自分史的なクリッピング史料
料理に関するクリッピング史料もたくさんある(と前にも書いたっけ)。自分でも調理したいと思い、結構料理もしたけど、なかなか男の料理というのは限界もあるのだろうか、それとも本人の気概の問題だろうか。それでもカレーが大好きで結構トライもした。正直レトルトだろうと何だろうとまずいと思ったことはない。自分で作ったカレーでさえも。きっと各家庭でそれぞれ独自の味がありそうだし、それぞれのカレーでは味変というか微妙な味付けがきっと巧妙に行われているだろう。そんな想像をするだけで楽しい。
2017年8月XX日 朝日 カレーどうして国民食に?
(*日にちがパンチ穴で確認できません)
カレーはそもそもいつから日本にあるのか?という素朴な疑問から記事は始まる。カレーライスと言えば松尾貴史だと。当時、下北沢に店をオープンするほどのカレー好き。未だに好評のお店の様子。松尾さんは子供の頃、地元・神戸で100円玉を握りしめてカレー屋さんに通ったとある。歴史的にはインドのカレーが明治初期にイギリス経由でカレー粉として入ってきたというのが通説のよう。明治後期には、日本で初めて薬種問屋がカレー粉を商品化して販売。
では最初の伝来地はどこなのか? 横須賀説、北海道説、諸説あるらしいが、カレー総合研究所の所長さんのコメントでは横浜説が有力らしい。外国人居留地があった横浜で、明治5年に発行された料理書『西洋料理指南書』や『西洋料理通』にカレーのレシピが掲載されていたというエビデンスが。
明治時代に広まった料理には、カツレツやオムライス、コロッケなど錚々たるラインアップだ。カレーがこの中でも国民食にまで昇華したのは理由がある。
・栄養バランスが良いこと
・まとめて大量に作れること
・配膳や片付けが比較的容易だということ
といった理由で旧陸海軍で食事に採用されたことがキッカケだと。その後退役した人たちが全国に散らばり、各地に伝承、家庭でも作られるようになり国民食となった。戦後の学校給食にまで採用されて益々という感じだろうか。
各地に散ったカレーはどのようなアレンジに至ったのだろうか? 明治時代にはすでにカレーうどんやカレー南蛮が誕生していて、昭和初期にはカレーパンも登場。カレーは便利。観光地ではご当地レトルトカレーが定番商品。
ご当地感? 大阪以西は牛肉とメークイン、名古屋以東は豚肉と男爵が夫々主役とあるが、我が家では基本鶏肉とメークインなので非主流派だ。更に大阪や福岡ではウスターソースをかけるとあるので、地域柄だろうか。因みにウスターソースはかけたことはない。生卵のせくらいかなぁ?
我が家からも比較的近い横須賀は、時折ポートマーケット等にバイクでひとっ走りで行って海軍カレーを食す。でもあまり中身を記憶している訳ではない。店によっても違うから。でも明治41年発行の「海軍割烹術参考書」のレシピには、牛脂、小麦粉、スパイスの順で加えて炒め、具は牛肉か鶏肉、更にさいの目状に細かく切ったジャガイモ、タマネギ、ニンジンを加えるらしい。今度自分で海軍カレーを作ってみよう。
横須賀のカレー店主は海軍カレーが一つの街おこしの手段にもなっているとコメントもされていて、ここでは小麦粉を控えめにし、フルーツと野菜でとろみをだして味わい深く、そしてさらりとした食感が堪能できると。こういうテキストを読んでいるだけでもヨダレが出る。
最後に圧倒的な添え物はラッキョウ派だけど、これは基本大阪以西らしく、名古屋以東は福神漬けらしい。もちろん福神漬けも好きだし、昔は福神漬けだったけど、ある時からラッキョウを知ってしまい、そこからはもっぱらラッキョウ。きっと各家庭でも違うんだろうなぁ。カレーの話だけでコミュニケーションは円滑に進むような気がする。さて、最後にヤオコーで売られているオリジナルブランド(Yes)のレトルトカレー(税前78円)は絶品だと思う。この安さでこの味、と常備備蓄していて、自ずと使用頻度は多い。
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