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ヒーローじゃない23


 考えて、考えて、考えて。アマネの中で少しずつピースが合わさっていく。
 どうするのが最善なのか、どうすれば──チアキを、助けてあげられるのか。
 限りなく低い可能性の中で、それでも、アマネは諦めたくはなかったのだ。

 髪を乾かし終えてリビングに戻ると、ソファに座って本を読んでいたチアキがこちらを向く。近寄ると、テーブルの上には開いたままの新聞や雑誌、本といった読み物と飲みかけのコーヒーが入ったマグカップが置かれている。朝に飲むコーヒーとは違うと一目で分かった。香りもそうだが、色が真っ黒だ。おそらく万が一でも眠ってしまわないよう濃いめに淹れているのだろう。

「特に変わりなさそうね」

 今日はチアキが夜勤の当番なので既にアマネはシフト外だが、様子を聞いておくに越したことはない。問いかけると、彼はこくりと頷いた。

「うん、平和そのもの。後は俺がうたた寝しなきゃ完璧かな」
「良く言う、そんなこと言って居眠りしたことなんか一度もないくせに」

 ほんの少し皮肉を込めつつ、チアキの隣に座る。彼に対しての棘はほとんど抜けたと言って良い。こういう物言いになってしまうのはただの性分だ。元々力也にも普段からこんな調子である。
 隣に座ってきたのが意外だったのか、チアキは少々驚きつつも読んでいた本を閉じてテーブルに置いた。

「寝ないの?」
「寝るけど……もうちょっと、一緒にいたい」

 言ってから、もう少し言葉を選ぶべきだったと今更照れてしまう。つい忘れそうになるが、相手は一応年下だ。しかし、口に出したことは今更なかったことには出来ない。想像通り、チアキは見ているこちらが恥ずかしくなるくらい嬉しそうに笑うと、すぐさま抱き寄せられる。

「そっか。はは、意外と甘えただよね、アマネさんって」
「からかわないでよ……ってちょっと、変な所触らないで! 仕事中でしょ!」

 大きな手が風呂上がりで下着を着けていない胸の柔らかさを楽しむように動き始めるのをすかさず叩き落とす。平和でも待機は待機だ、不埒なことをさせるつもりは毛頭ない。
 チアキは「ごめんごめん、つい」と全く反省していなさそうな声で謝りつつ、今度はアマネの側頭部に顔を寄せた。すん、と匂いを嗅いで、それから長い髪に擦り寄ってくる。チアキはこういうスキンシップが好きなのかことあるごとにしてくる。こうしていると、まるで犬でも相手にしている気分だ。大型犬、ゴールデンレトリバー辺りか。

「んん、良い匂い。俺、アマネさんの髪好きだな。柔らかいし」
「そう? 猫っ毛の人なんて皆こんなものだと思うけど」

 くすくす笑いつつアマネも腕を回して彼に抱きつく。流石は特級ヒーロー、こうして触ってみると本当に無駄のない身体つきだ。重い剣を振り回しているので当然腕は鍛え抜かれているが、それ以外の所もバランスが良い。どうやっても一定以上の筋肉が付かないアマネからすれば羨ましさを通り越して感心してしまうくらいだ。
 アマネの場合、努力不足というよりは遺伝的な問題だ。疾患という程重くはないが、それでも一種の壁を超えられないくらいには問題がある。

 以前までは、それが嫌で嫌で仕方なかった。しかし、今はそれがようやく役に立つ時が来るのかもしれないと心がざわめいている。
 七都子から聞いた話を、この数日間ずっと考え続けていた。明確にどうする、という答えはまだ出ていない。否、あるにはあるがそれはアマネ一人では出来ないことなのだ。

「……ねえ、チアキ」
「ん?」
「もう……行っちゃうんでしょ。明後日には」

 その言葉に、抱き寄せていたチアキの腕の力が強くなった。それが何よりの返答な気がして、アマネも同じだけ抱き締める力を強くする。


「……そうだね」
「……行かないでって、言えたら良かった。でも、やっぱり言えない」

 それこそ何も考えずに駄々を捏ねられる子供だったらどんなに良かっただろう。泣いて、喚いて、縋って。そうすれば無理にでも何かが変わるのかもしれない。
 しかし、時間がない今この瞬間でさえやはりそれを言うのは躊躇われた。大人としてより、同じヒーローとして、彼の気持ちも少しばかり理解しているからだ。
 心も身体も深く傷付いて、それでも誰かがやらなければいけない仕事。それを無責任に放り出して逃げられる程、チアキは器用な性格をしていない。逃げられないから追い詰められて、しかしそこから逃げたくて、だから命を絶つという道を選んだのだ。そんな彼が生きたまま逃げたとしても、そこに待っているのは終わりのない罪悪感と絶望感、そして追ってくる機関の人間から隠れ続けなければならない人生。そんな未来を、この優しい人に背負わせるわけにはいかない。

「うん、分かってる。もし俺が逆の立場だとしても、同じように言えなかったと思う」
「でもこのまま帰るのは、絶対ダメ」

 もう一度強く抱きしめてからそっとチアキの身体を離す。真っ直ぐ、視線を合わせた。こんな方法でしか守れない自分が情けないと思う。しかし──それで、彼を助けられるというのなら。恥も外聞も捨ててしまおうと本気で思うのだ。そんな風に思える相手はチアキが最初で最後だろう。

「チアキ。私の、監督者になって欲しい」

 アマネの言葉が予想外だったのか、チアキは若干呆けたように目を瞬いた。この流れで何故その提案に行きつくのか分からないのだろう。トップレベルのヒーローである彼でさえ知らない抜け道、確かに力也や七都子の言う通りあまり知られていないことのようだった。
 二種という[お荷物]を抱えることで、国という枷から抜け出せる道。それは結果的に彼を死なせずに済む道かもしれないが、生かしきることも出来ない。民間人の精神的支柱として、絶対的なカリスマを誇るヒーローとしてのチアキはもう存在しなくなるからだ。華々しい活躍をしない人間をメディアは取り上げない。そうすれば、チアキが持つ特級という称号は剥奪されてしまうだろう。それが本当に一番良い道なのか、アマネには分からない。しかし、思いつく限りではこれが最善だった。
 話を聞き終えたチアキは暫くの間考え込む素ぶりを見せたものの、やがてゆっくりと頷いた。その顔は穏やかで、少なくとも不快にはさせていないようで安堵する。

「そっか……その手があるか。あー確かに、なんで今まで思いつかなかったんだろう」
「普通は考えないもの、こんな方法。デメリットの方が大きいから」
「そうかな。少なくともアマネさんと組んだらデメリットなんか出ない気もするけど」
「変なフィルターかかった目で言われても……」

 呆れた眼差しを向けると、チアキは慌てたように「違うって!」と首を振った。

「そこはちゃんとフラットかつシビアに考えてるから! 俺の武器は剣で射程が短いし、はっきり言って防御は全く向いてないし。そういう所はアマネさんにフォローして貰えればお互い無駄な怪我しなくて済むかなって」
「まあ……分からなくはないけど」
「あ、でも力也さんとの契約はどうするの?」
「今そこは気にしなくて良い、どうとでもなるから。それより問題なのは、これは現状使える手じゃないってこと」

 二種の採用を認めている自治体等ならともかく、チアキが今所属しているのは二種門前払いの国営機関だ。だからこそ使える手であるのだが、裏を返すとその所属から一瞬でも外れない限りずっと使えない方法になる。

「やるかやらないかは、チアキの自由。結局一番大変なのはそっちだから」
「うーん、そうだなあ……」

 首を捻りつつ、チアキは視線を窓の外に移す。今日は雨も風もない穏やかな夜なので外は至って静かだ。
 少しの間窓の外を見つめて、それから彼は立ち上がった。

「緊急電話はアマネさんのスマホにも転送されるんだっけ?」
「え? うん」
「じゃあ、ちょっとだけ一緒に散歩したいな。頭冷やして、整理したいこともあるし」

 来てくれる? と手を差し出される。珍しい誘いに面食らいはしたが、アマネはその手を取って立ち上がる。確かに、気分転換は大事だと思うし、何よりも彼の表情が明るいことに安堵したのだ。


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