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臨床の行方:精神・身体症状を生じる症候群としての摂食障害への理解と気づきを

月刊『日本歯科評論』では歯科界のオピニオンリーダーに時評をご執筆いただく「HYORON FORUM」というコーナーを設け,「臨床の行方」「歯学の行方」という2本のコラムを掲載しています.
本記事では5月号に掲載した「臨床の行方:精神・身体症状を生じる症候群としての摂食障害への理解と気づきを」を全文公開いたします(編集部)

大津光寛/日本歯科大学附属病院 総合診療科 准教授

摂食障害への歯科医療者介入の必要性

十数年前,「歯の修復をくり返す患者さんがいるから診てほしい」と言われ,受け取ったカルテの厚さは優に10cm を超えていた.その中には8年間に及ぶ前医の苦悩が詰まっていた.
全歯に及ぶ60カ所以上の処置,左右上顎第一大臼歯には6回の修復処置が繰り返されていたが,それには,カルテや医療面接から摂食障害が関与していることが想像できた.

そこで,摂食障害について調べ始めたが,当時は歯科と摂食障害に関する国内文献はほぼ皆無であり,治療法も提示されていなかった.
投げ出したくなるのを何とか堪え,手探りで治療を進めながら調査研究を続けた.気付いたら後輩の力も借りつつ,100名以上の摂食障害患者の口腔内診査と面接を行っており,歯科の適切な介入が摂食障害の治療にいかに必要かを痛感させられた.
しかし,摂食障害関連の学会に参加すると,摂食障害への歯科の介入の必要性を認識していないのは歯科医療者だけであることを知り,色を失った.

摂食障害は主に,①身体像(ボディイメージ)の障害:詳細は後述,②痩せ願望・肥満への恐怖に起因する不食や食事制限,③過食と嘔吐による著しい痩せを生じさせる“神経性食欲不振症”と,大量の食物を強迫的に摂取し,その後,自己誘発性嘔吐や下剤の乱用,翌日の不食などで体重増加を防ぐ“神経性大食症”がある.
生命維持の根源,“食行動”の異常であるため,精神症状だけでなく種々の身体症状が生じる.詳細については専門書に譲るが,本稿では歯科開業医が摂食障害患者に接する際,心に刻んでおいていただきたいことを紹介したい.

「痩せすぎ・食べろ・吐くな」という指導は意味がない

摂食障害は精神疾患である.痩せるためのダイエットと同一に考えている限り,患者(その大半は女性)と信頼関係を構築するのは不可能である.
患者は自分の意志で拒食や過食嘔吐を止めることができない.その要因の一つは身体像の障害,つまり客観的に見ればどんなに痩せていようと,患者の認識では自分は太ったままなのである.そこへいくら「痩せすぎている」「食べても大丈夫」と説得しても,患者からすれば的外れでしかない.

また,繰り返される過食嘔吐はアルコール依存症の飲酒行動との類似性も指摘されており,自己抑制は困難である.
「摂食障害は精神疾患であり,拒食,過食嘔吐はその症状である」という認識で,対応する必要がある.

死に至る病である

前述のとおり摂食障害は,生命維持の根幹に関わる食行動の異常であるため全身に種々の合併症を引き起こす.なかでも嘔吐による電解質異常,拒食による低血糖などは時に生命の危険をも伴う.
精神的合併症では大うつ病障害の併存率が50 ~ 70% との報告もあり,自殺率の増加へと繋がる.

このような背景から,摂食障害症例の致死率は20年経過例で20%に達するとも報告されている.食欲不振症の女性の死亡率は同年齢の一般女性の12倍,他の精神疾患の2倍であり,まさに命に関わる障害と言える.
ただし,これらは積極的な治療を受けていない症例であり,入院治療や集中治療例では死亡率は著しく低下し,回復率も上昇する.

現在,日本における摂食障害の受診患者数は約2万4千人だが,実際の患者数はその数倍から十数倍に上るとみられている.
患者は往々にして受診を拒むため,いかに医療に結びつけるか,それが命を救う最重要のステップである.

歯科医療の位置づけと使命

数時間にわたる過食や食事代わりに一日中舐める飴は,口腔内を長時間酸性に保ち,う蝕を発生させる.また,毎日の嘔吐は強酸を歯面に直接浴びせ,酸蝕を招く.そのため,摂食障害患者の口腔内は早い段階で崩壊していく.
実際に20代で義歯というケースも珍しくない.歯科医療者はこれらに対応しなければならない.

しかし,「日中舐めている飴をデンタルタブレットに変える」「酸蝕歯をすべて補綴する」といった近視眼的な対応は本当に患者のためになるのだろうか.
飴を舐めることで糖分が摂れているとしたら,飴を止めたら低血糖で身体症状が悪化するかもしれないし,補綴処置をしても繰り返される嘔吐によりマージン部から酸蝕が再発する可能性がある.このような対症療法的な対応は,歯科医療者の自己満足でしかない.

摂食障害による食行動の異常は口腔内疾患のリスクを上げるため,摂食障害の寛解こそが最も効果的な対応となる.
しかし,一般的に摂食障害の治療は長期間を要し,その間に“摂食障害によるリスクからいかに歯を守るのか”を考える必要がある.そのために摂食障害という疾患を正しく理解し,その患者特有の食行動や栄養状態などを検討し,口腔内だけに囚われず“摂食障害治療チームの一員である”という意識を持ち続けることが重要である.

また前述のとおり,患者の医科受診の拒否や中断は非常に多い.しかし,多くの患者は歯への不安が大きく,歯科に対するモチベーションは非常に高い.
つまり,医科での摂食障害の治療には消極的だが,“歯だけは守りたい”という思いが強い.女性患者が大半を占めるため,歯の審美的障害は深刻な問題となるのであろう.
このように歯科のみを受診している患者に対し,歯科医師は,酸蝕などの口腔内所見()や身体所見から摂食障害の可能性を発見しなくてはならない.

臨床の行方_図

そして最も重要な役割は,正しい知識と理解のもと,摂食障害患者を医科受診へと誘うことである.それは前述のとおり,口腔内だけでなく命をも救うことになる.これが最優先事項であることは自明である.

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