「家」
いつだったか味覚に関する本を読んで「家庭料理が最高の料理」そう書いてあった。誰の本だったのかは忘れた。
しかしこれは非常に当たり前の事で、誰しも経験がある。仲間と飲む酒は旨いし、懐かしい味は落ち着くし、好きな人が作った料理は美味しいだろう。
味とは味覚だけではない。だから器に拘ったり、雰囲気に拘ったり、見せ方に拘ったりもする、普通のこと。
逆に言えば、いくら技術が優れた美味なる料理であっても不愉快な事があれば美味しいとは感じない。そもそも食欲が無くなる。
料理そのものが変わらなくても、食べ手の状態で味は変わる。体調や感情もその要素の一つと言って差し支えないと思う。
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心に働きかけるものが良い「食」だと思う。
だから高級も大衆的も家庭的も全てその要素の一つだと思う。そういう意味で高級なものだけを美味と言う美食家がもし仮に居たとしたら、偽物だろうと思う。
とはいえ「高級」もまた美味しく感じさせるバイアスを持っているのも間違いない。相対的に高い値付けの方が人は価値を感じるというのは、商学や経済学を少し学んだ人は誰でも知っている。
という事は、高級にも家庭的にも大衆的にも、あと有名とか名物とか、どれかに寄り過ぎている場合は客観性に欠けてるとも言える。
「食」は極めて主観的なものであるという事は前提。
自分の嗜好に従って評するのは容易な事、しかし、尺度に従って評する事もひとしく苦もない業である、そう昔の文芸評論家は言った。
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ある有名人が「世界一の焼肉定食」そう呼んだメニューが古い町の大衆食堂にある。
私個人としては「芸能人が〜有名人が〜」という情報に特段の関心は湧かないので街中で見かけても声はかけないし、人だかりになっていても素通りするのだけど、ふと思いつきでこの食堂に行ってみた。単純に人にそこまで言わせる「定食」に興味が湧いたからだ。
まぁ同じ母校だし通学路にある店だから昔から存在を知っていたというのもあるのだけど。
そして
結論を言えば「完全」に納得した。
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小さな店内に3人の店員。厨房に店主、ホールに1人、ホール兼厨房補佐に1人の、3人体制。
手際よく調理された料理は厨房とホールの間にある台に置かれ、それを間髪入れずパートさんが運ぶ。
焼肉定食を頂きながらその光景を見ていると、ほんの少しパートさんと店主のタイミングがズレたその瞬間、台に料理を上げる店主の表情がふと目に入る。
その表情に静かな衝撃を受けた。
まるで生まれてきた赤子を見るかのように温かく優しい眼差しを店主は料理に向けている。
その顔を見て一瞬で理解した。
お店が長年愛され存在していること。
有名になってからもお店に顔を出す理由。
全てがそこに詰まっていた。
料理にも合理的とか、化学的とか、技術や理屈もあるけれど
最終的には心を伝えてはじめて良い料理になるんだよね
雰囲気 素朴な味と人
誰にでも どこにでも「世界一」の味がある
だから
この有名人は苦しい学生の頃、焼肉定食を食べ心を癒していた事が容易に想像できた。
きっとこれからも生涯「世界一の焼肉定食」として人生の一品になるのだろうと思う。
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