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ねこからとても遠い(古賀及子)

大人気の古賀及子さんのエッセイ。今回はお試し版で、全編無料で読めます!

ねこのことをよく知らない。

自身にともに暮らした経験がないのはもちろん、親族や親しい友人の家にもねこがいたことがなく、ある個体と密に接した経験がない。

知らないなりに、知らないことにについて思いをはせることはできるもので、かかわりのなさをあらためてためしに数分かけて味わってみて気づいたのだけど、父母からも、ねことのの思い出を聞いたことがないのだった。おそらく、ふたりともねこと生活したことがない。

そうだ、父方の祖母などはむしろあまりねこを好かなかったのだ。20歳をすぎたころ祖父母宅に居候して世話になったが、祖母の誕生日にねこのかたちのガラス細工を贈ろうと祖父に相談して止められたことがあった。たしか「化け猫がこわい」というのが理由だったような気がする。父にねことの思い出がないのは祖母が理由かもしれない。

母方の祖父母はどうだっただろう。ふたりで魚の卸業を営んで、活気と多忙とお金を愛した人たちだ。祖父は町会のお祭りとギャンブルに興奮し、祖母は煙草とフェラガモが好きで、夫婦ともに情緒に興味を寄せるところがほとんどないように見えた。ねこと一緒の暮らしは似合わないようにも思う。

血からして私は、ねこからとても遠い。

ねこに慣れ猫を知る人は、ねことともにある人生をとても送っている。「とても送る」とはなにか文章がおかしいが、そうとしか言えない、無側から見た豊かな有がそこにはある。

無だから無念だということでは一切なくて、ただ単純に、そういうものなんだろうと思う。今後わたしが後天的に有側に転じる可能性はもちろんあるだろうし、逆の人もいるだろう。

息子がまだ0歳のころ、保育園まで毎日ベビーカーで送り迎えをしていたころがあった。保育園は家からまっすぐの、住宅街を抜ける細い道を行き、途中でのぼり坂があってくだり坂があって、またのぼり坂を行って15分ほどの場所にある。

いま思えば入園決定後すみやかに電動の子乗せ自転車を買うべきだったのだけど、子育てをはじめてすぐの私は買い物への踏ん切りをつけるのが下手で、購買にあたる思考が間に合わず、合理化よりも根性での解決を選んでしまうところがあった。

ベビーカーも新しく機能性の発達したものを購入しても良いものを、おさがりの古いもので間に合わせた。融通してくれた親戚には申し訳ないのだけど旧型のベビーカーは挙動が悪く、細く小さいタイヤはあちこちの隙間にすぐ落ちた。

息子は出生時に4000gとずいぶん大きく生まれたうえぐんぐん大きくなったから、0歳といっても重い。

くだり坂では滑り降りてしまうベビーカーを引っ張り上げるように軌道をコントロールし、のぼり坂ではただ押して、家からの道を3分の2くらい行った、のぼってくだって、最後にのぼりきったちょうどのところに、古いアパートがあった。

ヒールの靴でのぼるとカンカン音がするタイプの外階段がついている1階3部屋、2階3部屋の、一人暮らし向けの木造のアパート。屋根の赤さが経年でずいぶん劣化している。

アパートの前の道はアスファルトで固めてあるのだけど、周囲は舗装されていない土の地面で、むきだしの地面にはたんぽぽが咲いて、あとねこじゃらしが生えていた。

晴れた日で、もう初夏だった。息子が手を伸ばしてねこじゃらしを欲しがったから抜いて渡すと、アパートのわきからねこが出てきたのが見えた。

アパートの1Fのひと部屋の前に、えさやり用と思われる器がいくつか出ていたのには気づいていた。ねこがいるのだろうとは思っていたが、やはり。

息子がよろこぶだろうかとベビーカーをとめると、ねこもとまってこちらに体を向けて座る。むすこはねこの方へねこじゃらしをゆらし、でもねこはただ座ってこちらを見ていた。

こういうとき私はどうしていいかわらかない。しばらくおたがいに見合って、ねこは動かず、息子もじっと見ていた。そのうちねこは胴体を地面につけて横になった。私たちは残りの三分の一の道のりを保育園に向かって歩き出した。ねこはどうも眠るようだ。

生き慣れた動じない立派なようすだったから、まだ言葉を理解しない息子に「あのひとを、ねこ先輩と呼ぼう」と提案した。息子はねこじゃらしをふって風に揺らす。

それからなんどか先輩と顔を合わせた。一度は息子のベビーカーにずいぶん近づいてくれもした。

子ども乗せのついた電動自転車をやっと買って、アパートの前を通り過ぎるスピードは倍以上になってからも、先輩を見かけて私たちは通り過ぎながら声をあげて挨拶をした。

でもある日、いつものようにアパートの前を通ると、前ぶれもなく、もう半壊したアパートの上に解体のための重機が斜めに乗りあげていたのだった。

後にはかっこいいマンションが建った。周りはきれいに舗装され、もう土の地面はなくなった。それ以来ねこ先輩には会えずじまいだ。

家には息子の下に娘がうまれて、娘は生まれながらにすこし猫のようなところがあった。かまわず気ままで、自由なようすを小さなころから持っていた。

息子には目もくれなかった近所のねこが娘に興味を持ったのは、そんな娘のねこ性に気づいたからではないか。台所の窓を開けると、すぐ向こうに隣家の屋根がある。屋根の上に乗って猫は娘をよく待っていた。

ねこ先輩が堂々たる態度だったのに対し、こちらは多少は警戒心があって好戦的なようにも見えた。勇ましいから、ねこ太郎とみんなで呼んだ。ねこ太郎がくると娘は窓辺に出ていき少し話す。「ねんねした?」「まんまたべた?」「おかあさんは?」

娘はすぐ飽きるし、太郎もそんなに長く付き合ってもらおうとははなから思っていないようで、すぐにどこかへ行く。

おそらく完全な野良猫だろうから、大雨や大風の日は心配した。そのあとで姿を現すと娘とともに私も歓迎したけれど、私にはほとんど興味がないようだ。

裏の家は謎の家で、私たちが引っ越してきた日に挨拶をした折には家から男性が出てきて応じてくれたけれど、基本的にあまりひと気がない。

古い戸建てで庭もうっそうとしており、もしかしたら今や空き家になっているのではないかと思うころ、手ぬぐいを持った業者が取り壊しの知らせにきた。

取り壊したあとしばらく売地の札が出た。窓を開けるとむこうに何もなく、空気だけがすかすかする日が続いた。1か月後くらいだろうか。買い手がついたらしく、また手ぬぐいを持った業者が新築工事の挨拶にきて、そうなってしまえばあとはよどみなくするする家が建った。
できあがったのは立派な白い家だった。庭もきれいになった。

取り壊しのあと、ねこ太郎らしきねこを、一度だけ見た。近所の駐車場のブロック塀に小さな排水用の隙間があって、太郎は道路を蹴って跳ねると隙間へ器用に入って抜けて行った。

ねこ先輩とねこ太郎はあきらかに別のねこで、でも私はねこのことが分からないから彼らがどんなねこだったかを的確に思い出せない。

白くも黒くも三毛でもない、どちらもとらねこにあたると思うのだけど、ねこ先輩のほうはちょっと黄身が強かった気がする。ねこ太郎はグレーっぽかったんじゃないか。

ねこの素養がもし私にあったら、かれらとのことをもっと高解像度に記憶できていたはずなのだ。

今日、買い物に出かけたら風の強い夕闇の道を暗くねこが走って行った。久しぶりにねこを見た。


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