権利総論① 定義

※この記事は自分の思想のまとめです。

権利の定義

権利とは、我々の社会における秩序維持のための最低条件の担保として、相互の理解や尊重、思慮及び扶助の根源的な根拠概念として、そして我々の社会生活、共同生活、環境・地域共有生活における第一次的な制度基盤として、「万民の万民に対する闘争」の状態を回避し、全ての生物の生命身体精神その他生存条件の保全及び保障を実現しようとする倫理規範及び法規範のことを言う。

特権の権利体系からの除外

従来社会における一部の権利享有主体者にのみ認められる権利、一部の権利享有主体者にのみ有効な権利は、権利とは見做さず特権として分類する。特権は、社会における平和原則、平等原則を阻害する大きな要因となるため、これを権利とは見做さず、社会における差別、迫害、搾取の根源として善意の社会成員によって打破されるべき悪習と断ずる。ただし、人権における生存権など特権の内容の一部は、その範囲性が問題ではあれど、内容性は正当であると認められるものは廃止ではなく範囲を拡張したうえで権利として再生される。残された人権についても、全てが否定されるわけではなく、権利体系に違背しないものについては、権利体系よりも劣後する意味での「資格」、さらに下位の「請求資格」という形で再定義される。例えば、人権には参政権がある。これは、人類社会の中の我々が所属するコミュニティにおいて、その統治機能の一種たる立法府に我々自身がアクセスしうる行為保障としての権利であるが、これはヒト以外の生物にとって行使できないものであり、他生物には基本として認められない(代理行使の可能性はありうる)。よって、権利体系の観点からは人権における参政権は特権との位置付けを免れないが、人的資格としてなお人類社会成員に対して参政資格は維持されるべきである。こういった全生物に対する普遍性の観点から権利の内容としては採用し得ないが、特定社会においてなお有用であり、特定社会成員に対して自動的に付与されるべき行為能力を資格と定義する。また、人権における社会権について考えてみよう。動物の権利主体性の否定としてよく言われるのが、事故で権利を主張する能力を持たないことである。そして、人権における社会権は権利主体が自ら権利を主張しなければ権利は有効に作動しない性質のものである。逆に言えば、社会権は自然に効果が発生するものではなく、権利の効果を望む者が自ら権利を行使する必要がある。このように自然に存在、または発生し得る効果ではなく、権利の効果を請求することではじめて権利としての効果が見込めるものを「請求資格」として、資格よりも劣る人的能力として定義する。これら権利体系の内容に違背しない旧特権内容は資格、請求資格として特定社会内の秩序維持機構として存続させる。(本論では従来の人権のうち、権利体系に吸収されず、権利に違背しないため存続しうる内容の資格、請求資格につき、人的資格、人的請求資格と呼称する。また、他生物の資格、請求資格につき、生物的資格、生物的請求資格とする)

特権の具体例

・専制君主制における王者、王族にのみ付与される権利(王権、又はそれに類似するもの)
・階級制(貴族制)における貴族階級又は上級階級にのみ限定的に許可される権利(貴族特権)
・その他属人的な優先的特権、優越的特権

人権(現状の法権及び人類のみ共有主体として観念されている善権の一種)の新権利体系における位置付け

権利概念が絶対的且つ合理的に人類以外の全生物がその享有主体として一切観念できないとすれば、人権と権利とはその範囲性の観点からは同義であると言える。逆に、人類以外の生物に対しても何かしらの権利の享有可能性を観念できるとすれば、人権は特権であると見做し、社会に差別や迫害、搾取を産み出す原因となる制度として、善意の社会成員によってその改善を図られるべき対象となりうる。(権利の範囲性の問題)

本論では、人類含む全ての生物は権利享有主体であるとの思想を採るものであり、人権は特権に過ぎないとして一部的に批判するスタンスをとる。(権利の人類専属性の否定の論拠はまた別のページで論ずる)


生物権とは何か

生物権とは、①ヒトを含む動物全般に平等且つ無条件に認められるべき権利、又は②哺乳類、鳥類など人類グループとは別個に作出された権利享有グループに認められる人権とは異なる内容の権利(狭義的に動物権と呼称すべきかもしれない)である。




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