見出し画像

くだらない話4


ずっと好きだったものが、なんとも思わなくなる日が突然来たりする。

何かきっかけがあったわけではない。
自分の情熱や好奇心に蓋をしてまで、何かに費やすほど忙しい日々だったわけでもない。

それなのに、あれらに対してなんの感情も湧かない自分がいることに、ある日突然気づいたりする。


毎日通っていたあの場所も、
毎朝リピートして聴いたあの歌も、
毎晩偶然に出会う奇跡を妄想していたあの人も、
今はただ、実生活の中の深くに埋もれている。
特に不自由も不足感も感じないまま。



あの場所に通わなくなったのはいつからなのか。
あの曲を1度も聴かずに学校に到着した日は。
家宝にしようと思っていたグッズを某フリマサイトで売り出した日は。
一目見ようと遠回りをして歩く廊下に足が向かなくなった瞬間は。



そのタイミングを思い出そうとしても、結局なーんにも思い出せないまま、なんとなくふがいないような、さみしいような気持ちになる。



ずっと好きで、必要で、ちゃんと大切にしようと思ってたのになと。





しかし、そんなことを考えてるうちに
『これは、雨上がりにどこかへ傘を置き忘れたときの感覚と似ているかもしれない。』と思った。

どしゃぶりの時の自分には必要で大切なものだったけれど、ずっと雨が降り続けることなんてない。雨が上がれば、傘はいらないし、晴れの日に傘を思うこともない。新しいスニーカーだって履きたくなる。

環境や自分自身が時間をかけて変わっていく中で、好きで必要で大切なものも変わることは、きっと至極自然で当たり前のことなのだ。


そして、忘れられた傘は、他の誰かが雨の日に拾って、存分に使ってくれるときもくるだろう。

そんな風に、あのときのあれらに対する胸の高鳴りは、今はきっと他の誰かのものになって、生きる希望として存在しているのかもしれない。




これこそまさに、ときめきのSDGsだな。




なんてくだらないことを考えながら、
今は両手に抱えてるこれらが、あれらになってしまう前に、たくさん愛してあげようと思った。
きっとこれから私の中で少しずつ化石になって、実生活の土深くで眠り続けながらも、ちゃんと存在はしていくのだろうから。



以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?