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ヒーローじゃない22


 ある程度仕事の目処がついた所でいつものように宮前家へ顔を出す。時間的に力也は巡回中の筈なので、家にいるのは七都子と、幼稚園が休みであるひめのだけだろう。
 予想通りリビングでパソコンを使っていた七都子がいつものように出迎えてくれる。

「いらっしゃい、二人とも。何か飲む?」
「うーん、じゃあお茶貰おうかな。力也さん戻ってくるまでまだかかるよね?」
「そうねえ、さっき出かけたばかりだから。お茶ね、用意するわ」
「あっ大丈夫、自分でやるから。チアキも同じで良い?」

 立ち上がりかける七都子を制しつつ後ろにいたチアキに聞くと、首肯が返ってきた。

「手伝うよ。急須と湯のみ、出せば良いかな」
「うん。お湯は保温ポットがあるし……あれ?」

 キッチンにお邪魔して保温ポットにお湯が残っているのを確認する。しかし、その傍らにあったあるものに思わず声を上げた。
 摘み上げてみると、予想通り。それは町の街灯についた給油口の蓋を開ける為のマスターキーだった。キー自体は二本存在していて、それぞれアマネと力也が一本ずつ所持している。アマネは普段キーケースに入れて持ち歩いているので、これは間違いなく力也の物だ。

「もう、力也さんったらまた鍵忘れてるし」

 思わず文句が口から飛び出ると、こちらを見た七都子がその理由に気付いて苦笑した。

「あら、行きがけにコーヒーを飲んでいったからきっとその時だわ。全く、仕方ない人ね」
「私、ちょっと行ってくる。どうせ給油もしてもらわなきゃ困るから」

 夜は灯りが消えないようにある程度余裕を持っているが、その分午前中の外灯は全体的にオイルの残りが心もとないのが常だった。ここで給油して貰わなければ、次の巡回時間が来る前に燃料切れになってしまうものが出てくるだろう。
 勿論、それくらいは力也も分かっている筈なので気付き次第すぐに戻ってくると思う。しかし巡回開始ポイントからここまでは少し距離があるので、それならいっそ持っていった方が効率が良いのだ。
 仕方なしに一旦キッチンを出ようとするが、その前にチアキに呼び止められる。

「俺が行く。アマネさんはここにいて?」
「ええ? 良いよ、チアキ運転苦手でしょ」
「そうだけど……歩いてくから大丈夫だよ。ひめのちゃんとも遊ぶ約束してるんだ、誘ってみる」
「なら尚更、私が車で乗せてった方が良いんじゃ……」

 特にこだわりがあったわけではないが、なんとなく腑に落ちないでいるとチアキは緩やかに困った顔をする。そして内緒話をするようにアマネの耳元に顔を寄せた。

「これでも反省してるんだ。寝不足って顔に書いてあるけど、自分で気づいてない?」
「え」
「せめてゆっくり、ね。お願い」

 言うなりアマネの手から鍵を抜き取って、そのままチアキは二階にいるだろうひめのの元へと行ってしまう。昨夜はそこまでのことをされたつもりはないが、どうやらチアキからは既に相当疲れているように見えるらしい。とはいえ、夜が明ける前に眠ったし朝食もきちんと取れている。普段と比べて怠さはあるが一日くらい、どうということはないのに。

「……大袈裟」

 小さく呟いてからお茶の準備を進める。文字通り、大袈裟だ。それでも決して悪く思っていない辺り、随分と絆されてしまったと呆れる他ない。

 ついでに七都子の分もお茶を淹れて持っていく。彼女の正面に座ると、それまで大人しく事の成り行きを見守っていた彼女は大きなアーモンド型の瞳でじっと見つめてきた。何も言わず、ただ見つめてくるだけなのでなんとなく落ち着かない。

「な、何。七都子さん」
「いいえ? うーん、なんだか……そうねえ」
「えっと……」

 視線から逃げるように湯のみに並々と注がれた緑茶を啜ると、何かに気付いたのか七都子は「ああ、そういうこと」と得心した声を上げた。

「な……何が?」
「うふふ。ダメよアマネちゃん、田舎は情報の巡りが光みたいに早いんだから。もう少し注意しないと」
「う、うん……?」

 田舎はコミュニティが狭く濃い分、何か変わったことがあればすぐに広まってしまう。良いことも悪いことも、次の日には格好の話のタネになってしまうこともザラだ。
 とはいえ、いまいち要領を得ない七都子の言葉に首を傾げるしか出来ないでいると、彼女は楽しそうな笑みはそのままで話を続ける。

「チアキ君と寝たでしょう」
「ごほっ」

 あまりに直球すぎて思わず飲んでいたお茶を噴き出しそうになってしまった。しかし目の前の七都子と大事なパソコンをお茶まみれにするわけにもいかないので、渾身の力で飲み込む。当然、飲み込んだ液体は気管に入り込み激しく咳き込む羽目になってしまう。

「ああ、やっぱり。おめでとう、今夜はお赤飯ね」
「まっなん、なんで分かっ」
「分かるわよ、顔に書いてあるもの」

 チアキといい七都子といい、何故こうも人の顔を見て言い当ててしまうのか。それとも単純にアマネが分かりやすいだけなのか。どちらにしても大いに都合が悪いので切実に止めて欲しい。
 明らかに動揺しているアマネににこにこと微笑みつつ、七都子はお茶を飲んでいる。まるでこうなることが分かっていましたと言わんばかりの様子だった。

「……嬉しそうだね」
「当たり前じゃない、可愛い妹分の幸せを祝福しない人がどこにいるのよ」
「そういうものかなあ……」

 頬杖をついて小さく呟く。一種である力也のサポートとして仕事をしているアマネは七都子から見れば旦那の同僚という立ち位置になるが、小さな田舎町なのでその距離感は少し特別だ。毎日顔を合わせるし、一緒にご飯を食べる時も多い。女同士で気兼ねもしないからプライベートな相談に乗ってもらうことも少なくない。母のような姉のような、そういう人だった。

「それに、相手はあのチアキ君でしょ? 私が口出す余地もないくらい良い人だわ。将来安泰ね」
「……それは、どうだろう」

 つい、声色に陰りを混ぜてしまった。内心焦るが、もう遅い。その僅かな変化に気付いた七都子は首を傾げる。

「あら、心配? 確かに凄く人気者だけど……そんなに良い加減な人には見えないわ」
「それもまあ、ちょっとはあるけど。都心のヒーローって、大変みたいで。しかもチアキは精鋭だから……いつ命を落とすか分からない所にいるし」

 流石に今のチアキが抱えている事情については直接口に出来なかった。ただ、誤魔化した所で無駄だということも心のどこかでは分かっている。一種ヒーローを夫に持つ妻だ、ある程度の事情は把握していてもおかしくない。

「……そうね」

 七都子の返答は至ってシンプルだった。たった一回の首肯だけでなんとなく分かってしまう。やはりこの人も勘付いているのだ。アマネの予想は確信に変わる。

「もうすぐ、チアキは都心に帰っちゃう。でも私は……チアキに何もしてあげられない。一緒に行って支えることも、行かないでって縋ることも……守るのは得意な筈なのに、あの人にはそれすらしてあげられない」
「……機関から抜けられれば、アマネちゃんでも守ってあげられるのにね」
「……え?」

 いつの間にか湯のみに下げていた顔を上げると、七都子は悲しそうな微笑みを浮かべていた。その表情に思わず見入る。わけもなく、改めて彼女が綺麗だと思ったのだ。

「仮にチアキ君が頑張って機関を辞めたとしてもね、一種は単独で行動し続けている間はずっと目を付けられるのよ。いつでも機関に連れ戻せるように。でも二種と一緒なら、それがなくなる」
「どうして?」
「機関から見れば[お荷物]だからよ。彼らは二種を採用しない、しても意味がないと思っているから。でも一種が二種と就業契約したら、その瞬間から契約が全てになる。満了まで理不尽な解約は許されないし、早めに契約を更新すればまた機関の対象から外れる。二種の監督っていう仕事は増えるけど……その方が自由だって選ぶ人も、少なくないわ」

 初めて聞く話だった。それなりの期間ヒーローとして仕事をしているが、聞いたことがない。
 ただ、なんとなく直感する。以前力也が話していた裏技とは、おそらくこの話なのだろう。二種の使い勝手の悪さを逆手に取った、強引な回避術。以前のアマネであれば憤っていただろう。

「ねえ、アマネちゃん。貴女はこの場所も好きだと言ってくれるけど……本当に欲しいものがあるなら、迷わず手を伸ばして欲しいって私は思うの。それはきっと、あの人も同じよ」
「……うん」

 ゆっくりと頷く。
 この夫妻には、アマネが思っているよりも大きな心配をかけているのだろう。それを申し訳ないと思う反面、やはりどうしたら良いか分からないのがもどかしい。否、もどかしかった。
 今は、ほんの少しだけ何かが見えてきたような。そんな気がした。
 

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