自分史的なクリッピング史料

今日はどちらかと言えばスッキリしない天気。余り気温は高くない割に、家にいると、何となく蒸し暑く感じる。昨日の暖気が未だ抜け切れていないからだろうか。今年の夏の猛暑が予想される中、梅雨明けも比較的遅く、夏を長く感じることに少々うんざりする気持ちもある。そううんざりと言えば、袴田さん事件では、相変わらず検察側は死刑を求刑した。勿論、自分はその真相を知る訳ではないので、あくまでメディアである新聞記事やTV、そして雑誌等からの情報を断片的に拾うことしかできない。いずれにしても死刑は重く、その真相は限りなく追及されるべきと思うものの、慎重さ=長期間というロジックにも少々辟易するところもなきにしもあらず。いずれにせよことここに至ってはその結末を見守るしかない。

2024年5月22日 朝日 アイヌ文化 出土品から迫る

昨日の夕刊の記事に目が行った。「きっと私たちはアイヌの人々の歴史をあまり知らない」というリードから始まる。そう、アイヌのことは、それこそ「ゴールデンカムイ」で知ることも多かった。アイヌの足跡を追おうとしても文字記録や絵がほとんど残されていないという。ならばモノの出番だと。

この記事では、「つながるアイヌ考古学」という本の紹介。出土品を手掛かりにその真相に迫ろうという本らしい。やはり近年、アイヌ文化への関心は高まっていて、先住民族を明記した法整備や、文化振興を図るウポポイ(民族共生象徴空間)も誕生とある。その直ぐ後に記されるマンガや映画とあるのはまさに「ゴールデンカムイ」のこと。といいつつも、未だ突っ込みが足りない。そう考えた弘前大の関根先生は、自然を愛し共生する人々といった画一的なイメージは相変わらずだし、身近な存在とは言い難いと思っていらっしゃる様子。それは、ルーツや歴史に不明な部分がいまだ多いのも無関係ではないと。自ら史料を残さなかったアイヌの人々は自分たちを異民族視してきた和人らによって紹介されるほかないため、その実像がゆがめられてきたという経緯。

アイヌ文化は北海道の擦文文化が南北の影響を受けて変質し、沿岸部に広がっていたオホーツク文化の生業や儀礼も受け継いで、13世紀ごろ成立したというのが大まかな流れの様子。文化的追求は、民具や呪具、生活用品などの伝世品を通した民族的手法によることが多く、考古学的アプローチは遅れてきたとある。編年の基本となる土器に乏しく、アイヌの人々が使っていた樹皮や動物の皮といった有機質の素材は失われやすいという背景があるから。

考古学研究者も狩猟採集の縄文時代を知る手がかりとして扱われがちで、アイヌ文化そのものを研究する視点が欠けていたと記されていて、ようやく中近世考古学が広がり、ようやく北海道ローカルな視点から脱出しつつあると関根先生はコメントされている。そしてそこから見えてきたのは、主体性を持った、躍動する交易民の顔だとも。今「地域学入門」(ちくま新書)を再読しているけど、この本の中にもいくつか昔の地図が挿入されていて、青森の一部地域にもアイヌの部落があった様子だから、海を渡って本土にも少なくともアイヌの文化を持ち込んでいたのではないだろうか。

墓に副葬される鉄製品や漆器はその多くが日本製らしく、お茶や仏教、陶磁器などには関心を示さず、本土では顧みられなくなった、いにしえの玉や鏡を、宝物や祭祀具として重宝した。そう、アイヌ社会は決して閉鎖的な世界などではなく、自らの価値観を堅持しつつ広く外に開いていたわけで、日本社会を下支えしたアイヌ交易を抜きに日本史は語れないと関根さん。今後アイヌ文化がどこまで浸透していたのか、どこの地域にどんな態様で、というのも明らかになってくるかも知れない。

多様性が叫ばれているけど、日本文化という観点からも、アイヌ文化、そして琉球王国の文化など、多様性は今では当たり前になってきているのかも知れない。必ず接点はあるはずだし、少なくとも本土においてもピックアップしたその文化があると思う。北海道では縄文文化を引き継いだという史実もあり、本土とは異なる歴史もある様子で、その中でのアイヌ文化を捉えると未だ未だ探求の余地はありそうだ。青森でも三内丸山遺跡を訪れたことがあるけど、極北の地と思えるような場所でも文化が存在したという事実は、現代の人たちにとっても、考えさせられるものがある。

でも、圧倒的な少数派ゆえに理解は遅れ、それが偏見や無理解につながっていると締めの段落で語られているけど、それは文化的な背景に限らず、少数派はどうしても虐げられてしまう。関根さんは「対等な時代があったことを考古学的に示したい」とコメントされている。木彫りのお土産品やエキゾチックな工芸品ばかりに目を向けるのではなく、文化そのものを探求してみるのもいいかも知れない。こうした探求は決して直ぐに仕事等に直結する訳ではないけど、色々な角度から、日本の今から過去を考える思考の練習になるのではないかと思いながら、どうしてもそういったロマンティックな話題に目がいってしまうのも、ミーハーな自分としては自省するところもある。もっと深く知りたいという欲望はあるものの、限られた時間のせいにしているところもあると。

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