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ヒーローじゃない2


 ──それなのに見つけたのが、甘そうなアケビでも辛そうな山椒でも、ましてや暴れ回る魔獣でもなく、今にも自殺しようとしている青年だった。全く笑えない冗談である。

「とにかく、ここで死ぬのは止めて。私が困る」

 端的に本音をぶつけると、青年は力なくうな垂れた。死に損なったことを心の底から残念に思っているようだった。それとも、止めて貰えて安堵している? アマネには分からない。

「参ったなあ……山奥なら誰にも迷惑かからないって思ったのに……」
「あのね、山は私有地なの、誰かの物なの。そんな場所で自殺なんて、迷惑極まりない」

 命を絶とうしていた人間にする説教ではないかもしれない。山の所有権云々を説明するくらいなら、命の尊さでも説いた方が良いのだろうか。しかし、残念ながらそんな高尚な説教は出来る気がしなかった。確かに命は大切だし死ぬのは良くないと思うが、それが何故かと言われても初対面で説明することは難しい。それなら、他人の所有地でまずいことをしでかそうとしていることを叱る方がよほどやりやすかった。

「そっか……」
「……どうして自殺なんて」

 最もな質問に、青年は一瞬だけアマネと目線を合わせた。何かを言いかけようとして、しかし結局言葉にならず、目線はまた地面に戻っていった。
 青年の腕を掴んでいた手を緩めると、彼はゆっくりとした足取りで先程アマネが来た道を歩き始める。

「どこ行くの」
「山がダメなら……海かな」
「それを聞かされて、私がはいそうですかって見送るとでも思ってるの?」

 場所を変えて自殺されても、ただ寝覚めが悪いだけだ。咎めるが、青年の足は止まらない。

「でも俺、もう行く所がないんだ」
「そんなわけ」
「嘘じゃない。本当に……ないんだ」

 耳を疑う話だった。少なくともアマネにとって、青年と行く宛がないという事実が結びつかなかったのだ。
 眼鏡をかけていても分かる端正な顔立ちに、無駄な所など一切ない、引き締まった身体つき。武器こそ持っていないが、一目見ただけで彼が民間人でないことは分かった。
 否、そんなレベルではないだろう。アマネは明確に、彼のことを知っていた。おそらくこの国の誰もが、彼のことを一方的に知っているはず。今日だってテレビや新聞で嫌という程視界に入ったのだ。

 間違いない──彼は、ヒーローだ。それも精鋭部隊に所属する、飛び抜けて優秀な。
 そんな彼がどうしてこんな田舎の山奥にいるのかさっぱり分からなかった。ニュースで報道されていた凱旋からまだ二日も経っていないはずで、普通であれば他の精鋭と一緒にテレビに生出演していてもおかしくない。
 しかも、企てていたのが自殺とは。二種である自分の理解力のなさが問題なのだろうか、何もかも分からない。

 ただ、彼が次に起こす行動だけは容易に想像がついた。ここは海なし県だ、海が見えるような場所はない。それでも彼は海が見える土地に向かって、今度は固い地面ではなく大海原にその身を投げ出そうとするのだろう。そうしたら、もう彼は見付からない。広い海で彼を捜すことは、砂漠の中に紛れたビーズの玉を見付けることと同じくらい難しい。

「……分かった」

 溜め息を一つ吐き出す。ようやくアマネが諦めたと解釈したらしい青年が立ち去ろうとする。しかしその前にアマネは言葉を続けた。

「行く宛がないなら、うちの町に来て」
「……町?」

 意外な提案だったのか、青年が足を止める。振り返る彼に一つ頷いた。

「そう。辺鄙な町だけど、静かで余所者にも比較的寛大。考え事をするには丁度良い。死にたいと思うのは勝手だけど、少しくらい良く考えてみたら」
「……ヒーローは、いる?」

 次はアマネの方が意外に思った。今の話とはあまり関係がないように思えたからだ。

「二人いる。その内の一人は、私」
「ヒーローだったんだ、君」
「フリーだけど、一応。私はアマネ……貴方は? なんて呼べば良い?」

 離れてしまった距離を戻して青年を見上げる。メガネの奥の瞳は、やはり揺れたままだった。それでも、彼は緩やかに笑んでみせる。

「……チアキ」

「はあっ? ここまで歩いて来たっていうの?」

 チアキを車に乗せて、アマネはまた山の中を進んでいた。厄介なモノを拾ってしまったので山菜採りを続けるわけにはいかない。それでも魔獣の目撃情報が上がっている以上は巡回を放り出すわけにもいかないので、舗装されている道だけでも一通り車で見回ってから町に戻ろうと考えたのだ。
 チアキがいた付近で車を停められるような場所はアマネが駐車していた場所しかない。しかし、付近に車が見当たらなかったので一体彼がどうやってここまで来たかが純粋に疑問だったのだ。
 軽い気持ちで問いかけて、返ってきたのがまさかの[歩いてきた]。正直、信じられない。

「駅で降りて、歩いてたらここまで来たって感じかな。無心だったからあんまり覚えてないけど」
「一番近い駅だって、ここから二時間はかかる……本当に、死ぬこと以外考えてなかったのね」
「はは、そうかも」

 人と話して幾分か気が紛れたのか、チアキは先程より随分とマシな顔色になっていた。少なくとも、急に車から飛び出してそのまま天国へ、というような事態は回避出来そうで安心する。他人の死に様を見るのも気分が悪いが、その手助けをするなど更にごめんである。
 車はどんどん山道を登っていき、やがて傾斜はなだらかになる。更に進むと、今度は下りの方へ傾きが変わった。このまま下りれば国道に出る。後は来た道を戻れば町に着くだろう。
 走行の風に煽られて、時折真っ赤な紅葉がフロントガラスに沿って飛んでいく。大してスピードを出しているつもりはないが、小さな葉がこうして後ろへ後ろへと流されていくのを見るのは、まるで自分が飛んでいるような気がして気分が良い。下り道ということもあるので、感覚的にはジェットコースターに乗っているような気分だ。

「遠回り?」

 山道を上がっていたと思えば今度は下り始めたことで、アマネが最短距離で町に戻っているわけではないことに気が付いたのだろう。助手席に座っていたチアキが不思議そうな顔をした。

「巡回も兼ねてたの。この辺りで魔獣を見たって人がいたみたいだから」
「俺が歩いてた時は見なかったな。それっぽい痕跡も」
「うん、私も見なかった。見間違いか……それとも、別の所に移動したか……」

 魔獣の特性は種類によって様々だ。群れを好むモノもいれば単独を好むモノもいる。縄張り意識が高いモノもいれば日によってどんどん寝床を変えるモノもいる。この辺りで良く見られる魔獣は単独で、行動範囲が広いモノが多い。多勢で襲われないので町の守りは固めやすいが、大型で獰猛なので舐めてかかると一瞬で命を持っていかれる。
 力也がこの町を任されているのは、そういう魔獣の特性を加味した上での配属だったからだと聞いている。彼はこの手の魔獣討伐が十八番なのだ。

「もし、魔獣が出たら……」
「……出たら?」
「いや、ごめん。なんでもない」

 そう言ったきり、チアキは窓の外を見るだけで何も言わなくなった。
 その態度に引っかかりを覚えつつ、アマネは町へと車を走らせる。

 やがて町へと戻ったアマネは、先に自宅の横に車を停める。外に出て、来る前よりも随分と重くなったリュックを背負って歩き出す。その横にチアキも続いてきた。
 初めて来た場所が新鮮に感じるのか、チアキは興味深そうな面持ちで周囲を見回していた。

「田舎の町がそんなに物珍しい?」

 あまりにきょろきょろと忙しないのでついそう声をかけると、彼ははっとした様子でアマネの方に視線を向けた。

「えっと……うん。なんていうか、あまり見たことがないから」
「そう?」
「センサーも防衛システムもない。どうやって町を守ってるの?」

 アマネにしてみれば毎日見ている景色なので珍しいものなど何もないのだが、チアキにしてみればこの町は随分と脆弱に見えているようだった。確かに、都会の最新設備に比べればこの町の魔獣に対する対策は随分とアナログだろう。

「そもそも、魔獣は町に入れないもの。来ない存在に対して、センサーもシステムもいらないでしょ?」
「入れない?」
「正確には入れないようにしてる。だけど。ほら、着いた」

 アマネの家から力也の家まではさほど遠くない。既に時刻は夕方に差し掛かっているので、宮前家の人達は持ち帰った山菜を心待ちにしていることだろう。
 さっさと歩いていくアマネに、チアキはただ首を傾げることしか出来ないようだった。


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