ヒーローじゃない4
夕食の支度があらかた終わった所で七都子が階下から力也達を呼ぶ。程なくして賑やかな声と共にチアキと力也、そして力也の肩に乗った小さな女の子がリビングへと戻ってきた。
「あっアマネちゃん!」
テーブルに料理を並べるアマネに気付いた女の子は「下ろしてパパ! はやく!」と手足をばたばた振って暴れる。顔を叩かれながらも力也が下ろしてやると、女の子は真っ直ぐ駆けてきたので、アマネは一旦作業の手を止めて彼女の目線に合うようにしゃがんだ。
「こんばんは、ひめのちゃん」
「こんばんは! おしごと、終わったの? 今日はうちでごはん?」
「そう。山で色々採ってきたの、栗と山椒と……あと、ひめのちゃんの好きなアケビもね。後で一緒に食べよう」
「わあ、やった! チアキくん、アケビだって! チアキくんにはひめのが分けてあげる」
大好物の名前を聞くなり、ひめのは顔を輝かせてチアキの方に顔を向ける。彼は笑顔を浮かべて一つ頷いた。
「ありがとう、ひめのちゃんは優しいね」
「えへへ」
「……あらまあ、すっかり懐いちゃって」
思わず口から出てきた言葉は誰かに向けてというよりは独り言に近い。力也と七都子の娘であるひめのはまだ小学校にも上がっていない程に小さいが、元気で人見知りをあまりしないので誰と話してもこんな感じだ。ただ、アマネと七都子が夕食を作っていた短い時間で好物をすすんで分ける程すぐに懐くのは初めて見る。
良いことではあると思うが、チアキの隣で絶望感に打ちひしがれている力也の顔を見ると手放しで喜ぶのも憚られた。
「ひめの……パパは……パパには一口だってくれないのに……」
「だってパパのひとくち、大きいんだもん! ぜんぶ食べられちゃう」
「ううっ……パパのひめのが若い男に誑かされている……俺は許さねえぞ……!」
「何言ってるんだか、自分でひめのちゃんの所に連れてったくせに」
やれやれと首を振りつつ、アマネは立ち上がってまた手を動かす。中央に魚料理の大皿、その周りを様々な山の幸を使った料理が並んでいく。珍しい来客ということで、七都子がいつも以上に気合いを入れて作った料理達だ、美味しいに決まっている。
空いたトレイを持ってキッチンに戻り、今度は人数分の取り皿と箸、それにグラスを乗せていく。それなりに重さが増したトレイをまた運ぼうとすると、横からひょいと持っていかれた。
「えっ、あ、チアキ?」
「手伝わせて。あっちに持ってけば良い?」
「う、うん。そう」
頷くと、チアキはトレイを持ってリビングへと戻っていく。急に手持ち無沙汰になってしまったことで一瞬呆けていると、汁物をよそっていた七都子が楽しそうな声を上げた。
「あら、若いだけじゃなくて気が利くのね。あの人とは大違い」
「七都子さん、辛口ー」
「ふふ、じゃあアマネちゃんはこっちをお願い。気を付けてね?」
七都子が渡してきたのは汁物をよそい終わったお椀が整然と並ぶ別のトレイだった。先ほど下ごしらえした野菜が沢山使われたけんちん汁である。
五人分くらいであれば余裕で持てる。アマネは受け取ると落とさないようしっかりと持ち直した。
「うん、大丈夫」
「ありがとう。ほらあなた、いつまでも拗ねてないでお酒取ってきなさい! どうせ飲むんでしょう?」
七都子の一喝に、それまでいじけていた力也は大げさにため息を吐き出して踵を返す。酒類は温度調整された倉庫にまとめて保管してあるので、そこから適当に見繕ってくるのが常なのだ。
「うう、七都子まで俺に冷てえ……俺の人権はどこに……」
「……力也さん、私が来る前に一杯引っかけたの? 完全に面倒な親父になってるけど」
「いいえ。気にしなくて良いわ、チアキ君にひめのが取られてショック受けてるだけだから。まだ幼稚園生なのにこれじゃ、いつかひめのが彼氏でも連れてきた時どうするのかしらねえ」
全く困っていない様子で話す七都子に、確かに、とアマネは力也が出て行った扉に目線を向けた。既に当人はそこにいないが、いじけて丸まった背中が今も鮮明に浮かんでくる。
大事な一人娘が可愛いのは分かるが、あの溺愛ぶりだけはどうにかした方が良いのではないかと内心ひそかに考えていたのだ。少しチアキに懐いただけであの反応では身が持たない気がする。言った所でどうにもならないのも分かっているので口には出さないが。
七都子さんも大変だな、と苦笑しながらアマネはトレイを持ってリビングへ戻ったのだった。
「あら、じゃあここには今日来たばかりなのね」
配膳も済み、全員が食卓についた所で夕食の時間が始まった。七都子が腕によりをかけた料理はチアキの口に合ったようで、彼は淀みのない動作でおかずを取り皿に盛っては食べることを繰り返していた。気持ちは分かる、少し気を抜けばアマネも話を聞かずに黙々と食べることに集中してしまいそうなくらいに彼女の料理は美味しいのだ。
川魚のムニエルは軽くスプーンを入れるだけでほろほろと身がほどけるくらい柔らかいし、サラダにかけられた自家製のドレッシングはほんのり香る山椒が良いアクセントになっている。そして何より目にも鮮やかな栗の実がごろごろと入った栗ご飯は絶品だった。栗の甘みと米の甘みに、それを生かす程よい塩気。栗も米もとれたてだということを差し引いても美味しすぎる。彼女が作る様子は何度も見ているのでレシピは頭に入っているが、それでもアマネは七都子と同じ味の栗ご飯は作れない。
料理に舌鼓を打ちつつ、七都子がチアキにいつからここにいるのかを聞いた。彼は今日の昼前にはこの町の最寄り駅に着いていたのだという。
「はい。車とか自転車みたいなアシは持ってなかったので、そこからはずっと歩いて」
「歩いて山まで? 凄い、随分時間かかったでしょう」
「そんなに珍しいんですか……アマネさんにも驚かれました」
「珍しいっていうか、普通の人は音を上げる。だって、ほぼ全部山道じゃない」
サラダをよそいながらアマネが口を挟むが、チアキはあまりピンときていないような顔つきだった。駅からあの山までは片道二時間弱はかかるし、ふもとに着いたとしてもあとはずっと上り坂が続く。いくら道路が舗装されていたとしても、普通の人にしてみればちょっとした登山と遜色ないほどに体力を使うのだ。少なくとも地元の人間はまず選ばないコースといえるだろう。
「そこまでしてウチの山に何があるってんだ? 都会の人間から見りゃあ大したモンなんざ何もねえだろ」
「そうでもないですよ。いつもは雑多なビルばかり見てたので、静かな山の中は、随分心が落ち着きました」
笑顔で答えるチアキに嘘を言っているような様子はない。それでも、本当のことを知っているアマネとしては正直微妙な心境だ。
心が落ち着いて、そして自殺しようとした? 何一つとして繋がらない。
「そういえば、今日の宿はどうするの? どこか予約してる?」
「あ、そうだ」
七都子の質問で今更アマネは思い出す。そもそも宮前家を訪れたのは夕食をご馳走になる為だけではないのだ。
「ねえ、七都子さん。チアキ、暫くこの家に置いて貰えないかな?」
「あら……どうして?」
「チアキ、長期旅行者なんだって。ずっと宿取ってたら旅費かさむし。私みたいに仕事あげればそれなりに働いてくれるだろうから」
「えっ、ちょ、アマネさん」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのか、七都子よりも先にチアキの方が焦った声を上げる。行く宛も帰る場所もないと言ったのは彼の方だ。山で確かにそう聞いた。それなら、こうするしかない。
「何? 何かまずいことでも?」
「まずいっていうか……いきなり迷惑なんじゃ」
「うちは小さい町だから常に人手不足なの、猫の手も借りたいくらい忙しいの! ね、七都子さん」
「そうねえ……貴重な男手だし、仕事してくれるなら助かるわ。部屋も空いてるし」
七都子の反応の良さに、それまで夢中で夕食を食べていたひめのがぱあっと嬉しそうに笑う。
「えっ! チアキくん、うちに泊まるのっ?」
「そう。良かったね、ひめのちゃん。チアキ、一緒に寝てくれるって」
「ちょっとアマネさん……」
とんとん拍子で話が進んでいく。これでどうにか一安心か、とアマネが安堵しかけた時。
「おい待ちやがれ! 俺は認めねえぞっ!」
だん、とビールジョッキをテーブルに叩きつけながら力也が吠える。
そういえば、こっちの問題が残っていたのだった。
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