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オートクチュールな彼女は、チーププレタポルテの自分に興味津々

偏差値が高めな女子大で、別名“お嬢様大学”とも呼ばれているが、国立大学なので学費が安く、そのため一般家庭や私のような貧しい家庭の学生も何割か在籍する大学があった。

彼女と最初に出会ったのは、履修登録説明会のときだった。私の彼女に対する第一印象は、

(皇族か⁉)
だった。なんという名前の生地かは分からないが、明らかに高級な生地に、一着一着オーダーメイドなんだろうなって分かるくらい彼女の体にジャストフィットする服を着ていた(かと言ってエロいわけではない)。

互いに物珍しかったのか、彼女と私はよく話をするようになった。

何の話の流れなのか、あるとき彼女に“カツアゲ”について話をしていた。

「カツ揚げ?何だか美味しそうな名前ね。フフフ。」
と彼女は返事をした。
私はかくかくしかじかであると説明をした。すると、彼女は、
「語源は?語源は何なのよ?」
と意外な反応を示した。

地元の公立中学や高校に通った自分には、日常的な会話に出てくる当たり前すぎる単語だったため、語源なんて考えたこそすらなかった。

それから、二人でインターネットや図書館の辞典で調べて語源や漢字を知り、逆に自分が驚かされることもあった。

『アンパン』『パクられる』『根性焼き』『タイマン』『ステゴロ』……

私が思いつくかぎりの“不良用語”を出し、二人で語源や漢字を調べる日が続いた。
私は不良というわけではなかったので、地元の友人のツテを使って、不良用語をさらに集めていった。

そのうち、一部の地域でしか使われないような、方言のような不良用語もあると気づき、SNSも使い始め、広く不良用語をつのった。

私は彼女にこわれ、学内で“うんこ座り”を教授したことさえあった。

すると、一部の学生から、
「彼女に変な言葉を教えるのは控えていただきたい。」
「彼女がどんどん汚されていく。」
「彼女に近づかないでいただきたい。」
「付き合う相手を選んだらどうかしら?」
という声が挙がった。
私は悲しくなり、彼女から距離をおこうかと思った。すると、彼女は、

「私の親友なんだから!」
と毅然とした態度で言い返してくれた。
あるとき、彼女の愛車で郊外をドライブした。運転席にいた彼女は、畑の近くを歩く男性を見て、

「珍しいヘアスタイルね。」
と言った。

私は、
「ああ、あれは、勘違いした不良。イキがって失敗しちゃったんだね。」
と助手席から答えた。

「あっ、あれは?」
と彼女は、今度は反対側の歩道を歩く女性について聞いた。

「頑張っておしゃれのため茶髪にしている人。あれは不良じゃないよ。」
と私は答えた。

「あの二人組の女子高生は?」

「クラスカースト上位ってとこ。マイルドヤンキーだね。」

「あの男性は?」

「昔、ヤンチャしていたタイプ。今は仕事もバリバリやる良いお父さんってところ。」

「凄い!何で不良か非不良か瞬時に見分けられるの?」
と、彼女は目を輝かせてきた。

「いや、何でって、一目瞭然だし。」
と私は答えた。

それからしばらくは、彼女とドライブする度に、不良かどうかを見分ける方法を話し合ったりした。

その後彼女は、卒論のテーマを『不良及びヤンキーにおける語源やファッションの変遷』としてまとめ、大学院にも進学した。

相変わらず皇族みたいなオートクチュールをさらっと着こなす彼女は、その外見と研究のギャップが受けて、ヤンキー学の第一人者としてテレビ出演することがあった。

「ヤンキーに興味を持たれたきっかけは?」
そう司会者のタレントに聞かれた彼女は、

「親友との会話です。」
と答えた。

「とんでもない親友ですね!」
と司会者が言うと、スタジオはどっと受けた。

「私の世界を広げてくれた親友に感謝です。」
と彼女は、学生のときと同じように毅然とした態度で言った。

*  *  *

皇族みたいなオートクチュールを颯爽と着こなすお嬢と、関東某所のお茶屋さんにおもむいた。

そこのお店でお茶を購入するとスタンプカードに印が押され、そういったお店を数店まわってスタンプを集めると景品がもらえた。

そうした経験が一度もないお嬢は、やってみたいと言い出したので私は付き合うことにした。

店頭では数種類のお茶を試飲することができた。私たちは試飲しながら、どれを買って帰るか話し合っていた。

「“スタンプ”が欲しいだけなんでしょ?」
初老の店長はニヤッと笑いながら、私たち二人を見てきた。
私は内心カチンとしながら、あいまいな笑顔を浮かべた。

しかし、店長はなおも
「どれでもいいんでしょ?どれを買ってもスタンプは一緒だよ。」
と言ってきた。
私は悔しかった。自分がバカにされるのは仕方ないにしても、お嬢をバカにするのは許せなかった。

「お嬢は、茶の味がわかっているんだ!」
私が声に出して抗議をしようとしたとき、お嬢が聞きなれない言葉をつらつらと並べだした。

どうやら壁に掛かっている書を読んでいるらしかった。

お嬢が書を読み終えると、店長は、
「ほほう。」
と言った。

お嬢は、
「徳川幕府が書状を出されたんですね。」
と言った。
その後、お嬢と店長は、私が聞きなれない言葉のやり取りをいくつかした。

二人の話を簡単に言うと、このお店は幕府に認められた特別なお茶屋さんということらしかった。

お店を出て車に乗り込むと、お嬢が言った。
「何だかモヤモヤする。この感情は何かしら?」
と言ってきた。

私は、
「あの店長は『おまいらはスタンプ目当てで来ただけだから、お茶なんてどうでもいいと思っているんだろう?お茶はどれも一緒の味がすると思っているんだろう?』って言っていたんだよ。」
と言った。
お嬢は、
「それは腹立たしいわね。」
と言った。お嬢には下々の嫌みは通じなかったらしいので、私は正しく“通訳”をしなくても良かったのかなと少し後悔した。

帰り道、夏祭りをしている会場の近くを通った。お嬢が見ていきたいというので、私は付き合うことにした。

なかなか大きい会場で、夜店がたくさん出ていた。

お嬢にフランクフルトや綿あめをすすめてみたが、
「あの人たちのように、立って歩きながら器用に食べられない。」
というので、射的をすすめた。

「射撃ならやったことがあるわ。」
とお嬢が言った。いや、“撃”じゃなくて“的”なんですけどというツッコミを私は飲み込んだ。

“経験者”のお嬢は景品を手に入れ、うれしそうだった。

立ち食い以外でお嬢が喜びそうなものはと、次に私が目をつけたのは、金魚すくいだった。

初めての金魚すくいに悪戦苦闘していたが、店主から教わるとお嬢は徐々にコツをつかみ、5本目のポイでは5匹つかまえることに成功した。金魚はお店に置いて帰ることにした。

少し歩いていると、また別の金魚すくいの店を見つけた。お嬢は、
「あそこでもやりたい!」
と言った。

私は、
「私はお面を見てくる。」
と言ってその場を離れた。私は天才バカボンのパパのお面を買って、金魚すくいのお店に向かった。

お嬢はちょうど金魚すくいを終えたようで、私の方へ向かってきた。

「『もう来ないで!』って言われた。」
お嬢は苦悶の表情を浮かべていた。
私は、
「誰に⁉」
と聞いた。

「金魚すくいの店主に。」

「1回でどのくらい取ったの?」

「12匹。」
「“遊び”でやった?つまり、つかまえた金魚は店に置いてきた?」

「うん。やる前に、持ち帰らないことは伝えていたのよ。」

「ああ、それは、あの店主なりの誉め言葉だったんだと思うよ。」

「誉め言葉?あれが⁉どうして⁉」

「うん。それが誉め言葉なの。もちろん、店主はお嬢が金魚を持ち帰らないことは理解してたんだけど、『100円で12匹も持ち帰られたら、こっちの商売上がったりだよ。もう来ないで。それにしても、お嬢さん上手だね。』って言いたかったんだと思うよ。」
と私は言った。
彼女は、何だか腑に落ちない顔をした。庶民のジョークはお嬢を悲しませただけだった。

私は、天才バカボンのパパのお面をかぶると、お茶屋さんに飾られた書について、

「よく読めたのだ。すごいのだ。」
と言った。

それから、東京に着くまでは、

「現代国語の試験で、森鴎外の作品が出てくるのは許せないのだ。森鴎外は古文なのだ。」
という私に対して、

「いいえ、森鷗外は現代国語です。非常に読みやすいです。」
とキッパリ言うお嬢とで意見がわれたのだけど、私がかぶるお面や私の語尾にツッコミを入れることは、ついになかったのである。

*  *  *

皇族みたいなオートクチュールを颯爽と着こなすお嬢と郊外にある大型ショッピングセンターに行った。

お嬢が掃除道具を見て、
「これは何かしら?」
と尋ねれば、私がわかる範囲で用途を答えたり、身ぶり手振りで教えたりした。

お菓子コーナーにやってきたお嬢は、
「これは一緒に牛乳も買わなければいけないってこと?牛乳がなければ作れないのかしら?」
と聞いてきた。

それは、オレオだった。
私は、
「このお菓子は、そのまま食べてもおいしいけど、牛乳に浸して食べてもおいしいって、販売会社がパッケージで提案しているだけだよ。ほんとうに何にも知らないんだね?」
と笑いながら答えた。

お嬢は、
「こういうの食べさせてもらえなかったんだもん。」
と半泣きになってしまった。

私は慌てて、
「ごめん、ごめん。」
と謝りながら説明を続けた。

「オレオって、パッケージのようにこのままの形で食べられることが少なくて、大半の人は、この上の黒いクッキー部分を、下の白いクリームから剥がして食べるのが一般的なんだよね。」
「剥がして食べなればいけないの?」
お嬢は不思議そうに聞いてきた。

「そうしなければいけないってルールはないんだけど、オレオを手に持つと、剥がしたいという衝動に誰しも抗えなくなるんだよ。」
「わからないわ。このお菓子にそんな力があるなんて。」
お嬢はまだ理解に苦しむ様子であった。

「これを買って帰って、実際手に取ってみたらわかるよ、きっと。」

「う~ん。」

私はお嬢を無視して、なおも続けた。
「それで、クッキーとクリームをきれいに剥がすのにはコツがあって、左手で下のクッキーを持って、右手で上のクッキーを持ち、互いにゆっくり逆方向に回すと、クリームがクッキーに付かずに分離するの。ドアノブを回す感覚と似ているかな?」

「それをやって何になるの?」
とお嬢は聞いてきた。

「何にもならないよ。何にもならないけど、きれいに剥がせたときは、“勝ったー”って気持ちになるし、オレオ剥がしをジンクスとして利用してもいいかもね。きれいに剥がせたら、“今日は一日良いことあるぞー”とかね。」
「ふーん。」
お嬢はさして興味を抱かなかったようだ。

「他の友人にも聞いてみたらいいよ。オレオを剥がして食べたことがあるかどうか。1袋に入っている全部のオレオを、1枚も剥がさずに食べ終えた人は私は知らない。」

「わかった。聞いてみるわ。」
とお嬢は言った。

数日後、お嬢と再会すると、
「あのオレオの話だけどね。」
と言ってきた。

「やっぱり、みんなクッキーとクリームを分離して食べたことがあるって言ってたわ。」

私は、
「でしょー‼」
と勝ち誇って言った。

お嬢は、
「でも、私は、1袋全部を一人で食べたけど、最後まで剥がしたいという衝動にはかられなかったわ。」
と言った。

私は、
「無理してない?」
と彼女の顔をのぞきこんだ。

「いいえ、まったく。」
というと、お嬢は運ばれてきたミルフィーユを、ナイフとフォークを使ってきれいに食べた。

私もお嬢と同じようにミルフィーユをきれいに食べようとしたけれど途中で断念して、フォークだけを手に持つと、クリームと生地を別々に食べた。

お嬢は私をキッと睨み、
「抗いなさい!」
と目で訴えてきた。

*  *  *

相変わらず皇族みたいなオートクチュールを颯爽と着こなすお嬢と大学の近くを歩いているとき、パトカーが私たち二人の横を通りすぎた。

「そういえばさあ、バイトに行くために早朝、自転車を漕いでいたわけよ。そしたら、目の前をパトカーが横切ったんだけど、そのパトカーの助手席に乗っている警察官がこっちを見てきたわけ。」
と私が切り出した。

「うん。」

「私、うっかり目を反らしちゃったんだよね。やべって思ったときはもう遅くて、そのパトカーがUターンしてきて、『そこの自転車、止まりなさい』ってスピーカーで流れてくるわけ。」
と私は続けた。

「う?うん。」

「私が止まるとパトカーから警官が二人降りてきて、『鍵が壊れた自転車に乗ってるな。盗難車かどうか車体番号を照会する』って。」
と私は眉間にしわを寄せた。

「あら。」

「私、気にしていなかったんだよね。中古屋さんで買ったときからカギはなくって、だから、乗らないときはずっとチェーンをつけていたんだよね。」
と私は身ぶりを交えて説明した。

「うん。」

「若い警察官がパトカー内で車体番号を照会する間、40歳くらいの警察官と話してたんだけど、サイフの中に中古屋さんの手書きの証明書があるのを思い出して、それを見せたら、『これって、⚫⚫女子大のすぐ近くだね。もしかして、そこの学生?』って聞いてくるわけ。」
と私は目を見開いた。

「うん。」

「そうですって答えたら、その警察官、コロッと態度が変わっちゃって、『失礼しました!』って。あのときほど、OGに感謝したことはなかったなあ。その後、盗難の届けも出てないのがわかって、即無罪放免ってわけよ。」
と私は誇らしげに胸を張った。

「解せないことがいくつかあるわ。なぜ“うっかり目を反らしてしまい”、それに対して“やべっ”って思ったの?」
とお嬢が聞いてきた。

「別に私は不良じゃなかったし、悪いこともしていなかったんだけど、パトカーを見ると、反射的に『やべえ、逃げろ』って思うわけ。でも、ほんとうに逃げるところを警察官に見つかると、警察官は何かやましいことがあるから逃げているって思って、補導や職質をするわけ。」
と私は説明し始めた。

「う?うん。」

「だから、警察官がこっちを見てきたら、こっちは何もやましいことはありませんよってアピールするために、警察官の目をじっと見るの。反らすなんて、自分の方から職質して下さいって言ってるようなもんなのよ。」
と私は天を仰いだ。

「新たな疑問が出てきたわ。何も悪いことをしていないのに、なぜ『やべえ、逃げろ』ってなるのかしら?」
とお嬢は追及してきた。

「それは、う~ん。さがかな?」
と私は答えた。

「サ・ガ? 性?」
お嬢は余計混乱してしまったようだ。

「そう、性。これは、そこの地域で生まれ育った者にしか分からない性だね。」
私もそれ以上説明ができなかった。

先ほどのパトカーが、また横を通り過ぎていこうとした。

お嬢は道路に身を乗り出さんばかりに、前傾姿勢になると、乗っている警察官の一人を凝視した。

「あの警察官、私から目を反らしたんだけど、なぜかしら?」
とお嬢は言った。

「だって、お嬢を職質したら、どっかの組織に消されそうだもん。」
私がそう言うと、

「“どっか”ってどこよ⁉失礼しちゃう。」
とお嬢は言って、オートクチュールをひらひらさせながら、迎えにきている黒塗りの車の方へ歩いて行ってしまった。

*  * *

相変わらず皇族みたいなオートクチュールを颯爽と着こなすお嬢が、学内で私に話しかけてきた。

「オペラに興味はあるかしら?」
「オ、オ、オペラですと⁉」

私の半生の中で、日常会話にオペラという単語をサラッと言った人間がいなかったため、一瞬、そら耳かと思った。

「音楽の時間やテレビでチラッと聴いた程度かな~。」
お嬢の前で見栄を張っても仕方ない。私は正直に答えた。

「ということは、劇場で観たことがないということかしら?」
お嬢の目はなぜか輝いていた。

「そうだけど。それがなにか?」
私は目を白黒させた。

お嬢によると、家族と一緒にオペラを観に行く予定が、用事ができてしまい誰も行けなくなってしまったとのことだった。生でオペラ鑑賞なんて、この機会を逃したら一生縁がないかもしれない。私は迷わず快諾した。

「作品は『椿姫』なんだけど、大丈夫かしら?」
とお嬢は聞いてきた。
「大丈夫って⁉」
私はお嬢が何を意図してそう言ったのかわからなかった。

「好みがあるじゃない? 喜劇が好きだとか、悲劇はちょっと駄目だとか。」
お嬢は、私の顔をのぞきこんできた。

「う~ん。私、たぶん何でも大丈夫だと思うよ? 映画もジャンルを問わず観るし。ところで、その“つばき姫”とやらは、喜劇なの?悲劇なの?」
今度はお嬢が目を白黒させた。
「取り敢えず、図書館で本を借りましょうか。」
お嬢の顔は少しひきつっていた。

図書館で本を開いた。
「これ、外国の話なんだ⁉ 人名、覚えにくそう。」
と私が言うと、

お嬢は若干青ざめながら、
「どこの国のお話と思っていたのかしら?」
と私に聞いてきた。

「日本!だって、つばき姫でしょ? 織り姫とかかぐや姫的な。」
「公演までに読んでおいて方が良さそうね。」
お嬢はため息をついていた。

公演当日、私は、アウトレットで買った総額1万円のプレタポルテのワンピースと靴に、お嬢から借りたストールを巻いて行った。

お嬢はいつも以上にゴージャスなオートクチュールに、首もとと耳と手の指には宝石が、手首には重たそうな時計が輝いていた。

「そういえば、チケット代っていくら?」
私は払おうとした。

「3万円よ。」
お嬢はサラッと言った。
「さ、3万円⁉ 二人で?」
私は驚いた。

「一人よ。15,000円のA席だと、私、音響があまり好きじゃないのよね。」

チケット代を払いますという言葉を私は飲み込んだ。

新国立劇場に着いた。席はかなり前の方かと思っていたが、1階席の後ろの方だった。

(ここが3万円⁉)

スマホで検索すると、 いちばん高い席は10万円を超えていた。

ブザーが鳴り、注意事項がアナウンスされ、再びブザーが鳴ると、舞台が暗転した。

(いやーーー、うそ~~~ん。)

すべてイタリア語だった。
字幕はあるにはあるのだが、映画のように目で追えるスピードに合わせて多少訳を省いて書かれているわけではなく、すべてを正しく訳しているために、字数が多く、両サイドに縦に設置された字幕スーパーは、ミュージックステーションのエンドロール並に高速で変わり続けた。

オペラ初観賞は、字幕スーパーとの戦いに終止した。

(今なら、パチンコ屋のスロットマシンが低速に見えるかも)

「いや~、オペラってイタリア語なんだね。英語ならまだしも、イタリア語なんてまったくわからないよ。字幕も異常に速いし。」
帰り道、私がそう言うと、

「イタリア語、知らなかったんだ。」
お嬢がポツリと言った。

「お嬢はイタリア語も知っているんだ。」

そういえば、お嬢は、オペラ歌手がジョークや皮肉を言うと、字幕が最後まで流れきらないうちに、フフフと笑っていた気がする。

「Grande!」
私は大袈裟に両手を開いて、お嬢の語学力を褒めた。

「嬉しいわ。今日の舞台を気に入ってくれて。」
お嬢はオートクチュールをヒラヒラさせながら、タクシー乗り場に向かって行った。

*  *  *

相変わらず皇族みたいなオートクチュールを颯爽と着こなすお嬢としゃぶしゃぶ食べ放題のレストランに着いた。

「どのコースにする?」
お嬢が私に聞いてきた。

1,980円のコースだと注文できる肉の種類が2種類しかなかった。かと言って、高級な豚肉や牛肉を含むコースだと4,980円。それは私のお財布に優しくなかった。

「2,980円のコースでもいい?」
私がお嬢に聞くと、お嬢は軽くうなづいた。

ピンポーン

「お待たせいたしました。」
私がテーブルの上に置いてあるインターフォンを押すと、若い男性店員が私たちのテーブルにやってきた。

「あのう、この2,980円のコースでお願いします。」
私がそう言うと、

お嬢が、
「ドリンクバーも2つお願いします。」
と付け加えた。

私はお嬢と初めてファミレスに行った日のことを思い出した。

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スパゲッティーを頼んだお嬢に、
「ドリンクバーどうする?」
と私が聞いたところ、

「紅茶がいいわ。」
とお嬢が言った。

「紅茶もドリンクバーに入っているから、ドリンクバー2つでいいね。」
と私が言うと、

お嬢は、
「私はドリンクバーじゃなくて紅茶がいいの!」
と言ってきた。
私は、298円支払うとメニューに載っているすべてのドリンクが飲み放題になることを“ドリンクバー”と呼ぶことを教えた。

私は、お嬢がドリンクバーの制度を理解したと踏んで、ドリンクバーを2つ注文した。

すると、お嬢は店員に、
「紅茶は食後でお願いします。」
と言った。
店員が困っていたので、
「私がやるから大丈夫です。」
と私は慌てて店員に答えた。

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(お嬢も成長したもんだ。)
私は関心した。

「あのう、すいません……」
若い男性店員が話しかけていたようだ。

「あっ、なんでしょうか。」
私は慌てて聞き返した。

「鍋のダシは何にしますか。」

お嬢と私はメニューを見た。

「えーっと、私は柚子塩をお願いします。お嬢は?」

「私も柚子塩でお願いします。」
とお嬢が言うと、

若い男性店員が、
「ダシは二種類選べるんですよ。」
と言ってきた。

「私も彼女も柚子塩を食べたいんで、柚子塩2つで。」
と私が言うと、

「鍋が2つに分かれていて、二種類のダシを選ぶと2つ分の味が楽しめるんですよ。」
と若い男性店員はさらに説明してきた。

店の外ののぼりやメニューに載っている鍋の写真や説明文を見ていたので、私もお嬢もそれを知っていた。むしろ、それだからこそ敢えてこの店を選んだのだ。

私は少しイライラしながら、
「あのう、この人が箸を入れた鍋を私は食べたくないし、彼女もそれは同じなんです。別々に鍋を食べるから、ダシがかぶっちゃってもいいんです。」
と言うと、若い男性店員の顔は硬直した。
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育った環境も服装も言葉遣いもまったく異なるお嬢と私は、学内で仲良く話していると、まわりの学生や先生からも不思議がられた。

でも、私とお嬢には共通点があった。

複数人が各々の箸を使って、一つのお皿から食べる行為ができないのだ。
その事件は学食でみんなで楽しく食事をしていたときに起こった。同じ学部の友人が私に、
「一つ貰うね。」
と言ったと思ったら、私が返事をする前に、私が食べていたお皿のから揚げの一つに箸を突き刺していた。私はそのお皿が汚染されたような気になって、食欲が途端に失せた。

見ると、お嬢も呆然自失としていた。お嬢も彼女の被害者だった。お嬢にとっては生まれて初めての“一口ちょうだい”攻撃だった。しかも、こちらが承諾する前に箸を突き刺す、かなり悪質なバージョンだった。

「次の講義が始まるから。」
と他の学生たちが次々立ち上がる中、お嬢と私はポツンと学食に残った。お皿の中のおかずは互いに手付かずだった。少しすると、お嬢と私は目が合った。

(この人の前でしか、私は食事が摂れない)
お嬢と私は互いに同じことを思っていた。

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「この前、テレビで旅番組を見ていたら、私たちと同じ方がいたわ。」
お嬢は鍋の肉を取りながら話し出した。

「蛭子能収さんって方も、自分のお皿にのっている食べ物を女優さんに食べられて、その後、まったくそのお皿にのっている食べ物が食べられなくなって可哀相だったわ。私、あのおじ様とだったら、一緒に食事できるわ。」
お嬢は嬉しそうにしながら、お肉を口に運んだ。

*  *  *

(つづく)



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