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古賀及子の『気づいたこと、気づかないままのこと』 第3回「窓のそとはあかるい」

【シカクより一言】
この記事は、デイリーポータルZの編集担当・ライターとしても活躍している古賀及子さんの連載エッセイです。古賀さんは以前からブログ上に日記を書いていて、それをまとめた数冊の本はシカクでもベストセラーになっています。柔らかく、優しく、笑えるかと思えば急に深遠に向かうような魅力的な文章を書く古賀さんのエッセイをどうぞご堪能下さい!

数年ぶりに恋人ができた。恋人は東京都心の私鉄沿線の、各駅停車しか停まらない駅を出て坂をのぼった丘の上にあるマンションの一階に部屋を借りていた。私は祖母宅に居候するフリーのライターで身軽にぶらぶら暮らしていたから、自然と転がり込むようにこの丘の上の部屋で週の半分を過ごすようになった。もう15年以上前、20代のころの話だ。

マンションは古く三階までしかない低層で、敷地は小学校の体育館くらい広い。上空から眺めると全体は敷地の境界線二辺に沿うようにアルファベットのLの形に建っていて、建物に囲まれた四角い空間はぜいたくにもすべて庭だった。

全体がきれいな洋風の植栽で埋めてあり、春はそれは美しくあれこれの花が咲いて、夏も緑がセンス良く茂る。晴れの日でも雨の日でも見栄えのするように、とぎすませてしつらえてあった。

庭だけではなくマンション全体にも草花は配置されていた。外壁には鉢植えの花が違和感なく飾られ、入り口から各戸へ抜ける通路にも植物園の温室みたいに手入れされた木や花が育っていた。

すべての緑は大家夫婦が世話をしていて、出入りのたびに水やりや手入れをする様子を見かけた。私は彼らを、どうもその道でそれなりに名のある達人ではないかと推察した。というのも植栽の見学に訪れる人々を従え庭やマンション内をよく案内していたから。それくらい花も草も見事だった。

週の半分をこの家で暮らし、半分を祖母宅での居候で暮らし、中途半端に居つき居つかないような生活を一年ほど続けた。大家夫婦は常々外に出て植物の世話をしている。出会いがしらには毎回あやしまれないように元気に挨拶して、素人目にも明らかに美しい植物に居合わせた際は「すばらしいですね」「きれいですね」と積極的に称えた。

恋人によるとこの大家の家庭は子どもたちがすでに独立して不在で、夫婦ふたりで暮らしているという。夫婦ともにおだやかで、でも何度やりとりをしても馴れ馴れしさや親しみやすさを出さない静かな人たちだった。

恋人の部屋は1階の奥、縦に細く長いちょっと変わった間取りだった。玄関を入ってすぐ廊下があり、そのあと左側に小部屋、先に台所があって突き当りにまた部屋がある。すべての部屋は少なくともどこかしらの角が直角でなかった。

マンションは1階の半分くらいが大家の自宅として区分されていたから、最初に大家が自宅はこれくらいの広さがあるといいなと考えて、建築士がでは1階の中心におおせのとおりの面積でゆったり区分けしましょうと製図して、恋人のあの部屋は、そうしたときに出たバリの部分だったのでははないか。りんごの果実が大家の家だとするとその皮のような。

部屋は入ればいかにも古い鉄筋コンクリートのマンションといった風情で、床が固い。薄い起毛の、ねずみ色のカーペットごしにコンクリートの強さが感じられ、ふみしめた足の裏が冷たくて好きだった。

恋人は突き当りの部屋の、奥の一辺にベッドの長辺を沿わせて置いて暮らしていた。ベッド沿いの一辺は大きな窓になっており、開けると外に出られる。出た先が、あの、広い大家の庭だ。

洗濯物の外干しのために、店子にも窓の前の1.5畳ほどが陣地として与えられていた。該当部は地面が石畳になっており、大家の庭の土の面とは区分がされている。

恋人は朝になるとベッドをまたいで外に出て洗濯物を干し、夕方またベッドをまたいで取り込んだ。

陣地にはとくに柵などは設けられておらず、恋人は人当たりのとてもいい人ではあったものの、知れば柄の悪いところがあるうえお酒を飲んで酔っ払うのが好きだったから、もしこの人が調子に乗ってすっかり酔って前後がまったくの不覚になり、そうして美しく整った大家の庭に暴れこんだとしたら、あのおだやかな大家さんたちはどうするだろうと、たまに考えた。

庭に面した窓にはぶあつい青い遮光カーテンがかけられていた。ふつうの規格でない高さのある窓だから、一人暮らしが初めてで慣れなかった時分の恋人は特注でサイズぴったりのカーテンをオーダーし、ずいぶん高いお金がかかったらしい。

ある晩、それこそふたりで酔っぱらって、この貴重なカーテンを引かずに寝入ってしまったことがあった。

翌朝、窓の向こうはさえぎる建物のない広い庭だから夜明けとともに明かりが差し込んで、ベッドのすみで窓に向かってくっつくように横になっていた私の、布団から出た顔面は日に照らされた。

酔い覚めの朝は眠くそのままかまわず眠り続けたけれど、日がのぼるうちに目は薄く開き、窓の向こうの曇って白い空を見た。まぶしい。

横になったまままぶしむうちに、弱く雨が降ってきた。霧雨の縦の線を視認して、寒い冬の朝をいっそう自覚し毛布を引き上げると視界がまぶしさから逃れた。

徐々に頭が覚醒し、またすこし毛布をずらして、庭が見えるように目を出す。

雨の日でも、窓の外はこんなに明るいのかと思った。晴天の室内よりも、これならずっと明るい。

私はそれまで、曇りや雨の日は暗いものだと思っていた。明るいのは晴れの日だけだと思っていた。屋外の明るさにこのときはじめて気がついた。雨降りでもこんなにもまぶしく白い。

冬の日の庭はどこか全体に茶色く、でもちゃんと美しくて優しくて気が利いていた。雨のなかかっぱを着た大家夫婦が長靴で土を踏み庭を歩くのが見えた。

かまわず横になったまま、まだしばらく眺めた。

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