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セリフをカットする_240413

2024.04.13.Sat.

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なんか、面白いネット記事を見つけました。

『虎に翼』テンポ感が絶妙に爽快で、見ていて気持ち良いですよね。
ちょうど、台本の校正作業をしている最中なので、ちょっとこのお話を掘り下げてみたいなぁと思います。

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書きすぎるのは自分だけじゃなかった

こちらが記事の元ネタになったポスト。

闘っている世界線が違いすぎて一緒に語るのは恐縮だけど、書きすぎちゃうよね、というのはよくわかる(「よくわかる」と言うよりは、このツイートを見て、自分が力足らずなだけではないのだと安心したと言う方が近い)。

読み合わせの時に何箇所か、「長ぇよ!」とか「くどいよ!」と思う科白(せりふ)があって、四方の台本にはそれがカットor変更候補チェックしてあるのだけれど、書きすぎちゃうよね、というのは思う。

だけど、どうしても執筆の段階では、作家の想像力にも限界があるし、言葉を紡ぐことで勝負をしているが故の、「伝わるのか⁉︎」という不安も相まって、とにかくたくさん書いてしまう。

そして、今は自分で演出をしているからやりながらガンガン削っている。
(余談ですが、自分で演出をするとなると、ト書きがテキトーになっていくわけで、余計に科白の分量が増えて、悪循環です)

言わなくてもわかる面白さ

記事中にこんな記述がある。

また、「そこまでのセリフの流れや俳優さん達の演技力で、寅ちゃんが原告の女性に『これ以上痛い思いをさせたくない』気持ちはしみじみ伝わってきたように感じます」とのコメントに、吉田氏が「おっしゃる通りセリフなしでそれを感じさせる演出と演者さんに圧巻でした。

記事本文より

僕らが書いているものは、小説ではなくて(読み物ではなくて)上演されることを前提としている戯曲なのだということの面白さを今、深く深く感じている。

だから読み合わせをしてみて、立ち稽古を始めてみて、ようやく「いらんやん!」となる。

テレビドラマの場合は尺も決まっているから、そういう意味でのカットもあるだろうけど、
役者の演技や、照明・音響の演出や、セリフのないカット・シーンで大いに伝わるものがたくさんある。

普段生活を生きている中でだって言葉で説明をしなくても人間同士伝わるものがあって、そういう能力が潜在的に僕らの中にあるのだとすれば、科白なんてなくたって(ないからこそ)伝えられる登場人物の感情があるはずだ。

(↑昨年の「一縷の人生」の上演台本が購入できます↑)

カットされる科白は無駄なのか

では、カットされた科白たちは無駄なのだろうか?

紹介した記事にはこんな記述がある。

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