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あらかじめ存在するものに興奮する(古賀及子のエッセイ)

(シカクより一言)日記エッセイスト・文筆家の古賀及子さんによる書き下ろしエッセイです。時間を経てこそ書けるさまざまな記憶が、ハッとする言葉のセンスで綴られています。ぜひお楽しみください!

傘のことを、私はなにも考えていない。

近所に女子校がある。ある雨の日、学校から駅へ向かう生徒たちのうねりとすれ違った。弱い雨で風もほとんどないから、傘で十分に雨は防げて人々の顔は明るかった。並んで、きゃらきゃらおしゃべりしながらゆっくり歩いていく。

ちょうど下校の時間なんだろう。歩く私と行き交うように向こうから次々制服の彼女たちはやってくる。しばらくすれ違い続けて、はっとして気づいた。

傘が、みんな、ちゃんと傘だ。

模様の入ったもの、柄のもの、すこしアールが深いもの、骨の多いもの。たとえ単色でも気の利いた色できれいで、好きで買ったのだろうとそれぞれの傘にこだわりを感じる。

いっぽう私の傘は一部の骨が折れてぶらぶらのビニール傘だった。骨の折れた先がビニールを刺して穴も開いている。

私は傘のことを本当になにも考えていない。開いて雨がしのげればそれでよいと、それくらいの気持ちでいる。

女子校の子たちのさまざまな傘を浴びるように目撃して、そうか、傘を傘としてちゃんと買って持つ、そういう選択肢があったのだなあと感心した。

買うから持っている。買うから使える。

これは世の中の構造としてはあたりまえだけど、事情や都合の意味ではあたりまえではない。希望と理想を持って選んで買うことには興味と余裕とカロリーが必要で、意思がないとなかなかできない。

そこへきて、逆に私はそもそも、ありあわせでなんとかすることに妙な興奮を感じるたちなのだった。わざわざ買うのではなくって、あるものを使っていたいという方にむしろ意思を働かせるところがある。

クリアファイルとかボールペンなんかはその感情の大いなる受け皿になっていて、どういうわけか生きてるだけでどこかから舞い込むから、それを使って得意になっている。

使いやすいものやこだわった柄のものを買えばより快適だったり豊かだったりするだろうとは思うのだけど、私はそうではなくて、ちょっとくらい不便でいい、そこにあるものをさっと拾って使いたい。その欲を、クリアファイルとボールペンはいつも満たしてくれる。

半分ケチで、でも半分は単純にそういう性質なんじゃないか。意地でも手元にあるものを使いたいし、あるものを使うことで独特の喜びが発生している実感がある。

同じように、傘もできれば適当に、できる限り少ない量の意思で、いなすように持ちたいのだ。

クリアファイルやボールペンのように傘はどこかからやってくることはないから、結果としては、意思なく購入する、ということになる。

意思のない買い方というのは、人生を重ねるとそれはそれで研ぎ澄まされるようになってくる。ここ数年はセブンイレブンの黒い3段の折り畳み傘を買うと決めている。だいたい1000円くらいでいつも売っている。傘が壊れたら、なにも考えずにすみやかにセブンイレブンに駆け込むというわけだ。

スティーブ・ジョブスが、判断する時間が無駄だからという理由で毎日同じ服を着ていたという伝説みたいな話があるけれど、そういう合理性の選択とはちょっと違うんじゃないかと思っている。私は意思を削ぐことに風情を感じて興奮している。どうしてだろう、わくわくする。

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