#俺がとめるを推す理由
俺がとめるを推す理由について考えてみよう。
一体とめるの何が俺をここまで狂わせるのか、全く不思議だ、こんなこと今までなかった。
もうV豚歴はかれこれ6~7年目とかに突入するが、ここまで絵被りおしゃべり女に夢中になるとは、、思いもしなかった。
いろいろと理由はありそうだが、なるべく具体的に、すこすこポイントを例示しつつ、その魅力とぼくの狂いっぷりを紐解いていこう。
①絵がかわいい
Vの構成要素のうち、ぼくが最も重要視しているのは「絵」、つまり見た目の姿かたち。
割と思考がルッキズムの権化なので、見た目が良い、顔が良いことは最低必須条件、かつぼくの性癖にドストライクしてくれないとまず見ることもない。
ココすごく大事で、配信内容や企画内容がどれだけ面白いと前評を聞いていたとしても、ルックスが趣味じゃないとちょっと継続して視聴を続けることは難しいですね。
人は見た目が9割、絵被りも絵が9割、当たり前だよね。見た目が良ければ全部許される、現実と同じですね。
さてとめるちゃんの「絵」を見てみましょうか
あらかわいい、これは11歳
太田幼女マッマの才能爆発、これほどかわいい11歳なかなかおらんで、なぁ?
頭身が完璧だよね、あと目の中のデザインもいい、モニターが映り込んでるってのが素晴らしい。
くるくる金髪ツインテールが似合いすぎ、くるくる金髪ツインテールが似合うVランキング1位だろこれ、2位以下は知らん。
ちっちゃい女の子がデッカイ重火器背負ってるの性癖、これ嫌いなオタクおらんやろマジ、ドストライク、滾る。
立ち絵だと引きずってたり巻き付いてたりするF龍くんもかわいい、幼女+銃+マスコット、オタク大好きハッピーセット、幸せの味がする。
胸の謎の構造物が動いたり光ったりするのもいい、ガキが好きな謎ギミック、もちろんおっさんも大好きなやつ、間違いない。
いやもう顔がいい、かわいい、もう癖ど真ん中よ、勝てない、超好き、狂っちゃう。
キリが無いのでこれくらいにしとこう、すでにV豚キッショ…って脳内アンチからお便り届いてますけど、ここからさらにキショイので覚悟決めろや。
②声がかわいい
視覚情報の次は聴覚情報、目から入る絵の情報が合格点なら、次は耳に入る声の情報次第。
聞いていて心地いいか、耳さわりが良い声かというのは、長くその人を見続けるためには超重要ポイント、
聞いていて不快な声質だったら話なんか聞いてられないよね、耳が腐り落ちそうになるドブ声なんか会社で聞き飽きてんだよ。
さてとめるちゃんの声を聴いてみよう
あらかわいい、初期と今とでは声の張り具合にだいぶ差があって、今の方がダミ声(笑)だけど、どっちもかわいいね。
初期とめちゃんの墓投げボイス、正直性癖です。たまに聞きたくなるクセがある。
今のダミ声も好き、とにかくよく通る声してるよね、はっきり聞き取りやすいし、感情が声に直接乗っかってくる感じ、好き。
楽しいときは楽しそうで、悲しいときは悲しそうで、声を聴くだけでその時の感情がくみ取れる、そんな声、才能だと思う。
人の感情をはっきりと感じ取る機会なんて、現実世界では少ないからね、というかここまではっきり声に感情乗せてしゃべるやつおらん。
あぁこの人は今楽しいんだな、悲しいんだなって感情が、声から聞き取れるっているのがまた気持ちいいんだ
楽しそうな声を聴けば楽しくなるし、悲しそうな声を聴けば悲しくなる、こっちの感情まで揺り動かす力がある、パワフルな声でとてもすき。
あとかわいい、というかかわいい、これが全て、声がかわいいのよ、かわいい。
どこがわいいの?と聞かれるとむずい、かわいいもんはかわいい、アラサーからこの声ひりだしてるのも正直興奮する、こんなこと言ったら怒られるから言わないけど。
③トークの引き出しが宇宙規模
見た目よし、声ヨシ、そして話が面白い、三方ヨシの完璧超人、それが息根とめる
話がおもしれーんだ、これが、話題のチョイスも秀逸だし、1あったことに9のおもしろを足して10にして話すことができるトークの才能、
一体どうしたらそんなしゃべれんの?っていうくらい、恐ろしいほどしゃべるしゃべる、流石絵被りおしゃべりマシーンを自称するだけのことはる。
人によっては毒親エピや壮絶人生経験の話に共感を覚えて~みたいな切り口で彼女のトークに惹かれていった場合もあるようだが、
もちろんぼくもそのあたりの話を聞くのは好き。。。いや好きというか興味深いな。。。と思うことはあるけど、それってあくまでスパイス扱いでいいのかなって。
育ちや境遇の壮絶さが今の彼女を形作る上で重要なピースではあるけれど、決してそれをメインディッシュに据えるような真似はしないじゃないですか。
過去の経験を振り返って、今こう感じるのはあの時こういう経験をしたからなのかも、と、なんだかんだでかなり冷静に自分の感情や気持ちを整理している節があるよね。
とにかく今を見て!っていう感じ、今のとめるを、とめるが提供するコンテンツを見て楽しんでほしいっていう、生粋のエンターテイナー気質がいつも感じられるし、
それがトークの話題選定や言葉選びにも生きている、気がする。
なんていうかこう、とめるの話を聞いてるのが好き、楽しかった思い出、辛かった思い出、今日あったこと、食べたもの、犬猫の話、SKDの悪口、悩んでること、楽しみなこと、活動のこと、関係のない日常の珍事、なんでも、
楽しいこと、つらいこと、イラつくこと、なんでもかんでも、とめるの口から語られる話は全部魅力的で、どんな話題でも引き込まれてしまう。
とにかくしゃべるんだ、あいつ、楽しそうに、悲しそうに、その時の感情のままに、自分ことをたくさん話してくれる、いつまででも聞いていたい、こんなんもう好きじゃん。。。しんど。。
④とめるのゲーム配信ならいつまででも見れる
ここまでのすこすこポイントだけをまとめると、正直ほかにも同じような、というか、見た目がかわいくて声が良くて話がおもしろい、なんて、全Vの必須教養科目みてぇなとこあるし、
それこそ星の数ほどいるんですけどね、まぁ衝撃だったというか、個人的にとめるで初めて感じたことが、ゲーム配信がおもしろい、というところでした。
自分語りいきま~す
気づけば僕もV豚として長らく生きてきましたが、そもそも配信者的な立ち振る舞いというか、それこそゲーム配信がメインですみたいなストリーマー気質なVって、あんまり見てこなかったんですよね。
当時は”バーチャル”ユーチューバー黎明期、未だにこの言葉の定義について喧々諤々し始めるやつは老害扱いでしょうが、まぁぼくももれなく老害側です。
どことなく逆張り気質もあって、ゲーム配信者然とした活動をメインにしているVを、どこか下に見ていた節は正直ありますね。
あとゲーム配信自体に全然興味というか、関りが無くて、ニコ生全盛期に青春時代を過ごしていたのに、当時はまったくインターネットに触れていなかったので、
配信者文化というものが正直全然わからなかったんですよね、Vに出会って初めてそういう界隈のことも知り始めたというか、、、
ともかく、人がゲームしてるのを見て何がおもろいん?ていうのが、正直な感想でした。
自分自身、特にゲーマーというわけでもなく、成人して以降ちゃんとプレイしたタイトルって片手で数えるほどしかないですし、ゲーム自体にそんな関心がなかったんですよね。
どれだけ見た目がかわいくて、声が良くて、話が面白いVでも、ゲームってなるとまぁ別にどっちでも、、、と、あまり熱心に見ることは少なかったように思います。
さて、息根とめるはどうでしょうか。
やつは自身のメインコンテンツはゲーム配信にしたい!と以前から語っていました。
これを聞いた時、あぁちょっと推し続けるのはむずかしいかもな?と正直思ってました。雑談のトークのおもしろさにかなり惹かれている部分はありましたが、
ゲームとなると自分にはついていけないかもなぁなんて、杞憂したもんです。
無意味でしたね、杞憂、あまりにも無駄な杞憂でした。
おもろいんよ、とめるのゲーム配信。めっちゃおもろい。ビビる。
プレイングの上手い下手は正直あんまわかないです、けど、どんなゲームでも必ず面白いんですよ、とめるのゲーム配信。
FPSやアクション性の高いもの、ストーリー性が高いRPG系、単発のバカゲー、アドベンチャーやローグライク、なんでもそうなんですけど、
ゲーム上で起こる様々な事象に対して、常に最大かつ最高のリアクションをしてくれるんですよね。
敵をぶちころしたときに歓喜の雄たけびを上げ全力で喜ぶ様子、登場人物にがっつり感情移入しちゃってちょっと涙ぐんじゃう感受性の豊かさ、
ゲームを進めていく中で移り変わるさまざまなイベント事に対して、常にコロコロと感情が、表情が、声が、動き続けてる、これがたまらない。
ゲームの内容がよくわからなくても、とめるのリアクションを見聞きしてるだけで、今何が起きてるのか、今どんな感情なのかを理解することができるし、
そうやって楽しそうにゲームをプレイしているとめるの様子が、たまらなく愛おしいし、楽しそうでかわいい。
とめる的には、もっとゲーム自体のプレイスキルとか、ゲーム配信自体への興味関心を持ってくれるリスナーを増やしていきたいんだろうなぁと思うので、
ぼくみたいなリスナー層は、好ましくはあるけど望ましくはないのかな?と思うこともありますが、
とめるが楽しそうにゲームしている様子を見るのが好き、というのは変わらないですし、
ゲームにさして興味がない層も、とめるがゲームしてる様子がみたい、という理由だけで一定数見に来ているので、これはこれですごいことだし、とめるの魅力だと思てます。
そしてマッチングの待機中や合間合間に突然爪切りを始めたり、犬猫と遊び始めたり、飯を食い始めたり、そんな大事な告知今するの?みたいな、突然の雑談も楽しいし、
すべてがゲリラ、なにもかもが突然始まりそして終わる、そんな先の読めなさも、とめるの魅力ですね。あまりにも無計画で困ることもあるが、手のかかる子ほどかわいいとはよく言ったもんです。ガキが代。
⑤やりたいときにやればいい、強い雑草が育ちました
配信がいつあるのかわからない、そもそもあるのかないのかもわからない、いつなにをするのかもわからない、、ないない尽くしのクソ不親切設計なのが息根とめるのウリですが、
これはコンテンツ供給がなくても生き延びることができる強い雑草を育てる意図だったことが、過去複数回にわたって語られています。
なんてクソガキだ、コンテンツ提供者としてあるまじき怠慢!許せない!と感じられる方、ご安心ください、それが普通の感性です。
学生社会人問わず、普通の世を生き忍び耐え抜いている方々にとって、可処分時間にはどうしたって限界があり、限られた時間の中でいかに効率的に余暇を過ごすかはとても大切な視点です。
予定も計画もなく、予告も通達もなく、あるんだかないんだかわからない何かを追い続けるなんて、普通の生活、精神状態では不可能に決まっています。
その不可能を超えてくるのが息根とめるが育ててきた雑草たち、我々とめラーです。
いやね、イラっときますよ、そりゃ、私生活の予定がてんで立たないし、マジでクソ迷惑ですよ、ええ。
でも、いざ配信が始まると、絶対にクソおもろいんですわ、もうわかってんのよ、それが。
で、どうなるかっていうと、余裕のある大人と、ガチもんの気狂い、この二属性だけが残りましたよと。
なにがあってもとめるについていく、確固たる意志と志を持つ者だけが残り、あとはふるい落とされていきました。
頭おかしいよ、どう考えても、でもおもしろいんだもの、他に代替できるコンテンツ、ないんだもの、
とめるの代わりはいない、誰にも務まらない、そう思わせた時点で、とめるの勝ち、俺たちの負け。
やりたいときにやりたいことをするから、みんなも気楽に推してね、とは彼女の言葉ですが、この心構えをもてる人間だけが、とめラーとして生き残れるのでしょう。
やりたいことをやりたいようにやっているとめるは、見ていてとても清々しく、楽しい気持ちになります。
我々も同じように、見たいときに見て、見れるときに見て、あとは好きな時に好きなことをしていればいい、そう思わせてくれることに、どれだけ助けられたことか。
配信頻度は上述の通り全く読めないですが、一旦配信を始めれば、もうノンストップおしゃべりマシーン、
雑談だろうがゲームだろうが企画だろうか、何時間もしゃべりっぱなしで、1分1秒全ておもしろいという奇跡が、そこに生まれます。
これがたまんねぇんだわ、離れられない理由、無限に続くかのような不安定供給の果てに、やっと供給がきた!と思ったら、想像通り、いや想定以上のおもしろが待っている、
この需給バランスですよ、本当に絶妙、ファンが離れない一因、息根とめるの配信はおもしろい、たったこれだけでいい。
⑥いつだってとめるはおれの感情を動かしてくれる
誰かの感情を動かしたい、と語っているシーンがありましたが、その言葉の通り、とめるの立ち居振る舞いには、いつも感情を動かされてばかりです。
確固たる自分自身をちゃんと持っているからこそ、その姿に惹かれるのでしょう。
なんとなくなぁなぁで流れるままに身を任せ、やりたいことも、やるべきことも特にないまま、ただ日銭を稼ぎながら死んだように生きている自分にとって、
苦境逆境に立たされながらも、自分のやりたいことを自分がやりたいようにやるんだ!という意思の強さは、見ていてとても気持ちがいいものがあります。
こんな風に生きるのは、自分には絶対できないな、すごいな、輝いてるな、彼女の姿に、たくさんの元気と勇気を、もらってばかりです。
こんなに頑張っている人もいるんだ、応援してあげたいな、とか、自分も頑張らなきゃな、とか、見ている人の感情を、いつだってポジティブに動かしてくれる、
あ、うーん、いや、毎回必ずポジティブって訳でもねぇか。。。いやなきもち、暗い感情、そういうマイナスな側面もたまにボロボロでちゃってるもんね。
そう、それがいいのよ、綺麗なところだけ磨いて飾って見せてくるモノコトヒトにはもう飽き飽き!人間そんなにうまいこといかねぇわボケナス!
って暴れてくれるのよね、ぼくらに代わって、言いづらいことも臆せず、嫌なもんは嫌だ!ってはっきり言ってくれるのが気持ちいいのよ!
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、そんな簡単なことを、だいたいの人は知らず知らずのうちに、口に出せなくなってしまうのが世の常というもの。
少なくともぼくはそう、自分の意思を、自分の中にある感性だけを頼りに、白黒はっきりものを言う機会なんて、滅多にないし、あったとしても多分言えない。
それをとめるは言ってくれるのよ、とめるは好き、とめるは嫌い、とめるはこう感じる、こう思う、自分に正直に、素直でまっすぐに、それが聞いていて心地いいし、
まっすぐな心からの言葉だからこそ、ぼくの感情を揺さぶってくれる、良くも悪くも嘘が無い、まっすぐに語りかけてくれる、そんな姿に痺れるぜ。
⑦お前本当にメンヘラか?巧みなインターネット仕草、絶妙な飴と鞭
メンヘラ(?)のくせにメンヘラムーヴを全然しないのもいいよね、配信の中で起きることが全て、言いたいことは配信で言うスタンス、正直好き
とめるの配信を見に来てくれる人を一番大事にしたい、という言葉の通り、登録者数やフォロワー数よりもその時々の同接数に重きを置いてるのがとめるの考え方だと長らく語られてきました。
実際とめるは配信中にすべてのことを動かしてきました。運営への文句、他Vや配信者とのやり取り、リスナーのよしよしに至るまで、全部配信中に起きて、配信中に終わります。これわかりやすくて個人的には好きです。配信者なんだから配信しろ!配信中に全部やればいい!というスタンスは、一見破天荒なように見えて、かなり理にかなっている節もあるのかなと思います。
正直TwitterやSNSで急にやみ散らかすやつ、配信者リスナー問わず見ていてクソウザくない?あ、これ自分にも特大のブーメラン刺してます。男のメンヘラは特にキモイ、ええおっしゃる通りで…
とはいえインターネットで活動してたらヘラツイの一つや二つ、したくなる(しちゃう)のが人の常だと思うんですよ、仕方ないことかなと。
そこんところ徹底してるんですよね、配信中に全部ぶつける代わりに多媒体では一切そういうムーヴを出さない、徹底してる、これはすごいなと。
まぁだからこそ配信が見れなかったときはクソ病みますけどね…こっちが…まぁ切り替えていきましょう(言い聞かせ)
あぁそれと、言いたいこと全部言ってやる!みたいな勢いがありつつも、誰かを本気で傷つけるような物言いは、絶対にしないですよね。強い言葉、汚い言葉はバカほど飛び出てきますが、誰かを傷つけるような、攻撃するようなことは、絶対言わない、そのバランス感覚どうなってん?っていうくらい、絶妙に調整されている、すごい。まぁとめるが思うおもしろを追い求めて、結果的にアウトだったことはあれど…
配信に漂う独特な居心地の良さは、無秩序に暴れているように見えて、細かな気配りややさしさが所々にうまいこと垣間見える、とめるのそういう根が真面目なところに起因しているのかもしれませんね。
リスナーのいじり方もうまいですよね。適度かつ巧妙なファンサ、とめるはあまりファンサしないと言いつつ、コメント欄では適度なよしよしとプロレスが繰り広げられるのがいつもの光景、とめるもとめラーも楽しそうでいいよね。
これぼくが重度のとめラーだからそう感じるのかな、新規さんというか、そんなにがっつり追ってるわけじゃないけど気になるゲームやってるときはたまに見に来ます~くらいのライト層は、あの掛け合いをどう思ってるんだろう…ちょっと聞いてみたい、いややっぱいい身内ノリキッツとか言われたら泣いちゃう。
⑧ごめんけど、認知芸は正直気持ちいいよ
もうこれ言っちゃったらおしまいだと思いつつ、事実だからしょうがないじゃんね、正直になろう、俺もお前も。
インターネット初心者(笑)だからさ、配信者に認知されるってどういう感じなのか、とめるに出会うまでよくわからなかったんだよね。
これがインターネットのおもちゃになるということ…清々しい気分ですね…以上です…
いや、うん、あくまでこう「配信の舞台装置」として、うまいこと使ってもらえるなら、うまいこと使ってやってくれや…という気持ちです…うまいこと使ってくれ…ぼろ雑巾のように…
無理やり締めるよ
えっと、なんか後半はもうVだとかそういうの、全然関係なくなってる?気がしますね。というか具体例がなさ過ぎて抽象画か?って感じ。もっとこの配信のこういうところがよかった!みたいなのいっぱいあるはずなのに、やはり都度記憶は記録すべき…
結局、いわゆる中の人の魅力、ってのに、ぼくもやられてしまったんだなと、そんなことは感じてます。
もしかしたら、同じようなスタンスのVは他にいるのかもしれない、もしかしたら、もっとおもしろい活動をしているVが他にいるのかもしれない、でも、そんなことを言ったってしょうがないし、もうあまり興味はなくなっています。
あの時、息根とめると出会って、おもしろいなって思って、今日まで配信を追いかけてきたこと、星の数ほどVが溢れているこの環境で、とめると出会えたこと、これ以上の奇跡はないです。この出会いを、これからも大切にしていきたいです。
息根とめるの存在は、ぼくにとって特別なものだけど、日常の一部にもなりつつあります。
とめるの配信は生活の一部にすっかり溶け込んで、しっかり染みついちゃってるんだよね。
毎朝起きて、顔洗って、会社に行って、帰ってきて、飯食って、クソして寝る、何気ない日々の中に、とめるの配信を見るという行動が、自然と組み込まれている。
狂ってるかな?狂ってるよね、でもそれだけ、ありふれているけど、何物にも代えがたい、そういう存在になっている。
俺がとめるを推す理由、結局全然まとまらないな。というか、俺はとめるを推しているのか?
推し上げたい、という感情に起因する推しという言葉の本来の意味に立ち返るなら、ぼくにとって息根とめるはもう推しじゃないのかもしれない。
それがとめるにとっていいことなのか悪いことなのかはわからないけど、ずっとこの先も無くてはならないかけがえのない存在であることに、変わりはないだろう。
Vtuberだとか、配信者だとか、そういう枠を、とっくに超えてしまったな、ファンとしてはあまり褒められた振舞じゃ、ないんだろうな。
そんなぼくのことも、とめるならきっとガハハと笑って受け入れてくれるんだろうな、一方的な信頼と甘えが、ぼくをさらに虜にするんだ。
沼は深い、抜け出せないほどに。
これからも振り回してほしい、感情の赴くままに、いつまでも。
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