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吐いた唾は飲み込むな

どうもこんばんわ、表現の自由戦士改め表現の自由原理主義者になりましたしきいしです。もう何度目かの話題ですが、表現の自由の話と、表現を取り下げる自由の話。

表現を取り下げる自由について

表現の自由は当然、表現を取り下げる自由も含むと一般には思われてる。だが俺は表現を取り下げる自由についてはもっと抑制的であるべきと思っている。以前のルックバックの記事で批判により表現を変更した作者及び編集者を批判的に扱ったが、今回の品川駅に広告を出し、一日で取り下げた企業やまたご当地Vちゅーばーをコラボから取り下げた警察も、キャンセルカルチャーを受けて安易に取り下げたことについて批判を受けるべきだと思っている。

表現を取り下げることがなぜいけないか 

twitterのツイート、あるいはネット上のものは削除すれば、誰かが保存しない限り消えてしまう。なかったことになってしまう。不可視化されれば結局議論は深まらない。不可視化されれば差別や問題は残る。

そしてtwitterは運営自体がこの不可視化を安易に行っている事も忘れてはならない。大統領の発言が不可視化される問題はなにか。それはあとから考古学上の分析、考証ができなくなることだ。

一般人の、あるいはタレントの発言はそれほど重要ではないが、問題、差別発言で燃えたのなら、そのことをそれこそスティグマとして残しておくべきだ。人間なかなか無矛盾ではいられないが過去の発言と比較してダブルスタンダードのことを唱えるならそのことで一生笑われるべきなのだ。

そうもいかない世の中

企業だって企業イメージを保持したいから、炎上したらさっさとあやまって取り下げて忘れてもらうのが最適戦略になる。個人やタレントも同様だろう。

だが、本当の理想は炎上して謝ったら、発言は撤回しなくてすむ世の中だろう。炎上バズってしまったら、死ぬまで追い詰める人がごく少数いるので無理なのだが、笑って許す、笑わないまでも謝ったら水に流す人間が主流になれば、ならなければこのキャンセルカルチャーの波は止まらないだろう。

追記 当のしきいしもいくつかの問題ある発言を(誰かに咎められる前に)削除しています。ダブスタで申し訳ない。twitterくんの価値基準も変わってくるので今後も削除せねばならないものが増えてきそうですね嫌な世の中だ・・・

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