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冷えという穢れ、祓いのための温熱(古賀及子のエッセイ)

安産を目的としたお灸の治療院に通っていたことを、最近急に思い出した。

思い出したのはいいのだけど、記憶はあまりにぼんやりしておぼつかない。バスで通っていた覚えがうっすらある。自宅からバスで行ける場所にそういった治療院がないか探すも見当たらず、移転したのか、閉院したのか、実態をたどることは難しそうだ。

ただ記憶に、たとえ薄くてもとっかかり、ジッパーの引き手が現れたことで、引っ張って開けた口に両手をつっこみがばっと開いて懐中電灯でゆっくり照らして見まわして、じわじわ当時の景色らしきものがよみがえり見え出す感覚があった。

院内はアパートのような低層の建物の2階にあって広く、施術のベッドはカーテンで区切られて数台並んで置かれていた。ベッドはいつ行っても満員の様子でカーテン越しに声が聞こえる。

鍼灸師は常にそれなりの人数がいて、患者1人あたりに2人がかりでどんどんお灸をすえる。お灸は背中が中心だった。針を打ってもらうこともあった。

鍼灸師はていねいに日常生活についてもアドバイスもくれるのだけど、言っていることとしては「とにかく体を冷やさないこと」の1点で、食べものの指導も生の食べ物や冷たい飲み物はとらないよう重々注意された。

寝るときがとくに冷えやすいから気を付けるように、ただ、温めることによって寝汗が出てそれでかえって冷えてはいけませんと言われ、それなりに信用してすべてを真に受けていたものだから、この日は帰りながらさすがに困惑して混乱した。

冷えは万病のもとという気概の存在はそれ以前から聞いて知ってはいた。多くの人がそう言うのだからまあそうなのだろうなあくらいには思っていて、ただ、冷えたことによって困ったことが、私にはあまりになさすぎた。

通ったのは2人目のお産を控えたころだ。なんとか安産で産みたいと、それで探して行きついたのが、そうだ、この治療院だった。

どういうわけか、4000グラム弱という、一般的な赤ん坊よりもずいぶん大きなようすで初産の息子は産まれた。予定日から1週間すぎても陣痛がつかず、誘発して陣痛を起こしてみたら予想外に胎児が大きかったこともあり分娩までにはかなりの難儀があった。次はもう少し楽に産めないものかとすがったのが、お灸だったというわけだ。

この院の鍼灸師たちは、そろって難産も冷えが呼ぶと断言するものだからぎょっとした。私にとってはじめて冷えを忌避する気持ちが発生したのがこの鍼灸院での指導だった。

冷やさないことを信条としているだけに院内は全体が湿ってぽかぽかあたたかい。

冷えをほとんど穢れとして扱い、祓いのために温熱の結界を張っているようだ。

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