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地下の雀荘(古賀及子のエッセイ)

(シカクより一言)日記エッセイスト・文筆家の古賀及子さんによる書き下ろしエッセイです。時間を経てこそ書けるさまざまな記憶が、ハッとする言葉のセンスで綴られています。ぜひお楽しみください!

母の実家は都会の魚屋だ。バブルの時代に料亭に魚を卸しまくって儲かって、3階のビルを建てた。

1階が魚屋、2階がテナント貸しの飲食店、3階が祖父母の住居、屋上には祖父が趣味で買い集めた植木の鉢がみっちり並んで、地下に雀荘があった。

1階の、魚屋の間口の横に地下に続くじめっと湿って暗い階段があり、降りた先の扉はみっしり重い。ビルを建てたときに魚屋に加えて祖父が店員を雇ってはじめた店と聞いた。

体重を後ろにかけるようにして扉をばかっと開ける。店内は灯りをつけても暗くてほこりっぽかった。ほこりにあわせて独特の、なにか香水でつけたようなにおいがして、あれは脱臭剤かなにかのにおいだったのか。

学校が休みの日に自宅から祖父母に会いにやってきた私や妹を、たまに祖父がこの雀荘で遊ばせてくれた。店員もお客もまだ誰もいない昼間、入り口すぐのカウンターの中に小さな冷蔵庫があって、そこから祖父がオロナミンCを私と妹に出してくれる。

そのころ私の家では母が自然食に凝って、あまり市販のがちゃがちゃした食べ物や飲み物を家に入れないようにしていた。私たちは自宅では炭酸飲料を飲むことがなくって、だからこのオロナミンCが楽しみだった。

最初のうちは栓を抜いて瓶から飲んでいたのだけど、どういうきっかけか、グラスに注ぐと液体が真っ黄色をしているのを知った。なにこれ! すごい色! わたしたちは色めきだって、以来祖父にせがんでグラスにうつして飲むようになった。

オロナミンCを飲みながら、私と妹と祖父の3人で雀卓を囲む。店は入り口から奥に向かって細長い間取りで、雀卓は確か8台くらいが部屋の手前から2列で並ぶ。私たちはいつも一番奥に陣取った。

雀卓は全自動のやつだ。スイッチをおすと真ん中でサイコロがじゃらじゃら回って、それからにゅっときれいに並んだパイがテーブルの下からせりあがってくる。子どもにとってこんなに面白いものはないんじゃないかと思うのだけど、案外数回見たらもう飽きた。

ここで、歴戦の雀士である祖父が孫たちにその心得を叩きこみ……という展開があれば熱かったのだけど、私たちが遊んだのは将棋くずしのように、山にした牌から山を崩さずにひとつひとつ牌を抜いていく、通称「ぐらぐらゲーム」がおもだ。麻雀についての素養はなにひとつはぐくまれなかったのだった。

おそらく祖父は麻雀は打たない人だったんだと思う。祖父母は4代続く江戸っ子で、そろってお金の好きな商売人だった。ふたりの威勢のいい丁々発止で麻雀で遊びながら煙草をふかす様子は目に浮かぶけれど、そういうシーンは見たことがない。

魚屋のあるあたりはオフィスビルを取り囲むように飲食店が並ぶ。サラリーマン相手にひとつ商売をやろうと、何がいいかと考えて、流行に乗って祖父は雀荘を作ったんじゃないかと思う。

祖父とは点棒を使った計算のゲームのようなこともしたはずなのだけど、あれはどういう遊びだったのだっけ。私が小学校の低学年くらいのころの話なものだから、もう記憶もあいまいだ。

ひとつ確かに覚えているのはトイレにヌードモデルのカレンダーがかかっていたことで、最初に見たときははっとした。見てはいけないものを見た、のではなくて、人の裸というものは見てもいいものだったのかとそちら側に驚いた。

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