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奈倉 有里ことばの白地図を歩く: 翻訳と魔法のあいだ (シリーズ「あいだで考える」)

奈倉 有里
ことばの白地図を歩く: 翻訳と魔法のあいだ (シリーズ「あいだで考える」)

本を読んでわくわくする魔法を思いせ!

こちらのシリーズは秀逸だと思います。シリーズ「あいだで考える」とは不確かな時代を共に生きていくために必要な「自ら考える力」、「他者と対話する力」、「遠い世界を想像する力」を養う多様な視点を提供する、
10代以上すべての人のための人文書のシリーズとのこと。

ことばの白地図を歩くは、奈倉 有里さんによる、翻訳だけでなく読書というもの、伝えるということの考察です。
魔法にかけられたあの本を「思いだす」、そして伝えていく。その魔法は自分にもかかっている。本を読むことに対する深い愛をかんじました。

奈倉 有里さんは逢坂 冬馬さんのお姉さん。高校卒業してすぐにロシアに渡った強者です。

どんな経緯だったかはこちらに詳しく書かれております。

奈倉有里
夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く
奈倉さんはレフス・トルストイのこと言葉をひきます。

『言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこともできれば、人と人を分断することもできるからだ。言葉は愛のためにも使え、敵意と憎しみのためにも使えるからだ。人と人を分断するような言葉には注意しなさい。』

『ことばの白地図を歩く』、『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』どちらの根底にあるのは、トルストイのこの言葉があると思います。

『ことばの白地図を歩く』では『魔法』と表現されていると思います。
『かつて自分が魔法にかかった本をまずは「思いだす」。
あるいは新たに魔法にかけてくれる本と出会うのもいい。本の魔法を知らなければ、それを再現することなどできるはずもない。』

この魔法は『ずっと昔に自分が好きだった本をひっぱりだして、そっとひらいてみると』思い出されるそうです。

魔法にかかった体験を伝えるのが翻訳であると、本を読むことに対する深い愛を伝えることの喜びを感じました。

奈倉さんは』言葉と意味はひとつにはならない、でもだからこそ面白い』と考えます。だから同じ言語を使ったとしても人はひとりひとり固有であって、画一的な存在になり得ない。
そして、「言葉が心を超えないことを証明してしまう瞬間が人生のどこかにあるからこそ、人はどうしてその瞬間が生まれたのかを少しでも伝えるために、長い長い叙述を、本を、作りだしてきたのだ」と思索を重ねます。
言葉が心を、『文脈を補うことができなければ情報は単なる記号のまま、一次的に記憶されては消えていく。』
この補いこそが読みの面白みだと思います。そして伝えるためにあらゆる試行錯誤を、するのが作家という存在ではないでしょうか。

では翻訳ではどうなのか?
『前提として原文の作者は、たとえ独特な文体やことばづかいを用いたり、あるいは造語を駆使したりして文章を紡いでいたとしても、原文の読者に理解できるような文章になるように、読者を惹きつけられるバランスを保てるように、注意を払って作品を書いている。』なぜって『どれだけ独創的で個性的なことばでものを書いても読者が理解できなければ意味がない』から。

だから翻訳は原文のままに訳せばよおわけではない。
『原文の「文の構造」や「語義」は訳文に移せていたとしても、もっとも肝心な「原文と原文の読者の関係性」やそこに存在していた「自然なバランス」を、翻訳できていない』ということになる。
「原文と原文の読者の関係性」やそこに存在していた「自然なバランス」を読者に示すことが情報を単なる記号から変換すること、翻訳というもののネッコだと語っているように感じます。

この関係性で感じた感動が、読書体験の醍醐味でり、魔法の正体ではないでしようか。
外国語を翻訳することも母語の本を伝えることもこの魔法がかかれば広がると思います。広げたいものです。

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