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ラウンジ嬢の大炎上。

『瞬間的な大炎上は、瞬間的に盛り下がる』

これは一発芸みたいなモノで、人の原理原則からして当たり前の事だから特段不思議な事でも無い。この程度の興味関心は元々その程度のものとも言える。

大炎上したあのラウンジ嬢のツイートは話が無駄に長く主語が行方不明で、改行も無く大変読み難いものだった。

言いたい事自体は想像で補えるにしても、こういう文章を書く人というのはおしなべて他者への想像力が足りない。読み手を意識していないから改行も出来ないわけで主語だって抜ける。そこには自己しか存在していないからだ。

以前も書いたがこの件も「他者不在」である。

「自己中心」ではなく他者がいないから「自己のみ」。主語は全自動で自分という事か。一応断っておくと登場人物として他者がいるかどうかの話ではない。

他者が不在であるがゆえ永遠と承認欲求は満たされずSNSでの発信を繰り返す。どこの誰とも知らない人の共感を集めることが自己救済と思うのだろう。

しかしこれが本当に意味する所は「どこぞの誰とも知らない人しかいない」という点にある。リアルにはいない可能性が高い。本当の意味での理解者や仲間が身近にいればわざわざSNSでそんな事をする必要はないからだ。

周りにいる人達をそう思えず孤独を抱えているとも推察できる。いや、孤独自体を実感していないかもしれない。当たっているかどうかは知らない。しかし人間の意識は95%を無意識が占めているから実感しているかどうかはさほど関係がないとも言える。実際の行動に事実がある。

そして勘違いされない様にここで一旦断っておくと、この件で「事実がどうだったか」も全く知らないし知る術もない。ここで言っているのはそことは別の話。SNSはそういう事が分からない人が多いきらいがあるので敢えて言った。

閑話休題

「承認は他者が与えてくれるモノ」だとすると、ここには大きな矛盾が出てくる。繰り返しだが与えてくれるはずの他者がそこには「不在」だからだ。当たり前に、これでは解決するわけもない。

だからこの様な光景が繰り広げられている様は蟻地獄を見ている気分になる。

実際の蟻地獄を見た事ある人は少ないだろう。自分は田舎育ちなもんで虫は沢山見てきた。ウスバカゲロウの幼虫である蟻地獄の巣は、スリ鉢状の細かい砂で構成され、これにハマるとまず抜け出せない。罠にかかると最後、体液を抜かれ死に至る。

どうもこの光景に重なってみえるのだ。

ただ、違っている事が2つある。
1つ目は、ハマっているのも捕食するのも自分自身という点。

2つ目は、抜け出す方法があるという事。しかもとてもシンプルな方法。それは与えて欲しいならまず人に与えるというだけ。もちろん見返りを求めずに。

だって見返り求めず与えてくれる人には感謝するだろう?自分は特に母に感謝している。母は偉大と言う。おそらく万国共通。自分は加えてばあちゃんにも感謝している。もう亡くなって20年近いが未だに月一回はお墓に行く。

愛が欲しいなら人に愛を与える
感謝が欲しいなら人に感謝する
承認欲求を満たしたいなら人の承認欲求を満たす

めちゃくちゃ当たり前な事で昔学校で習ってる筈なんだけど、なんでか忘れてしまうんだろうなぁと。

気をつけよっと。

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