マガジンのカバー画像

diary

72
毎日の日記というか、かるく思ったこと
運営しているクリエイター

#本

芸術の本質に「寂しさ」をおく…(日記 2024/10/24 木)

昨日から期間限定でマクドナルドの辛ダブチが復活していて、すでに5個も食べてしまった。いいかげんにしたい。 衆院選非公認の裏金議員に対して2000万円が支給されていたことをすっぱ抜いた赤旗の報道に対して、アホの石破が「報道に憤りを覚える」と逆ギレし、選挙に使う金ではないと。なんど呆れさせるつもりか。そんな詭弁が通じると思うこと自体、私たちを舐めきっている証左だ。本当にさっさと死んでくれよ。国が国ならとっくに殺されているはずの人間ばかりが蔓延っている国だここは。 引き続きちま

抗議活動のもつ「ダサいイメージ」をどうするか…(日記 2024/10/23 水)

雨の湿気で10月下旬だというのに蒸し暑くて、昼には冷房さえをつけた。地球の今後をわりと真剣に憂える。赤旗がスクープを出した、曰く石破が今回の衆院選で「非公認」にするとのたまった「裏金議員」が、公認候補者が受け取る額と同額の2000万円の資金を支給されており、実質的な公認そのものであること、また国民を騙す気満々だったということである。死んでしまえクズどもが。 さすがに与党への批判の声も増えてきてはいるものの、今回の衆院選で政権が交代するとまでは望めない。やはり野党第一党が現状

千葉雅也の『センスの哲学』を読み始めた…(日記 2024/10/21 月)

また日記が空いてしまったが、もう気にするのはやめることにする。金曜日は飲み会があり書けず、土曜日は二日酔いで書けず、日曜日は前日徹夜したことで夜眠すぎて書けず。 千葉雅也の『センスの哲学』を読み始めた。面白い。 ある種「啓蒙の書」という感もある。ある程度現代芸術の考え方の基礎知識がある人間からすれば「あたりまえ」の記述も多いが、それを知っている自分の目を基準にクサしてもしょうがない。 むしろターゲット層は現代美術に関して「意味わからない」「こんなの俺でも書ける」と、内心それ

イマヌエル・カントの暮らし方にについて…(日記 2024/10/16 水)

しばらく日記が書けずにいた。再開する。 日記が書けなかった原因はいろいろあると思うが、何か特別に新しい理由があったわけではない。抑うつ的な気分だったり、原因のない焦慮だったり、恋人も友達もいない孤独感だったり、ほかのタスクが終わっていないことの気がかりだったり、過食で動けなかったり、過食続きで身体が重かったり、日本の政治やイスラエルの虐殺のニュースを見て怒りと不快感と不安で何も手につかなくなったり、Twitterで流れてくるしょうもないツイートを見てこれまた怒りや不快感で気

「土人の国」の「劣等民族」ではない!とは到底自信をもって言えない…(日記 2024/10/1 火 - 4 金)

なんとなくずっと落ち込んでいて、まあ抑うつ状態で、4日間日記を書けなかった。4日分を短くまとめて書いてまた再開したい。 ここ数日はずっと気分が落ち込んでいて、夜に風呂もまともに入れず、そのせいもあってベッドでちゃんと寝ることもできなかった。この落ち込みの理由として、大きくは嫌なニュースが目に入りすぎたということがあるだろう。たとえば…… 新しく首相となった石破茂が、総裁選前と言っていることが180度違い、ザ・最近の自民党といった言動をしていること、つまり法律を守る気配がな

内装が凝っていて有名な喫茶店だが、喫茶店としての機能を果たしておらず…(日記 2024/9/28 土)

久しぶりに休日5時台に起きることができた。気分がいい。前日金曜日だからって暴食せずに早く床に着いたことがよかった。 術後の経過観察で病院へ。経過は良好のようで、今日で通院は最後になった。手術の際に採取した菌の検査結果が出たが、「飲んでいた薬が効きにくい菌だった」と言われ、別の効きやすい薬を出してくれるのかと思ったら、「でも症状が治まっているからよかった」と特に何もなかった。このままで大丈夫なのか?と正直思ってしまう。まだ患部は少し硬く盛り上がっているがもとのもちもち肌に戻る

本に関する本が好き、というのは一見倒錯的なようでいて…(日記 2024/9/14 土)

3連休1日目。昨夜満腹で寝落ちしてソファで寝てしまったので、朝はぐだぐだと起き出す。10時前に動きはじめた。午前中に図書館で借りていた福嶋亮大『思考の庭のつくりかた』を読み終わる。人文書の読み方的な本だと思っていたが、後半は人文学のキーワードとその争点の紹介みたいな感じだった。 少し勉強などをこなして、午後は図書館へ予約していた本を受け取りに行った。『「技術書」の読書術』という、ITエンジニアの技術書に関する本だ。面白そう。前も日記に書いたが、私はこういう「本の読み方」的な

休日に「休日として」自らを動かすこと…(日記 2024/9/7 土)

朝5時にアラームをかけていたが5時から動き出すことはかなわず、でも6時前には身体を起こすことができた。窓を開けながら朝焼けを見て休日が始まると、とてもメンタルにいい。 休日は、平日以上に早朝から活動できるか否かが一日のメンタリティを決定する。平日はどう起きようがどのみち仕事には行かないと行けないし、仕事を始めてしまえばある程度のムラこそあれ、仕事のメンタリティへ移行する。 休日は反対で、だらだらしていて勝手に休日を楽しむメンタリティに移行することはない。休日のメンタリティを

自分の意志だけで何かものごとを遂行することの脆さ…(日記 2024/9/6 金)

最近の日記に連日書いている通り、仕事のタスクを全て終えてしまって、かつリモートなので、ほとんど自分のしたい勉強ばかりして過ごした一週間だった。今日の16時くらいになってやっと次のタスクがなんとなく教えられたので、ぼちぼちと着手した。 決して楽しい仕事ではないのだけど、勉強よりも断然やる気をもってテキパキと進めることができる。外から強制されることの強さというか、自分の意志だけで何かものごとを遂行することの脆さをあらためて感じる。あとは以前から言っている「何かを生み出している実

食い過ぎを身体の不調から直接後悔したのは初めてのように思う…(日記 2024/8/23 金)

朝から午後の早めの時間までずっと腹痛だった。昨晩Uberで注文して暴食したまぜそば「はなび」(名古屋発祥らしい)のせいなのは明らかだった。寝る前からの胸焼けが起床直後も続いていて、食い過ぎを身体の不調から直接後悔したのは初めてのように思う。老いが始まっているのだろうか。 前回の日記に書いたリモートワークでサボらないためのテクニックを今日もやってみた。比較的うまくいき、そこまでサボらずに済んだ。今日はテストケースの作成とテストを行ったが、プロジェクト先の社内ツールが面倒なエビ

日常の小さい具体的な出来事に鬱陶しいほどいちいち立ち止まって…(日記 2024/8/14 水)

さすがにどこかへ出かけねばなるまいと思い、以前から気になっていた鶴舞図書館に行った。「つるまとしょかん」と読むらしい。ついでに鶴舞公園(これも「つるまこうえん」)を散歩しようかと思ったが、暑すぎるので断念。これから何度も通うことになるだろうし、涼しくなってから散歩することに。 夏休み中、それもお盆期間中ということもあり、想像以上に賑わっていた。どの図書館もいつ潰れてもおかしくないと思っていたが、名古屋市で最大の蔵書数を誇る図書館ということもあって、ここはしばらくは大丈夫そう

意思決定によるエネルギー消費をなるべくエコに済ますには…(日記 2024/8/13 火)

何もできない一日だった。帰省の荷解きもできなかった。やらなければいけないことに圧倒されてしまった。ほんの些細な家事の集積に過ぎないのに。なんとか『デカルトの哲学原理』を少し読み、この日記を書くぐらいはできた。 以前から言っているように、生活は監視者がそばにいなければ簡単に破綻する、とまでは言い過ぎだとしても、少なくとも無為な時間が膨大に増える。実家にいる中で風呂を先延ばしにしたり洗い物を拒んだりはできない。監視者がいる中での生活は、生活に伴う行動が単に「やるべきこと」として

都会の消費物のように綺麗にパッケージされていない…(日記 2024/8/12 月)

帰省最終日。朝、祖父がデイサービスへ出るのを見送る。パーマを当てた私の髪を見て、「浮浪者みたいだから切れ」という祖父母の元気な物言いに、苛立ちよりも嬉しさを感じる。 午前中は家族で近くの高原にある牧場へ行く。広大だが寂れた牧場。無料で出入り自由で牛・山羊・羊・馬・ウサギと触れ合うことができる。こんな牧場、都会にはないだろうな。利益の面でも安全の面でも都会では不可能だ。連れて行った愛犬に山羊が興味津々で近づいてきたり、逆に牛は犬の吠える声にびっくりして飛び跳ねたりしていてとて

「わかりたいこと」と「わからないまま済ますこと」の折り合いをつける…(日記 2024/8/6 火)

昨夜は何も寝支度が出来ず、電気もエアコンもつけたままベッドに横になっていたら朝を迎えていた。前職の忙しいときと同様の生活。この生活になってしまうのは単純な労働時間が原因ではないようだ。おそらくはストレスが原因。ストレスは確かにある。しかし時間は余裕があるのだ、こんなことないようにしたい。 今日は自宅から人生初のリモートワークの予定だった。しかし会社に置いてあるパソコンにリモートデスクトップでつながらない。仕方なくスーツに着替え直して、少し遅れて出社した。最悪だ。会社のパソコ