まだ行っていない韓国旅行地🇰🇷板門店

こんにちは🌞今回は판문점(板門店)について調べてみました。なかなかハードボイルドで調べる事も歴史を学ぶのも時間を要する場所でした💦

※いつも通りこの場所にはまだ訪れていません。行き方は各サイトを参照ください。写真などないです💦

また板門店は自分で行きたい時に行ける場所ではなく、日本からのツアーに参加しないといけない場所になっています。
持ち物や服装など細かく載っているので、行く前に要チェックです。迷彩柄やアメリカの国旗が描かれた服、露出の激しい服はNGだそうです。
太字で書いてありましたが、命の保証はないので覚書を書いたりもするようです。怖

판문점(板門店)って??

まずは판문점(板門店)の前に、DMZについて書こうと思います。わたしは今、自分の好きな旅行地の勉強を通じて、北朝鮮と韓国の関係や、朝鮮戦争のついて調べる事が多くなりました。
学校の世界史の授業でもあまり深入りして学んだわけでもないので、北朝鮮との境界線なども名前は聞いたことあるけど、「それ自体が何かは説明できない」状態でした。

まずはDMZについてです。
DMZは、平和をモチーフにした、DMZとゆかりある場所で歌手が歌を歌う音楽番組に、わたしの好きなアイドルが出たので、そこから興味を持ち行きたくなりました。単純なアイドル馬鹿です。
この時はDMZっていう場所があると思ってたのぐらいで全く知識がありませんでした。

DMZは韓国と北朝鮮との非武装地帯で、英語でDemilitarized Zoneの略語です。韓国と北朝鮮の軍事衝突を防ぐための地帯です。
軍事境界線から各2kmずつ、空けた地帯となっています。

地図の赤線がDMZ、非武装地帯です。
地図は途中で切れていますが、仁川側(左の方向に)ずっと続いています。

ちなみに軍事境界線から10km区域を民間人統制線、25km区域を接境地域とされていて、軍事作戦地域のため民間人の出入りは厳しく管理されているようです。
この辺は軍人の作戦活動等も最小限にしているようです。
人の出入りが少ないため自然が豊かで、貴重な動植物がいるとも注目を浴びています。

판문점(板門店)はDMZ上、つまり非武装地帯上にある韓国と北朝鮮の共同警備区域です。경기도(京畿道)の파주시(波州市)にあります。
元々この場所は飲み屋街で、一帯は豆畑と飲み屋、草屋が何軒かあるだけの널리문(ノルリムン)という場所でした。朝鮮戦争の際に停戦協定を結ぶ会談場所と決められて、世界的に有名になりました。先程書いた널리문(ノルリムン)を漢字で書くと판문점(板門店)なので、呼称もそうなったようです。

朝鮮戦争については今回はあまり説明しませんが、呼び名(?)が違うのが興味深かったので載せようと思います。朝鮮戦争は1950年6月25日から1953年7月27日まで続きました。
韓国では、625전쟁(625戦争)と言い、北朝鮮では、조국해방전쟁(祖国解放戦争)と言います。
わたし的にタメになったので、一応書かせてもらいました。

1960-1970年代には、北朝鮮から挑発される事が度々あったようですが、共同警備区域なだけ、自由に兵士が行き来できる場所でした。

ですが、1975年にヘンダーソン小領を北朝鮮軍が暴行する事件が起きました。
そして翌年1976年、도끼만행사건(直訳は斧蛮行事件。日本ではポプラ事件と言われています)という事件について書こうと思います。
米軍と韓国軍がポプラの木の剪定作業中に、北朝鮮軍が妨害に来たそうです。そのまま作業続行していると、北朝鮮軍が準備した斧とハンマー等の鈍器で米軍の将軍を殺害する、という事件です。
これらの事件が起こり、自由に行き来できた共同警備区域は両国でハッキリくっきり分けられるようになりました。
도끼만행사건(ポプラ事件)の記念碑もツアーで見れるそうです。

Twitterにて得た情報なのですが、「南北統一に向けてなのか、韓国内の教育でポプラ事件について触れていない」というのを見ました。(本当かどうかはわかりません)

この時刻の판문점(板門店)
北朝鮮の金正恩主席と韓国の文在寅大統領
後ろの青の建物は、毎日会議が行われる本会議場

돌아올 수 없는 다리(帰らざる橋)

この橋も판문점(板門店)ツアーで見学できるスポットです。バスの車窓からの見学になるようです。
名前を聞いただけでゾワッとするのですが、朝鮮戦争が終わり、捕虜たちをこの橋で引き渡ししたそうです。韓国か北朝鮮か、この橋上で選択でき、一度選択すると二度と変更できないので、帰らざる橋と名付けられました。怖

朝鮮戦争について学べる戦争記念館もあるので、そこでしっかり情報を得てから参加したいです。戦争記念館はソウルの龍山にあります。
記念館前に、兄弟の像が有るのですが、韓国軍の兄と北朝鮮軍の弟の実話をもとに作られた像だそうです。
ここもマストスポットです。

またこの戦争による離散家族が多くいます。韓国国内だけでも離れ離れになった家族が多く、なんとか探し出そうと、KBSでは「특별생방송 이산가족을 찾습니다 特別生放送 離散家族を探します)」という離散家族を探す生放送を1983年6月30日から11月14日まで行いました。100952名の申し込みのうち、53536名が探していると紹介されました。映像を見ましたが、ソウルにいる妹と大邱にいる兄が涙を流しながらお互いの名前を呼ぶシーン1つ見るだけでとても胸が痛くなりました。
まだ見つられない人や、希望を捨てずに投稿を続ける人も今でも多くいるので、離散家族がもたらす悲しみは深いと痛感できます。
この「KBS離散家族を探します」はユネスコ世界記録遺産にも登録されています。

韓国国内の痛み、北朝鮮との痛みを学ぶ機会になると思い、판문점 (板門店)は行ってみたいです。
ツアーにはお土産が購入できる場所もあるようなので、それを楽しみに(?)しながら、映画や本などで朝鮮戦争についても深く調べていきたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございます😊

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