自分史的なクリッピング史料

昨日、溜まりに溜まった蔵書を整理しているうちに、蔵書にしたいものには、叢書というハンコをつくって裏表紙あるいは最後のページに押印している。でも中身を覚えている本はいいけれど、そうでないものはパラパラと再読しないと思い出せないし判断できない。となるともっと時間が掛かりそうだとの考えに至り途中で挫折した。きっとまだあることには意味があるのだと自分を納得させて。

今日は、名言集について。確かに、巷に名言集なるものが流行った時期もあり、やたら「超訳○○」といった本が随分と書店の棚に並んでいた記憶がある。

2010年10月24日 日経 活字の海で 相次ぐ「名言集」の効用
深い読書へ誘う入り口に

多分、この頃が名言ブームの最盛期なのだろうか?記憶は定かではないけど・・・。先行きの不透明な時代、偉人の名言は不安な心の支えになるし、拾い読みできる「名言集」は、忙しい現代人の生活に合う・・・で冒頭の文は始まる。

こうしたショートカットのような読書はその後厚みを増して今流行りの要約テキストにもつながっているのだろうか。読書体験を共有するソーシャル・リーディングの一種であると解説していて、そうか「ソーシャル・リーディング」という言葉で括られるんだと当時思った筈。

「超訳ニーチェの言葉」、「座右の銘」といったヒット作品が世に出され、自分もニーチェの方は読んで蔵書の中にある。また定番として、「ショーペンハウアー 大切な教え」や「ドストエフスキーの言葉」が紹介されている。多分どちらも読んではいない。

ドストエフスキーと言えばやたらと暗さが目立つような気もするけど、明るいドストエフスキーがその本には演出されている様子で、読者にもその光が当たるというような解説が。

名言というフィルターを通した作品の読み替えで面白いのは、バカ田大学しあわせ研究部編「ココロに花が咲く言葉」という本があることも紹介され、我々世代には懐かしい、赤塚不二夫の名作「もーれつア太郎」にビジネス訓を見出す試みの本らしい。そんなのあったのか?

例えば、「お客さんのいったことにさからうな」というセリフとか。今じゃ、カスタマーハラスメントなど揶揄される行動も多いので、お客様は神様です的な思考は薄れて来てるのかもしれない。

もう一つ、ヤマトことば研究会編「宇宙戦艦ヤマト 愛と勇気の金言集 ヤマトことば」も同様の趣旨だと。このアニメは本当によく観ていたなぁ。夕刻5時台の放送を。

名言はあくまでキリトリに過ぎないのでその前後には豊穣な世界が広がっていることも忘れることがないようにしなくてはならないとの指摘も至極当たり前。でも、こうした金言集的な短いテキストでも読者に訴えるものがチョイスされた本が手元にあるのもいいなぁと思う。エントリー・導線としては申し分もないと私見ながら。スポーツやるにしても入門的なところは必ず必要だし、音楽・芸術でもそう。先に夢がありそうなのが入り口論の基本だ。

最後の段落では、名言を入り口に深い読書へ誘われるという流れがあって、これ持続していければ・・・と結ばれているけど、読書への入り口の仕組みと言えば、" 本屋でも入門書的な棚を作って欲しいなぁ" とも思う。でもそんなことしてたら、店員さんに、" 人それぞれ、フィットしたと思う本は、どれを読んでも入門的ですよ" と言われそうで、返って道に迷うことになるに違いない。

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