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「勉強」ってなんだ?についてある程度真面目に考えた話。

勉強するってなんなんでしょうね。

学生のころ(特に高校まで)は朝から学校に行って授業を受け、家に帰ってから宿題をして、みたいな一連の行為をひっくるめて「勉強」と言っていたけど、大人になっても「勉強」してる人っていますよね。

つい先日、仲のよい大学生の女の子が「もっと大学で『勉強』したい」って言っていて、改めて「勉強」するってなに?と考え始めました。なぜなら、自分は大学で「勉強」したという実感がなかったからです。

そこで、いろいろと考えた結果、「勉強」とはある領域の知識や特定のスキルについて自分の言葉で語れるようになる、自ら実践できるようになるための行い全般、ということに落ち着きました。自分の中で。

そのための手段は、本を読むでもいいし、人の話を聞くでもいいし、実際にやってみる、でもよい。でも、「勉強」した先で、その知識やスキルを自分のもの(武器)にして、何らかの形でアウトプットすることができるようになることがゴールです。

よく考えてみれば、学校でもテストがあって自分の中から「勉強」して詰め込んだ知識を取り出したり、「勉強」して身につけた公式で応用問題を解いたりしてましたよね。なるほど、これが「勉強」か!

私が大学で「勉強」した実感がなかったのは、講義は聞いていたし本も読んだけど、だからなにができるようになったとかこの分野についてめっちゃ語れるという状態にならなかったからだ、と。(大学でも一応テストあったけど、毎回その場しのぎで、身につけた感がなかった)

その代わり?会計の専門学校にも通っていて、簿記検定に受かったり会計についてはそれなりにしゃべれるようになったりしたので、ここでは「勉強」していたわけですね。ふむふむ。

先日機会があってお話させてもらった方も、「コーチングを『勉強』した」とおっしゃっていて、正直その時どういうことだ?って思ったけど、その方は様々な行い(本を読んだり、お手本となるような人について回ったり)を通じて、今ではコーチングを実践できるようになっているので、確かに「勉強」したということになります。

だから、チラッと話を聞いたり本をパラッと読んだりして「『勉強』になった!」と思ったり言ったりしていたけど、私の定義に照らすと「勉強」というにはまだちょっと足りない感じですね。「新しい発見があった!」とかのほうがしっくりきます。まあ、あくまでアウトプットできるまでの過程として「勉強」になった、というのは問題ないけど。

私は歴史が好きなので歴史に関する本を読んだりYouTubeを見たり音声を聞いたりしているのですが、それも「勉強」じゃないですね。今のところなにもアウトプットしようとしていないので趣味どまりです。こっから先、なにかのきっかけでアウトプットしようと思い始めたときから「勉強」のスタートなわけです。

書いてみたらスッキリした~。

おわり。

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