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北野日奈子はあのときに見た月のよう

「太陽のような人」と誰かのことを表現することがある。明るくてまわりを照らしてくれる人をそうやって表現するらしい。すべてを照らす明るい光を放っている人。いつも明るくて元気な人。そんな感じなのかな。
彼女のことを同じように「太陽のような」とか「太陽みたい」とか表現する人がいる。雑誌でもそう書いてあるのを目にしたことがある。ただ、「太陽」は少し表現が違うかなと僕は思う。

太陽系ができてから太陽の寿命までまだ半分にも来ていない。人類の規模で考えれば、太陽は永遠に燃え続けることになる。そんな恒久的に存在する太陽に例えて彼女の明るさを表現するということは、彼女のそれも太陽同様に恒久的であるとすることと同じだと言える。でも、彼女は常に明るいわけじゃない。元気で明るくてテンションが高くて、がいつもではない。辛いときも悲しいときも、気分が落ち込んでいるときだってある。アイドルの前にひとりの人間なんだからそれは当たり前だ。「太陽のような」と表現することは、かつてファンのイメージと本当の自分との乖離に悩んだ彼女に対して、常に明るくいるように押し付けているようで嫌だ。
それに、周りの星に関係なく問答無用で燃え続ける太陽の明るさはどこか理不尽な気がする。その光に照らされたら光らなきゃいけないような、その明るさを受けたら明るくならなきゃいけないような、そういう強くてとげとげした感じがする。セーラームーンの影響かもしれないけど、太陽の明るさは痛い感じがする。でも彼女の明るさはそうじゃない。優しくて柔らかい光。明るく照らしてくれるけど、でも明るくなることを強制するわけじゃない。寄り添って近くにいてくれるやさしさがある。

北野日奈子は太陽じゃなくて月だと思う。
満月のように目一杯明るく光っているときもあれば、新月のように暗くなっているときもある。三日月がほかの月と比べて見られる時間が短いように彼女にもそんなときがある。夜の月とは表情の違う昼間の月もある。地球から見る月の形がひと月で変わっていくように、彼女が見せる姿や明るさも変化している。明るくて元気なだけじゃなくて色んな表情をこれまで見せてくれた。きっとこの先、今まで見たことのないような表情も見せてくれる。「未来明るくない?だって楽しいことしか待ってないよ!」と言う彼女だけど、多分、いや絶対、この先悲しいことや辛いことがあるってことがわかってる。それでも「楽しいことしか待ってない」と言うことができる彼女の未来はきっと楽しいことしか待ってないんだろう。「楽しい大人になれるように毎日楽しく過ごさせていただきます」って言葉には泣きそうになってしまった。


北野日奈子はあのときに見た月のよう。


何度だって言うけど、しあわせになって欲しい。しあわせでいて欲しい。ずっとずっとしあわせでいて欲しい。ただそれだけを願ってる。
24歳のお誕生日おめでとう。


2020.7.17


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