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この世のすべては集めなかった(古賀及子)

生まれてから12歳になるまでずっと、3年にいちど妹か弟のどちらかが生まれてくる体験をした。3歳のときに妹がうまれて、6歳のときにも妹がうまれて、9歳で弟がうまれて、12歳でまた弟がうまれた。最終的に、私は5人きょうだいの長子になった。

最初の妹がうまれたときのことはまったく覚えていない。そのころ私は幼児向けの知育の会に通わせてもらっていたらしいのだけど、妹のお産で入院した母の代わりに祖母が同行するようになって以降、祖母のひざから離れなくなって活動にまったく参加しなくなったことはあとから聞いた。

もともと東京で暮らしていたのを、神奈川県の3階建てのマンションに引っ越して、2人目の妹は神奈川の病院で生まれた。

小学校に入ったばかりの私はきれいな折り紙や鉛筆を集めるのに執心していた。物の美しさにとらわれていたのではなく、できるだけ多くの違った種類の物を手元にそろえたい、さまざまなものが欲しいと願うコンプリート欲が強かった。

ちょっと伝わりにくいかもしれないのだけど、私は同じころ「新しい牛乳パックを家族でいちばんに開封して、最初のひとくちを飲む」ことにもこだわっていて、それにも、全部の最初のひとくちを味わいたい、最初のひとくち集めたいというコレクション的な理由があった。

折り紙のように物質的に世の中に点在するもののほかに、牛乳の最初のひと口のように、今日の牛乳と明日の牛乳は違うと、時間軸的にも種類があると考えていて、そのすべてをできるかぎり手に入れたいと思っていた。

おりしも時代はビックリマンチョコの大ブームを迎え、私はできるだけたくさんのシールを集めるべく、価値の高いシールが1枚当たったら友人にかけあって雑多なシール複数枚と交換してもらうプレイスタイルを取った。とにかく私には多くの種類が必要だったのだ。

ただ、有限であるビックリマンチョコの世界よりも、もっと無限的な、底知れない世界の広さを収集したいと考えているところがあって、ビックリマンチョコにはそれほど熱狂しなかった。

旺盛なその欲は、新生児であった妹の紙おむつにむしろ向いた。当時すでに紙おむつは一般的で、各社からそれなりの種類が発売されていた。私は母にたのんでメーカー違い、サイズ違いで1枚ずつ紙おむつをもらっては集めた。収集し記録としてストックせねばならないと、楽しむというよりも義務的にはげんでいた。

あらゆる現世を手に入れたかった。リアルなこの世を可能な限り蓄えたかった。

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