ヒーローじゃない10
木立の下を歩いていくと、やがて拓けた場所に出る。広い土地には大きな赤い実を沢山ぶら下げた林檎の木が立ち並んでいた。収穫時期を迎えた真っ赤な林檎は今にも枝を折ってしまいそうなほどに重く、そして瑞々しい。
近くに置いてあった籠を持って木々の中に入っていく。いくつかの木を見て回って良い実を見つけてはもいで籠に入れた。美味しい林檎を見分けるには、色は勿論香りも重要だ。香りを確かめるには出来るだけ果実の近くに寄る必要がある。アマネの背丈ではあまり高い所の林檎は取れないが、低い場所にも十分実はあるのであまり問題はない。
駒沢の林檎をお裾分けして貰うのは毎年の習慣のようなものであり、楽しみでもある。住んでいる町は違うがヒーローという共通項を持っているので、駒沢は力也だけでなくアマネにも懇意にしてくれるのだ。田舎ではこういったヒーロー同士の繋がりも重要である。どうしても人手が足りない場合はフォローし合うことも珍しくはないからだ。
籠の半分ほどを林檎で埋めた所で、一休みをしようと木の下に腰を下ろした。林檎の太い幹は背を預けてもびくともしない程に丈夫で、その幹を包み込むようにして伸びる枝葉は秋晴れの日差しから守ってくれる。時折吹く風は穏やかで心地良い。秋に入ってからどんどん気温は下がる一方だが、それでも昼間はまだ十分に暖かい。何もしていないと自然と瞼が下がってくる。
葉擦れの音を聞きながら、そういえばこうして一人になるのは少し久しぶりのことかもしれない、と考えた。チアキがここに来てからは彼と一緒にいることがほとんどなので、あまり一人になる機会がなかったのだ。
一人の時間も、誰かと一緒に過ごす時間も、嫌いではない。どちらも違った楽しさや便利さがあるだろうし、必要な時間だと思うからだ。以前のアマネは、一人でいる時間の方が多かった。仕事では力也と毎日顔を合わせるし、七都子もひめのも仲良くしてくれる。町の住民にも慕われている方だとは思う。それでも彼らは家族という共同体を持っていて、アマネが入るわけにはいかない領域というものがある。そこを無闇に侵さない為に、必要な距離というものもまた存在していた。
だから、正直な話をするとチアキには一体どれくらいの距離で接すれば良いのかが未だに分からなかった。
彼には行く場所も帰る場所も、待っていてくれる人だって沢山いるはずなのに、そんなものは何もないという。一人だけ領域から弾き出され途方に暮れているような顔をしている。領域を持っている人間となら上手く付き合えるのに、持っていない人間にはどうしたら良いのか分からない。特級ヒーローで気に食わないという面を差し引いても、チアキは厄介な人間だった。
ふと、地面を踏みしめるような音を耳が拾う。ぱちりと目を開けると、正面にはチアキが立っていた。来る時には持っていなかった棒状の袋を背負っている。どうやら駒沢から無事に剣を借りられたようだ。
「良いのはあった?」
座った姿勢はそのままで聞くと、こちらに歩み寄りながらチアキは首肯した。
「驚いたよ、すぐにでも使えるように全部細かく手入れされてた。引退したのは随分前だって聞いたのに」
「職業病なんだって、剣を触ってないと落ち着かないみたい」
「はは、ちょっと分かる気がするな」
からりと笑って、目の前まで来た彼はその場でしゃがむ。それからアマネの傍らに置いてあった籠に目線を向けた。
「もしかして、籠いっぱいに貰えるの?」
「とりあえずは。売れ行きによっては後でまたくれる時もあるけど」
「タダで?」
「そんなわけないでしょ……パラフィンオイルと物々交換」
ゆっくり立ち上がって軽く伸びをする。そして籠の中から林檎を一つ手に取ると、立ち上がりかけていたチアキに投げて渡した。
「わ、何?」
「林檎はもぎたてが一番美味しいの。食べてみたら」
籠を持ちながら言ってやると、チアキは林檎とアマネを交互に見比べてからゆっくりと林檎を口元に運ぶ。口を開けて、赤い実に噛り付いた。しゃく、と林檎特有の瑞々しい音が鳴る。
三度も咀嚼しない内に、チアキの目が分かりやすく輝いた。
「美味しい!」
「でしょ」
アマネは林檎に詳しくないが、今まで食べてきた林檎の中でも駒沢の作るものは格別だった。素人舌でも分かるほどに甘く、瑞々しく、香りが口いっぱいに広がる。もぎたてはそのまま食べるのが一番美味しいが、料理をしてもより甘みが引き立つ。林檎を使った料理が沢山作れるのもこの季節ならではだった。
「食べながらで良いから、手伝って。貴方の身長なら私が届かない林檎も届くでしょ」
踵を返してまた違う木になる林檎を見ていく。もぐもぐと口を動かしながらついてくるチアキに時折林檎を取って貰いつつ、木々の間を進んでいった。
「一つ、聞いて良い?」
重くなってきた籠をチアキが代わりに持ってくれた所でそんなことを言われた。林檎の木を吟味し始めていたアマネは、目線はそのままで「別に良いけど」と返す。
「アマネさんって、俺のこと嫌いだよね」
「……この場合は、見ての通りって言うのが正解?」
否定しなかったのは見当違いのことを彼が言ったわけではないからだ。好きか嫌いかで安易に判断するのは難しい所だが、気に食わないはお世辞にも肯定的な感情とはいえないだろう。
「うーん、まあ、そうかな」
「笑いたければ笑えば、どうせつまらない嫉妬だもの」
「それは、俺が特級だから?」
また踏み込まれた。思わず林檎に触れていた指に力を込めてしまう。もぐつもりのなかった果実があっさり枝から離れて、アマネの手に収まってしまった。
その手の話題には触れないよう気を遣ってくれたのかと思ったら、これだ。返してしまうアマネも自業自得だが、それにしてももう少し話題を選んでくれても良いのではないかと心の中だけで文句を飛ばす。
「……そうね、少なくとも力也さんや駒沢さんにはこんな気持ちにならないから。そうなのかも」
「俺が言うのもなんだけど、アマネさんだけじゃないと思うけどな。それについては」
振り返ると、チアキが持っていた籠を差し出してくる。それに今しがたもいでしまった林檎を入れる。彼の顔を窺い見るが、いつもと同じだ。だからこそ、彼が今何を考えているのか良く分からない。
一種の中でも優れた功績を挙げた人物に贈られる称号が特級であるが、その[功績]は単純な魔獣討伐に限らない。民間人の精神的支柱になれていると世論が判断すれば、それもまた得点として大きく加算されることがままある。
一歩間違えれば魔獣に殺されてしまうかもしれないという漠然とした、しかし確かにそこにある恐怖。その感情を逸らすのに一役買っているのがメディアだ。彼らはヒーロー達の活躍を多数取り上げては大々的に公表し、国民の安全性を主張する役目を担う。魔獣と戦い華麗に勝つという映像により人々の恐怖は和らぎ、ヒーローを心の拠り所として求め続ける。そのヒーローがアイドルや芸能人に引けを取らない程に魅力ある容姿をしているのなら尚更だ。
つまり、身も蓋もない言い方をすれば。特級という称号は魔獣を倒しメディアに映り、数字を稼ぐことが出来る人間に与えられる称号なのだ。そこに実力は付随しない。一人で魔獣を倒す、は一種の最低条件でしかないからだ。
チアキが特級を与えられているのも、この見てくれが大きいということはずっと前から知っていた。毎日のようにテレビに映り、持て囃されることが仕事。だから、そんな男よりも格下の二種を強制されているアマネからしてみれば、チアキは相当[気に食わない]のだ。チアキはその辺の気持ちもなんとなく分かっているのだろう。
彼の本当の実力を、アマネは知らない。彼がここに来てから魔獣は一度も出ていないし、メディアの脚色で活躍する彼を信じる気にもならないのだ。本当に強いのかもしれないし、もしかしたら魔獣一匹でさえ倒すので精一杯なくらい弱いのかもしれない。
後者であれば、色々な意味で問題だ。大人の対応をしようと努力してきた感情が限界を迎えて、その日の内に彼を叩き出してしまう気がする。
「……一種のくせに私よりお荷物だったら、私、貴方を引っ叩きそう」
重苦しい溜め息を吐き出すアマネに「だろうね」とチアキは苦笑した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?