落語についてのメモ 「業の肯定」と「江戸の風」について
2015年に書いた、ほんのメモです。適当にスルーしてください。
家元・立川談志が「落語とは業の肯定である」と仰っていたのは、多くの人が知ってる話。
さらに「イリュージョン」、晩年には「江戸の風」、これもファンなら知っている。
江戸の風、は著書を読んでもあんまりよくわからないが、ここではあえて「江戸前」「江戸っ子気質」のことにしておく。
でね。
「業の肯定」と「江戸の風」て、なんか相反してないですか?
矛盾してないですか?
江戸っ子としてのスタイルを遵守したら、家元がいうところの「業」は肯定できないのでは?
『三方一両損』業を肯定するなら、拾った金、貰っちゃうんじゃないの?
(もっとも「かっこつけたい」というのも業ではあると思うけど。これは相反しない)
んで。
んで。
じゃあ落語って、何なんだっていうと、
「業」と「江戸前」の間、
「欲望」と、それを抑えつける「スタイル」の間で、
揺れ動く人間を扱うものなのかなあと。
「揺れ動く、矛盾だらけの僕ら」について言及する話芸、それが落語。
なんか、そんなことを考えたんですよ。
そんだけです。
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