺めていた。瀬戸内海に面した温暖な気候の町では、たまに降る雪は美しく、わずかな雪を集めて雪うさぎを作って遊んだ。雪うさぎはすぐに溶けてしまった。積もるほどの雪は数年に一回の、珍しい現象だった。そんな、のほほんとした冬を過ごして育った私が、雪の記号が朝から晩まで大行進する土地で、二十年以上も暮らすようになるとは。もっとも、松山は松山なりに寒くて、鼻水たらして、手も今よりあかぎれになっていたけど。
新潟の天気はめまぐるしく変わる。一日中雪かといえば、どっこい、晴れ間も出たりして。新潟の子どもは天気をつける時、天気記号をフル活用するのだろうな。日が射しているのに雪が降る時もある。新潟の冬のきつねの嫁入りは、雨じゃなくて雪。
時には猛烈な吹雪になり、屋根にも道にもどっさり残る雪。雪の多い地域の人にとって、雪はたちむかうもの。きれいも汚いもない。時には人の命を奪う。
新潟県でも豪雪地帯の、そのまた雪の多い山間部の、とある温泉宿のご主人から、子どもの頃、学校の帰りに猛吹雪になり、遭難しかけた話を聞いた。家まであと少しというところで、今でいうホワイトアウトの状態になった。雪は降り止まない。頭上の雪雲はしだいに厚くなり、周囲はしだいに薄暗くなってくる。山の日暮れは早い。必死で歩きながら、子ども心にもうだめかもしれないと思ったという。そのとき、果てしなく続く真っ白な世界から、ふわりと大きな影が浮かんだ。それがお父さんで、なんとか無事に家に帰り着いた。雪さえなければ、歩いて数分、ほんの数メートルの場所だった。「あの時、オヤジが迎えに来てくれてよかった」
おそらく古稀も近く、子や孫に恵まれ、私たちにゆっくりと憩える宿を提供してくれるその方は、除雪の手を休め、雪の晴れ間の青空を見あげ、ほほえんだ。そういえば、似たような経験談を、新潟の別の雪深い地域の方からも聞いたことがある。
昔から大規模な事故もあった。大正12(1922)年、糸魚川で雪崩が列車を直撃した勝山大雪崩遭難災害、昭和13(1938)年の元旦、十日町の映画館で雪の重みで屋根が落ちた事故など、背筋が冷たくなる。記録に残らない小さな事故を入れると、ものすごい数になるはずだ。近年では、除雪の事故―屋根からの落下、落雪に埋もれる、除雪機に巻き込まれる、雪を楽しむウインタースポーツ―バックカントリーでの事故や遭難が多い。これに雪が原因の交通事故などを加えるとさらに犠牲者は増える。
雪にはあらがえない。降る時は降る。私たちは安全な場所で災難が過ぎさるのをじっと待つ。どんなに猛烈な吹雪も、いつかは終わることを知っているから。厚い雪雲の上には、常に太陽があることがわかっているから。
北国の人は、黙っていても、たとえ知らない人でも、共に厳しい冬を乗りこえようとしている連帯感がある。私はそれを美しいと思う。
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