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妊娠から出産に至るまでの記録②

前回のnoteからの続き。
今回は、出産の話。

深夜、突然の破水

妊娠39週のある日の深夜3時半、いつものようにお腹の重みで眠れなくて、トイレに行った。用を足した後、寝ぼけ眼で立ち上がり、便器を見ると血液が混じっていた。
妊娠すると月経はこない。しばらくぶりに見る血で、さっと目が覚めた。
産後にこれが破水だったと判明。心なしかお腹が痛む。

生理用ナプキンをあてた。
今から病院に電話すべきか、写真を撮っておくべきか。寝起きと非常事態でこんがらがった頭で、とりあえず携帯電話を取りに寝室へ戻る。この時点で午前3時30分。
すると、いつもはぐっすり寝ているはずの夫が珍しく目を覚ましていた。

「なんか血がドバっと出てる。から、今日出産かも。」と夫に告げた。
夫が立ち上がり、二人で無言のまま立ち尽くす。
病院に電話したら事態が進んでいくのが目に見えていて、電話する勇気がなかなか出なかった。
産前のマタニティスクールで、お産に備えてご飯をしっかり食べるように言われていたのを思い出し、残ったおかずをレンジに入れる。
レンジがぶんぶん回る間に陣痛計測アプリをダウンロードして測ってみる。その間隔、15分。

落ち着かずにさらに移動し本棚へ。今の自分の状態が知りたくて、何度も読んできた「妊娠・出産のことがわかる本」をぱらぱらとめくってみる。
おしるし(卵膜がはがれて少量の出血がある。お産が近い証拠)もしくは破水の可能性があるため、病院に電話するようにと書かれていた。やはりか。
けれども電話する勇気が出ない。電話したらいよいよお産に向き合わなければならない気がして、試験勉強から逃れるために部屋の片づけをするように、ご飯を食べたり、入院時の荷物のチェックをしてみた。
夫も落ち着かない様子で家の中をうろうろしている。

午前5時。うずくまるほどの陣痛が定期的に起こり、自力で耐えられる自信がなくなり、やっと病院に電話する。すぐに来てくださいと言われたらどうしようと今後の展開を妄想してみたが、「声を聞く限り、まだ大丈夫そう。1時間後にまた連絡してくれ。」と待機指示。
これだけ痛いのに、自分でもかなりこらえたはずなのに、まだ病院に行けないのかと気持ちが落ちる。

午前6時。再度病院に電話。
「今から風呂に入って、ご飯をしっかり食べて、8時に病院へ来るように」と指示があった。この痛さで、あと2時間も自宅待機かと落胆。
お産は痛いというが、ここからさらに痛みが増すと思うと恐怖しかない。
言われた通りに入浴すると少しだけ痛みが落ち着いた。
ただ、破水していた状態だったので、実際は風呂へ入るのはよくなかった。

午前7時。陣痛の間隔は3分ほどで、股から流れる血の量が多くなってきた。陣痛がつらい。本に書かれていた陣痛が楽になるポーズ
(椅子につかまって、足をがばっと開いて腰をおろす)をとってみたけれど、全然楽にならない。
こらえられずに、再度病院に電話に連絡。

「痛みがきつくて、病院に早く行ってもいいですか。」
「わかりました、お待ちしています」

陣痛の合間を縫って、駐車場へ移動しようとするが、足取りが重い。
荷物は夫が持って行ったので、自分の身一つですむのだが、のろのろ、よろよろと動く。
自分の内部からジリジリジリと、痛みが頭や足の先まで広がる。
身体をよじるが、どこにも逃げ場がなくて、ただ痛みが過ぎ去るのを待つ。
陣痛が止むと、次の陣痛におびえながら足を動かして、車に乗り込んだ。

陣痛初期、病院にて

朝7時30分、病院に到着。陣痛の合間を縫って、電話へ指定された場所へ行く。今までの健診では立ち入ったことのないエリアで迷子になる。
人っ子一人おらず、しんとした空間を歩き回り、ナースステーションに到着した。

陣痛室と書かれた部屋へ移動する。
分娩台に身体を横たわらせたあと、担当の助産師さんが来た。
「コロナウイルスの検査をします。もちろん立ち会う予定の夫さんにも。
もし陽性だったら、ここでは産めないので、大きな病院に行ってもらいます」

私自身は2週間前の健診で陰性だった。それからも人混みへの外出は避けていたが、夫は会社へ行っており、そこからの感染の可能性があるかもしれないとドキッとした。
インフルエンザの検査の時のよう鼻の奥にぬっと綿棒を突っ込まれるが、陣痛の痛みでどうってことない。結果を待つこと約30分。
結果は二人とも陰性だ。

前開きの長めのパジャマに着替える。次に陣痛の強さや間隔を測定する機械に繋がったベルトを装着する(分娩監視装置というらしい)。
陣痛の間隔は5分ほどで、子宮口の開き具合が3センチと告げられた。
まだまだお産序盤だねと助産師さんに言われ、産後過ごすことになる個室に移動。このとき時刻はおよそ9時。
個室でもベルトを装着。機械に表示されている数字が増えると、陣痛が始まるので、ジェットコースターの急降下の前のドキドキのように、機械を見つめていた。

助産師さんは1時間に一度様子を見に来る程度で、部屋にはほとんど夫と二人きりだった。助産師さんが来た時に陣痛のタイミングが重なれば、助産師さんにさすってもらう。
それ以外は陣痛がくる度に夫に「きた!痛い!きた!」と伝え、背中をさすってもらう。さすってほしい位置と違うところをさすられるたび、「違う!そこじゃない!」と怒鳴った。人間、切羽詰まったときには言葉を選ぶ余裕もないのだ。
この段階では静かに息を吐いていきまずにやり過ごすしかない。
「痛い~~痛い~~」とうなると、「がんばれ!すごいよ!がんばれ!」と夫が励ましてくれたが、「もうがんばっとるんじゃい、なにがすごいんじゃ」といら立ちは増すばかり。
いまだにそのときの感情を思い出すのだから、よっぽど夫に腹立たしかったんだろう。

陣痛中期、分娩室にて

午前10時30分。助産師さんが様子を見に来たタイミングで、子宮口が5cmに広がっているため、分娩室へ移動するように言われる。分娩室は最初にいた陣痛室の横にある。陣痛の合間に、歩きで来るようにと言われたときは思わず「は?」と声に出た。
個室が分娩室から最も遠い場所(通路の奥)に指定されたので、距離が長い。
同じ病院で出産した姉に後から聞いたのだが、経膣分娩で週数が予定日に近かったり、年齢が比較的若かったりすると分娩室から遠い部屋に案内されるとのこと。たしかに私は予定日の2日前だったが、建物の端から端まで徒歩はつらい。

分娩室に移動後、分娩台にあがる。休みたいと思っても陣痛は容赦なくやってくる。
深夜3時頃に起きたからか途中うとうとして、陣痛が来ると頭が覚醒する、
陣痛が来ない間に意識が飛ぶの繰り返し。

夫が分娩監視装置の陣痛感覚の数字を見て、数字が動き始めたら腰をさすってくれるようになったのが助かった。
ただここで問題が。
左をさすってほしいと言っても、私から見て左なのか、横になっている体の背骨から左側かが、私が毎回違う判断方法で言ってしまう→私が求めてた方向じゃないところをさする→違う!と叫ぶことが何度かあった。
今考えると頭、尻側、天井、床側と言い方を統一した方がよかったと思う。

また、夫が途中さするのに力尽きてくるのを背中から感じるようになる。
夫も寝不足なことはわかっているものの「私はこんなに辛いのになんで寝られるのか!」と怒りが湧く。

子宮口が8センチ開いた頃に昼食が運ばれてきたが食べる余裕は全くなし。
夫が食べることになったが、食べている途中に陣痛がきて、腰をさするのが遅れるとイライラがとまらない。善意で口の中になすの田楽を入れられたあの気持ち悪さは今も思い出せる。
結局、出産して部屋に戻る16時過ぎまでに摂ったのは、4時の朝ご飯と午前中のヴィダインゼリー、昼食のフルーツ数切れ(と、なすの田楽)。
あとはお茶と水で乗り切ったが、最後はヘロヘロだった。

助産師さんは部屋にいるが、出産の準備で棚を開けたり閉めたり、他の部屋の様子も見に行ったりとつきっきりではない。
もしかして、立ち合い出産だとさすったり、水分補給などを身内に任せられるから、病院側にもメリットがあるんじゃないか。
夫一人だと心もとなく、助産師さんがいなくなる不安がピークに達したときにナースコールで「誰かいてほしいです・・・」とお願いした。一緒にいてと人に言うのは子供の時ぶりじゃないか?
が、そんなに変わることはなかった。思い届かず。そうだよね、忙しいよね。
「もうちょっとだよ」と言われると、「あと何分?具体的に数字で言ってくれ」と思ったが口には出さない。
痛い痛いと呻いていると「そうだよねー痛いよねぇ」と優しく流される。
助産師さんには聞きなれた、言いなれたやりとりだろうけど、私にとっては初めての痛みなんだよ・・・。出産の道具の準備をする背中をむなしく見つめていた。

痛みがさらに強くなるが、まだいきんではいけない。頭の中ではぷよぷよやらテトリスをひたすら積み上げて消していく図が頭に浮かぶ。自分の意識が飛びかけてるときによく見る光景だ。どうでもいいこと考えてないとやってけなかったわ。

いよいよ、分娩へ

14時前に子宮口が全開(10cm)となり、分娩台の股のところがウィイインと開く。トランスフォーメーションみたい。
生まれて初めて酸素吸入器と点滴をつけた。唇はかさかさで、剥けた唇の皮がうっとおしい。

「さあ、いきむよ~」と陣痛に合わせておなかを見ながら力を入れるよう指示されるが、足はがくがくでうまく力が入らない。
一度の陣痛で3回いきむよう言われるが、3回目には力尽きている。
が、陣痛の間隔は短く、休む間もなく次がやってくる。
助産師さんにそばにいてほしくて「いきみまーーす!」と宣言しながらいきむ私。

14時30分、胎児の頭が見え隠れする状態(排臨)になる。
今までは部屋に私、夫、助産師さんの3人だったところから、ここで医師、研修医が部屋に入ってくる。おぉいよいよかと思っていたが、途中入室の2人は基本見てるだけ。

いきんで胎児の頭がかぱっと股にはまる。この時の痛みがダントツきつい瞬間だった。逃げ場がないかた痛みの逃しようがない。早くひっぱり出してくれと思うが、陣痛に合わせてまたいきむしかない。この時は次の陣痛がくるまでの間隔が長く感じた。

14時45分、発露(陣痛がない時にも絶えず胎児の頭見えたままの状態)。
「さぁ次は声を出しながらいきんでみようか」と言われ、腹の底から「ううううぅぅうう」とうなった。獣みたいだった。
声を出しながら3回いきんで、次の陣痛でまた3回いきむと頭が股から抜けた。「はっはっはっ」と短い呼吸をすると、体と足をするすると取り出される。いきなり重石を取られたように、体が軽くなった。

14時47分、胎児が取り出される。生まれた時の瞬間は正直覚えていない。
もう陣痛がこないことにほっとした。
お腹の上に乗せられた、初めて見る我が子は、紫色で血だらけで、頭が斜め上に長くて、エイリアンだと思った。こんなものがおなかに丸まって入っていたとは。

バースプランでの希望通り、夫がへその緒を切る。はさみを持つ手が震えていて笑ってしまった。

胎盤をぐぐぐっと取り出される。お腹を押される感覚が気持ち悪いが、陣痛の時と比べたらましだった。
その後、裂けた会陰をチクチクと医師に縫われる。
初産にしては裂けてないねと言われるが、消毒液がしみて痛い。が、これも先ほどの陣痛に比べたらどうってことない。

夫も助産師さんも退出し、子と10分ほど二人きりになった。
子の手の指がはっきりとした形をしていて、本当に人間なんだなあと思った。枕元のガーゼを食べようとしている姿が印象に残っている。

ぼーっとしていると助産師さんが部屋に入ってきた。
導尿で尿を取られる。雑談をするくらいの余裕が出てきていた。
出血量が700ccと平均より多かったらしく、気分を何度か確認された。
バースプランに書いていた「胎盤を見たい」との希望もここで叶った。
両手サイズほどで、赤く黒く、弾力がありそうな見た目。
産前に読んだ本では、これを食べる人もいるらしい。たしかに栄養価がありそうだ。

通常は産後2時間ほど、この部屋(分娩室)で休憩するが、今日は出産がたてこんでおり、私の場合は1時間半ほどで自室へ移動することになった。初めての車いす移動。自室に戻るまでの道は、陣痛で苦しんでだ行きと違って近く思えた。

分娩後、自室にて

部屋に到着後、退院までのスケジュール説明があったが、頭に入ってこない。夫と二人きりになるが、お互い疲れていて沈黙が続く。

出産途中の栄養補給にと持ってきていたおにぎりを食べる。コンビニのおにぎり、こんなにおいしかったっけ。その後の夕食もぺろりと平らげた。

もう一度、子の顔が見たくてナースステーションから連れてきてもらう。
保育器に入った子はぐっすりと寝ている。しっかりとタオルにくるまれ、帽子をかぶっている。さっきのふんぎゃあふんぎゃあと泣いていた頃とうってかわって置物のようだ。ようこそ世界へ。たくさんの祝福がきみに訪れますように。

夫の面会の終了時刻が近づき、子をナースステーションへ届けた後見送った。
ふと、この半年間ほど、おなかが閊えて見られなかった足元が見えることに気が付く。

自室に戻り、布団に入るが、日中の興奮のせいか眠気がやってこない。
15分おきにトイレに行くほどの頻尿も、ドンドン、もにょもにょとおなかを駆け巡っていた胎動も、もう感じない。今あるのは、股のじんじんとした痛みだけだ。
あんなに一緒だったのに。本当に、おなかからもう出ていってしまったのか。産んだ子を、分かたれた半身のように思う。

次の日からは母子同室が始まるから、早く身体を休めないといけないのに、
数時間ごとに目を覚ましては出産までの思い出を振り返っていた。

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今回はここまで。次回は産後~実家滞在でマタニティブルーになったことを書こうと思います。


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