自分史的なクリッピング史料

今日はどちらかと言えばGWの狭間での雨模様。でもこれから出かける予定で、何となくスタートの気合が入らない。我がワンコも初めての小旅行。と言っても、ワンコを連れていくということは行動にも制限がかかるし、準備にも相当な負担がかかる。そう、自分の家族だからこその負担だと思えば仕方がないと割り切れる。さて今日の新聞で気になる記事を読んだ。スポーツ面での小さな記事2つ。どちらも負担というテーマがある。

2024年5月1日 朝日 自由自在 マイナー競技でどう生きる 選手の布石
           大分三好が活動休止へ

まず、最初の記事はマイナー競技のカヌーでどう生きていくかで始まる。
当銘孝仁さんという選手の話。当銘さんは3年間、その在り方を考えてきたという。もともと2021年の東京五輪で引退するつもりだったらしいけど、準々決勝で敗退し、燃え尽きることはなかったとある。東京五輪までは、新潟県の三条市のスポーツ協会に所属していた。

多くの選手は高校や大学を卒業後、都道府県から強化費をもらうか、企業に所属して競技を続けると記されていて、これはマイナースポーツだけに限らず、スポンサーシップというシステムが従来から確立されている。勿論、その仕組みの普及度合いは格差があるだろう。

当銘さんはこうした在り方に疑問を持ち、「日本のカヌーは業界が小さいから、選手がコーチを選べない」とコメントされている。要はマイナー競技などは特に狭い世界でしかないから制約条件も多いということ。コーチを選ぶことすらできない競技を若者が選択するはずがないという意見。そこで、当銘さんはプロの道を選ぶ。カヌー競技では異例だ。

東京五輪後、新潟の企業を中心に営業して回り、小中学校への指導や地域貢献活動に力を入れることなどを口説き文句に十分な資金が集まったという。
プロとしての裁量と五輪に向けた自身の活動も可能というある意味で贅沢。カヌーでもそれを実現したい、証明したいとの思いがあったという。

ところが、4月21日のパリ五輪予選で、万全のコンディションで臨んだものの結果は8位。パリへの道は断たれてしまった。今後は何も決めていない様子ではあるけど、「プロとして決められた時間内にやりきる力を大事にしてきた。納期を守るということ」とコメントされていることから、やはり一旦身を引く覚悟なのだろうか。

アジア大陸予選で、日本選手は一人もカヌースプリントでのパリ五輪出場権を獲得できなかった。協会の専務理事も財政的には自転車操業で、選手には無理をかけている部分があると認識している様子。当銘さんのチャレンジが今後のヒントになることを願うと締めくくっているけど、それでは解決策にはなりはしない。マイナー競技と言われるものはもっともっと沢山ある。一つのコンテンツでは魅力的に映らないとしても、スポーツに共通する技量って何かないものだろうか。子どもたちにも多様な選択肢を表明できないだろうか。

野球の大谷選手は二刀流だけど、ある意味野球という確立された領域。以前はスケート選手と自転車競技などの二刀流選手もいた。練習の一環で共通していることがあったからだ。でもよくよく考えると、一般的にスポーツでより頂点を目指そうと思うと年齢的な幅、時間等の制約条件も多い。だからこそ、介護や農園などの運営により、セカンドキャリア等の仕組みを取り込もうとしている競技もある。

要はスポンサーシップという仕組みの限界や各競技においてトップ選手だけを育成するだけのフィルタリング機能を発揮することだけに注目しすぎなのかも知れない。大多数はトップ選手にはなれないという現実もある。これは社会全体でも言えること。だからこそ個々人の競技や学習が、その幅を個々人において広げられるような延長線のような描き方や訂正・修正する補助線を用意できるような大きな考え方などができないのかなぁ。

後段の記事は小さなお知らせ的な記事で、バレーボール男子V2の大分三好がチーム運営の継続が難しくなったとして活動休止を発表した。譲渡先も見つからず、10月に始まる新Vリーグへの参戦も辞退すると。チームの母体は大分市の病院で、オーナーが今年3月に亡くなったことを機にチーム運営を協議したものの、活動休止の結論になったと。

マイナー競技のプロ化、スポンサーシップという仕組みの限界、今後も耳にするであろうトピックスだと思うけど、いわゆるスポーツ・マーケティングの世界に寄り過ぎてしまうと結局このジレンマは永遠に続くのではないか?と思う。地域におけるマイナースポーツの取り込みや自治体の支援、まずは社会課題への解決の提示など、スポーツが社会に貢献する方法を色々と検討してモデルを作ることをぶつけ合ったりしたら良いのでは・・・・。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?