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ヒーローじゃない6


 椎茸は石づきを切り落とし、薄切りにして出汁の入った鍋に入れ、火が通ったら合わせ味噌を溶かす。出汁と醤油、ほんの少しの砂糖を加えた溶き卵は手早く巻いてだし巻き卵に。そこに作り置きやお裾分けで貰った副菜を並べて、炊きたてのご飯を付ければ立派な朝食になる。
 アマネは夜勤明けでもしっかりと朝食を用意する。というより、夜勤中に作ってしまうと言った方が正しいかもしれない。夜通し起きていることにはもう慣れがあるのでなんでもないが、そうはいっても座ってばかりだと眠くなってしまうこともある。待機中は基本的に家から出ることも出来ないので、そういう時は適度に頭と身体を動かす料理は良い気晴らしになるのだ。作ってしまったなら、食べる所までセットになるのは当然のことだ。だから、力也と勤務交代の時間になる六時には作った朝食を食べて、余裕があれば掃除や洗濯といった家事をこなしてからようやく眠るのが定着していた。
 味噌汁が入った鍋の火を止めた所で、扉が開く音がする。目線を上げると、どういうわけか流れで一緒に暮らすことになってしまった青年──チアキが寝室から出てきた。既に着替え終わって、寝癖もついていない。まだ六時で比較的朝早い時間帯だが全く眠そうな素振りも見せない辺りは、流石である。有事の際に寝ぼけ眼なヒーローなど、締まるものも締まらないだろう。

「おはよう」

 カウンター越しに声をかけると、チアキはキッチンにいるアマネに近付いてくる。

「おはよう。アマネさん、夜勤は?」
「もう終わった。今は力也さんが交代してる」
「そっか……良い匂い」

 味噌汁の鍋から立ち上る湯気と出汁の香りに、チアキは機嫌良く目を細める。なんの変哲もない、椎茸の味噌汁だ。特別なことなど何もないが、朝起きて嗅ぐ匂いとして魅力的だというのは同感である。和食なら温かい味噌汁や炊きたての白米の香り、洋食なら焦げ目がついたトーストや香ばしいコーヒーの香り。そうした匂いはまだ稼働しきれていない脳みそを自然と起こしてくれる。個人差はあるだろうが、どうやらチアキも朝食はきちんと食べるタイプのようだ。

「食べるなら先に顔洗ってきて、準備しとく。何かいるものある? 剃刀とか?」
「いや、平気。タオルだけ借りるよ」

 ひらりと手を振って、チアキは洗面所がある廊下へ歩いていった。すぐに水音が聞こえてくる。その音を聞きつつアマネは料理をどんどん盛り付ける。そういえば、この家で自分以外が出す生活音を聞くのは久しぶりのことだった。

「昨日の話なんだけど」

 用意した朝食を食べていると、急にチアキが神妙な様子で話を切り出す。彼の向かいでふわふわに巻いただし巻き卵に箸を入れていたアマネは何事かと視線を上げた。
 昨日は色々ありすぎて、一体どれのことを話しているのかさっぱり分からない。同居のことか、仕事のことか、それとも──死のうとしていたことか。

「昨日の話?」
「俺がヒーローだって話」

 正直、拍子抜けだった。彼が何を気にしているのか知らないが、それはアマネにとって一番どうでも良い話題だったのだ。良し悪しの問題ではなく、単純に当たり前過ぎて今更何を話すことがあるのだろうという疑問心だ。

「貴方が青葉千晃だってこと? 何度も言うけど、私は最初から分かってた。力也さん達だって知ってる、多分」
「ええー……そうなんだ……」
「じゃなきゃ、貴方を雇うなんて話にはならない。うちはヒーローの人手不足が深刻なんだから」

 眉を寄せつつ、割っただし巻きを口に放り込む。ほろりとほどける卵の中から、出汁と醤油の香りが広がる。この配分は七都子に教えて貰ったもので、甘い卵焼きを好まないアマネにとってこのだし巻きは神のレシピに等しかった。

 チアキのフルネームは、青葉千晃。日本で知らない者はいない、圧倒的な人気を持つプロヒーローだ。
 ヒーローの職務は魔獣を討伐することだが、細かな内容は個人差がある。
 アマネや力也のように町の安全を守る警備色が強い仕事をしている人間もいれば、魔獣の大量発生やそれに伴う深刻な獣害の解決にあたる人間もいる。
 チアキは後者だ。政府直属の魔獣討伐機関に所属している彼の本拠地は都心で、要請があれば魔獣に脅かされている地域に赴いて戦う。その勇姿は魔獣を倒せない民間人からすれば輝かしい存在で、メディアの煽りも合わさって彼のようなタイプは殊更注目を浴びるのだ。彼の姿など、直接会わなくてもテレビや雑誌が勝手に提供してくれる。顔を知っているのはその為だ。
 一方、アマネはどこの機関にも属していない、フリーのヒーローだ。今は力也に雇われているが、根本的には国にも自治体にも属さない。力也は元々県から派遣されているヒーローである。都心に比べて田舎はヒーローの人手不足が深刻化しているので、現地のヒーローが自前で人員を補填するのはさして珍しいことではないのだ。県から手当も出るというので、本来一人きりで町を見なければならなかった力也にしてみればアマネの存在はまさに猫の手、だろう。

「うーん、そっか……そうだよね」

 難しい顔をして唸るチアキが一体何を考えているのか。アマネが理解出来る日は永遠に来ない気がする。富も、名声も、力も、欲しいもの全てを手に入れた[勝ち組]の考えなど、分かりたくもない。

「とりあえず、衣食住は保障してあげるから。放り出されたくないなら精々きりきり働くことね」

 皮肉たっぷりに言ってやると、チアキは目に見えて苦く笑った。

 朝食を食べ終えると、後片付けはチアキがやると言ってくれたのでお言葉に甘えて洗い物は任せることにした。食器をシンクに置いてしまえば、もうアマネがやることはない。他の家事も今日は特にないので、後は眠るだけだ。
 気が抜けたせいか大きな欠伸が出る。口元に手を当てて忍び寄る睡魔を少しずつ受け入れていると、同じように食器を持ってきたチアキがこちらを見る。

「この後は? もう寝る?」
「……うん。次は昼過ぎに力也さんとこ行かなきゃだし、それまでに寝とかないと」
「夜勤があると、生活リズム狂うよね。俺も最初は大変だったな」

 懐かしそうに話す彼に一つ頷く。ヒーローに夜勤は付きものだ。どんなに有名なヒーローでも必ず経験する。魔獣の活動時間に昼夜の概念はないからだ。
 この辺りはそこまで魔獣の発生率は高くないが、それでも何かあった時の為にすぐ動けるよう準備しておく必要はある。魔獣が人の命を奪ってからでは何もかもが遅い。
 アマネもチアキも年単位でヒーローをやっているので、その辺りはもう慣れている。異常に寝起きが良いのはアマネも一緒だし、どの時間帯でも眠る必要があるなら眠れるのはチアキも一緒だろう。

「力也さんに呼ばれるまでは、好きにしてて。家にいても良いし、その辺を散策しても良い。任せる」
「うん。おやすみ、アマネさん」

 穏やかに見送られつつ、一旦洗面所で歯磨きだけ済ませてからアマネは自室に戻った。レースカーテンから漏れる日差しを厚手のカーテンで遮って、肌さわりの良い寝巻きに着替え、それからベッドの中に入る。
 元々近づいてきていた睡魔はベッドに入ったら更に加速した。ぼんやりとしていく意識の端で、耳が水音を拾う。チアキが洗い物をしている音だろう。かちゃんと、食器同士がぶつかる固い音も聞こえてきた。
 それがなんだか心地良くて、とろりと溶けるように意識を落とす。不思議と、夢は見なかった。


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