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ヒーローじゃない7


 遠くで電話が鳴っている。至って一般的な固定電話の呼び出し音だ。携帯電話を一人一台は持っている今の時代、固定電話を持たない家庭は着実に増えてはいる。
 アマネは携帯と固定電話の両方を持っていた。大した理由はない。ただ、町全体で契約しているケーブル回線で通話すれば料金が無料になるから繋げてくれ、と町の住民に頼まれたからそれに合わせて買っただけ。そこまで長電話をする趣味はないが、自分だけ入らないというのも具合が悪かったのだ。
 三コール目に差し掛かった所で呼び出し音がぷつりと切れる。微かに話し声も聞こえてきたので、誰かが電話を取ってくれたのだろう。
 ──取ってくれた? 一体誰が?
 ばちりと覚醒したアマネを見計らったかのように、今度はノックの音が二回響く。

「アマネさん? 起きてる?」

 名前を呼ばれる。一瞬誰だか分からなかったが、すぐに思い出してゆっくりと起き上がった。扉は開いてない。昨夜勝手に開けるなと釘を刺したアマネの言葉を律儀に守っているようだ。

「何?」
「力也さんから伝言。早めに来いって」
「……ん、分かった」

 返事をすると扉の向こうにいたチアキが離れていくのが足音で分かった。ふと置き時計に目を向けると短針は二を指している。深夜から昼にかけては交代で休息するので一人体制だが、この時間からはアマネと力也どちらも勤務時間内だ。
 それにしても、すぐに呼び出しとは人使いが荒い。胸中でぼやきつつ、アマネは一度大きく伸びをしてから支度を始めた。

 シャワーと昼食もそこそこにチアキを連れて宮前家を訪れると、リビングで事務作業をしていた七都子がいつも通りのにこやかな笑顔で迎えてくれた。彼女はヒーロー業務における経理や総務関連を全て一人で回している。大雑把な性格の力也に事務仕事といった細かい作業は圧倒的に不向きだし、外に出ている時間も多いので電話や来客対応も限界がある。アマネは力也よりはマシな方だが、それでも七都子の事務処理スピードには敵わない。こういった作業は得意だし好きだと快く引き受けてくれたので、その厚意に今も甘えている。
 軽快なタイピングで処理を進めている七都子に力也の居場所を聞くと、庭にいるという。その為、チアキと一度外に出て庭へと回り込んだ。

「おう、やっと来たか」

 サツマイモを株ごと引っこ抜きながら、気づいた力也が声をかけてくる。およそヒーローとは思えない姿だが、それはつまり今日もこの町が平和であるという証拠でもある。魔獣が出ればイモに構っている暇などない。昨日山菜採りに勤しんでいたアマネが言える台詞でもないかもしれないが。
 力也の足元を見てみると、大ぶりのサツマイモがごろごろと転がっている。ここの野菜達にはアマネも随分世話になっていた。宮前家が丹精込めて育てたサツマイモは、枯れ葉を集めて焚いた火で焼き芋にして食べるのが毎年恒例だった。今週末はサツマイモパーティーで決定だろう。

「わざわざ呼び出すから何かと思えば、サツマイモの収穫でも手伝えって?」
「それもアリだが、今日は違ぇ。ソイツ連れて巡回行ってこい」

 軍手に付いた泥を叩き落としながら、力也が顎で後ろにいるチアキを指す。一瞬だけ彼に視線を向けてから、再度力也と目を合わせた。

「わざわざ二人で行くの?」
「当たり前だろうが、チアキにゃまずここの地理を頭に叩き込んで貰わねえと話にならん。ま、[特級サマ]にとっちゃ朝飯前だろうが」

 ふふん、と鼻を鳴らす力也に、チアキが居心地悪そうな笑いを零す。それが最大の皮肉だということをこの場にいる誰もが分かっているからだ。
[特級]はヒーローにおけるランクのようなものである。ヒーローとしての功績や能力に合わせて、ライセンスとは別に国から与えられる称号だ。
 いくつかあるが、特級はその中でも一番上にあたる。つまり、青葉千晃は民間人からも国からも認められた最高のプロヒーローということだ。特級ヒーローは他にも何人か存在しているが、ヒーロー全体の数からすれば米粒程度の人数。限られた存在である。

「了解。なら、ついでにオイルの補充もしておこうかな。備蓄まだある?」
「倉庫にな。良い機会だ、一人行動に慣れちまった感覚も矯正してこい」
「分かったってば、煩いなあ」
「……あの」

 余計なことを言う力也に顔をしかめていると、それまで大人しく話を聞いているだけだったチアキが声を上げる。

「あん? なんだ」
「ずっと、気になってたんだけど……なんでアマネさんは、一人行動が駄目なの? ヒーローにそんな規律ないよね?」

 それはチアキにしてみれば素朴な疑問でしかなかったのだろう。不思議に思ったから、なんとなく聞いてみただけ。そんな、軽い気持ちだ。
 しかし、アマネにとってそれは一番答えたくないものだった。もっと言うなら、チアキのような人間に聞かれたくなかった。
 無言ながら鋭く睨みつけると、チアキは僅かに気圧された様子を見せる。どうやら察しは悪くないらしい。
 押し黙ったままでいると、力也に嗜めるような声で呼ばれた。

「卑屈キャラも年齢考えろ。余計惨めになるだけだぞ」
「知ってる」
「ったく……悪ぃなチアキ。言ってなかったが、コイツは俺やお前と違って[二種]しか持ってねえんだ。だから、一種の同伴なしで仕事すると違反になっちまう」
「え」

 それは彼にとって余程意外な理由だったようだ。目に見えて驚くチアキに苦い顔をする。わざわざ言葉で説明されるとこんなにもプライドをへし折られる感覚になるのか。知りたくもなかった。

「だからまあ、本当なら勤務時間中は俺が付いてなきゃいけねえんだが……この人手不足だ、後は分かるだろ? 実態がバレたら俺もアマネも良くて免停、最悪剥奪、面倒なことになる」
「そ、そうですよね……」
「つうわけで、最初の仕事はコイツの同伴。他は追々覚えていけ。何があっても目離すんじゃねえぞ」
「……もう良いでしょ? 巡回、行ってくる」

 頭を振って来た道を戻る。どすどす、と地面を踏み鳴らすアマネの後ろをチアキが追ってくる。それを眺めている力也の姿さえ、見なくてもなんとなく想像がついた。

 宮前家は住居の隣に倉庫がある。普段は使わない道具や収穫した野菜、それにかさばる酒類をまとめて保管する為の場所だ。
 オイルの備蓄は倉庫にあると力也が言っていたので、巡回に出る前にそれを持っていかないといけない。南京錠は庭で作業をしている力也が既に開けていたので、アマネ達はそのまま倉庫の中に入った。いくつかある棚から目当てのオイルがたっぷりと詰まった瓶を探し出す。
 確かに備蓄は問題なさそうだ。ただ万が一劣化していたまずいので、念のため一本ずつ瓶の蓋を開けて確認していく。
 その間、後ろにいるチアキは何も喋らなかった。容赦なく睨み付けてしまった後だ、彼なりに気を遣っているのかもしれない。
 こんなつもりじゃなかった、とアマネは内心後悔していた。力也の言う通り、二十五歳はもう良い年齢だ。チアキより二つ年上でもある。こんなことで感情を剥き出しにする程子供ではない筈なのに、上手くいかない。

 一種の指示に従って魔獣を討伐するのが二種の仕事。それは当たり前で、仕方のないことだ。しかし、一種は二種の管理を必ずしなければいけないわけではない。だから、二種ヒーローは食いっぱぐれる人間が多い。需要がないから仕事にありつけないのだ。田舎のヒーローは人手不足なのに、二種は必要とされない。なんとも悲劇的な話であると思う。

 だから、アマネは幸運だ。少なくともヒーローとして仕事を与えられている。しかし、同時にそれは巨大なコンプレックスとしていつも心の奥底で蠢いていた。結局、自分は一人では何も出来ない人間なのだと国から烙印を押されている気分になる。
 チアキの存在は、そんな汚い感情を刺激する。それが嫌でたまらない。だから一緒に住むなど真っ平ごめんだったのだ。
 小さく息を吐き出して、確認を終えた瓶の中の何本かを横に引っ掛けてあった革製の鞄に入れていく。液体と瓶でずっしりと重たくなったそれを取り上げると、そのままチアキに差し出した。

「持って。巡回で使うから」
「う、うん」

 受け取ったチアキがその鞄を肩にかけたのを確認してから、二人は倉庫を後にする。
 今日の空は秋晴れ、巡回には持ってこいの日和だ。それなのに、アマネの心は鈍く重い。


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