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古賀及子『吉祥寺が集まって解散した』

急に吉祥寺が集まった。

通った短期大学が近くにあって、かつては同級生とよく遊んだ。服でも本でもなんでも手に入って、お茶を飲むのもご飯も食べるのもたくさん店がある、私にとってはじめての、自由に遊べる東京が吉祥寺だ。おとなになってからは新宿や渋谷にそれが移って、濃い縁がなくなってしまっていた。

先日、お世話になっている方がかかわる小さなイベントがあって久しぶりに行った。終わったあとで同行の友人が探してくれた店でご飯を食べて、あちこち寄ることもなく帰った。

自宅に戻ると高校生の息子が、週末吉祥寺に買い物に行こうって友達と話してるんだけどと言う。服の好きな同級生がいて、古着屋を案内してくれるんだそうだ。なにそれ楽しそう。それに偶然だね、私もいま吉祥寺から帰ってきたんだよなどと話しその日は寝た。

朝起きると、夜中のうちに吉祥寺で暮らす友人から数年ぶりにテキストメッセージが着信している。共通の友人に会って私のことを思い出したのだと、もし時間があったら近々家にきませんかというのだ。ぜひと、日程の候補を送るとすぐに返事がきた。

それから朝ごはんを食べて会社に出かけ仕事をして、昼休みににぎって持ってきたおにぎりを食べてぼんやりするころ、別の友人が今度はLINEで、古賀さんの本が書店の選書棚に並んでいたよと知らせてくれて、聞けば吉祥寺の書店だという。

まちは突如として集まる。急激に集中的に私を取り巻く。

東京に暮らして長い。大きな繁華街のある新宿とか渋谷あたりは常々うすく縁があり続けるからトピックが連続しても驚かないけれど、たまに、そこかと思う意外な場所に旗が立つ。今回は吉祥寺。いつかは浅草が突然集まった。高円寺と門前仲町が集まったこともある。どこも立派で人の多いまちではあるものの、生活の中でそれほど頻繁にかかわることはない。

週末になり息子は友達に連れられ吉祥寺の古着屋でいい塩梅の紺のニットキャップとシャツを手ごろな値段で入手してきた。よほど楽しかったようで、それに、ほう、こういう場所なんだなと、まちとしての吉祥寺の入り口を知った手ごたえを得たように見える。

私も私で、友人の家に遊びに行く日がすぐにめぐってあらためてたずねた。

イベントに行ったことと、息子が友達と遊びに出かけたことと、在住の友人からの打診と、書店の報告、これは全部、偶然集まったまちのかけらだ。

そのうえで、手のひらの上にまちが集まったことに気づいたあとで、集まったんだなあという思いを持ってかかわることには、2周目の、メタ的な独特の味わいがある。

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