自分史的なクリッピング史料

昨今はコミュニケーションという概念が多く取り上げられている。言葉が通じなければ、ジェスチャーで、即ちボディランゲージでも通用すると思いがちだし、何とかなると思っている人も多いのだろう。でも日本での常識がそのまま通じない時もあるだろう。結構海外で失礼な振る舞いをしていたのではないか?と今更ながら不安にもなる。

2007年12月2日 日経 暮らしサプライズ そのポーズ何の意味

親指と人差し指で丸を作ればOK、うなづけばYESというボディランゲージは全世界共通ではない、と出だしで始まる。

ブラジルを訪れた日本人観光客が土産物店で目にする握り拳の人差し指と中指の間から親指を突き出した木彫りの土産は「幸福」を意味するもの。そこで、これでOKを意思表示しようと日本で当たり前のOKサインを出すと、ブラジルではお尻の穴を意味するらしい。お金はなんと親指と人差し指、中指をすりあわせ、札束を数える仕草で伝えるらしい。

ギリシャでは、もういいよという態度を表すために、手のひらを開いて相手に突き出すとそれは最大限の軽蔑の意味を表すと。ではいらないのつもりで首を横に振るいやいやポーズをすれば、それはYESの意味に取られかねないという。NOは頭を後ろに反らすので、頷いているようだと。

アフリカではOKポーズがゼロ=無価値=良くないということだったりして、相手はがっかりするということもあるらしい。ということでジェスチャー、ボディランゲージでは国や地域によって大きくその意味するところを異にすることも。ちょっと学際的に言えば「キリスト教世界や欧州の古代文明は手に人格を持たせた」と京都外語大の野村先生のコメントが記されている。要は良いことも悪いこともするのがいつも手なんだと。十字を切ったり、片手を上げて宣誓したりと手の動きは重要で多様な意味を持っているということらしい。

中指を突き立てるポーズもブラジルの木彫りも元来は女性を象徴するもので、悪魔が気を取られて災難を回避できるということで、魔除け=幸運の印と意味付けされている様子。人差し指と中指を絡ませるエンガチョポーズやら、人の前を通り抜けようとする際に手刀を切る仕草などはもう忘却の彼方に行ってしまったのではないか?との記述も。手刀の方は相撲中継で力士が控えに座る際に手前に座る力士や審判員に手刀を切っているので、仕草自体はやらないにしても見る機会はあるのでは・・・・。

日本では、手より目が重要な場面が多いのではないかと国士舘大野鈴木先生。なにせガンを飛ばすのが、任侠モノの映画でもそうだけど、目のアクションとしては日本では馴染み深い。さっきの相撲でも仕切り中にガンを飛ばしあって闘争心をあらわにすることもあるし・・・。

連合赤軍の重信房子が逮捕された時、両手の親指を突き立てたという仕草の意味は何か?と記述がある。これは今では当たり前のOKポーズだと思うけど、OKの意味自体はかなり広くなっていると思う。でもこの時からなのだ、それが「OK、大丈夫」という意味が付されたのは・・・と書いてある。

あ〜どうしよう、頭が痛い、などの表現である頭をかく仕草も日本独特らしい。中東の人には通じないと結びで。でも今では動画における表現発信は自由だし、新たなボディランゲージがたくさん開発(というか表現)されているので、益々重要になってくる。一方で、日本だけに通じるものは衰退していってしまうのだろうか? 海外文化に迎合することなく、その意味するところを世界で共有できたら、ある意味更なるヒトの進化が期待できるのではないだろうか。最近は音楽などでは覆面が流行っている。ある意味影絵だけのボディランゲージを駆使しながらというところだろうか。Adoとか、tukiとか。晩餐歌はいい歌だなぁと思う。余りボディランゲージとは関係ないかもしれない。

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