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やさしさ今昔ものがたり

やさしさかぁ、、と考えていたら
昔の日記を思い出したので貼りつけてみる。

哀れみも 打算も
見栄も 照れも 喜びも
遠慮も 責任感も
「ごめんね」もない
慈しみ100%のやさしさは
触れるとあったかすぎて
とけてなくなりたくなっちゃう

だから苦手だと思っていたけど

なみだにして流す以外に
受け取りかたを知らなかっただけで

本当はずっとずっと
すごくほしかったものなんだって気がついた。

一日の終わりに夕焼けがあるのは、
そのオレンジが「受け止めてくれるやさしさ」に
似てる色だから、じゃないかな。


看護師さんに薬を塗ってもらうあいだ
ほんの数分のふれあいのことで、
とくに言葉を交わしたわけじゃなかったけど
7年前の私はこう感じたらしい。
(もっと...20年くらい前のことのようだなぁ)

いまは、こんな純度高いやさしさじゃなくていいから
もうちょいそばにいてほしい。


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私は手先が不器用で、ちょっとしたことがなんかできない。

なんでや~と笑われたりしながら、代わりにやってもらうことがよくある。
(ほんとありがてえこった)(仕事となるとそうはいかない)

そんな不器用さを発揮しちゃったとき、「応援」をしてくれる友人がいる。

出会った当初は、左手に持ったフォークを口元まで運べなかったとき
こないだ会いに来てくれたときは、お菓子の箱がなかなか開けられなかったとき

変わらずその人は「がんばれがんばれ~」とゆる~く笑って待っててくれて、それがめちゃくちゃうれしくて。

このやさしさを身に着けた過程をおもうと、ぎゅっとなったりして。

こんなやさしさもあるのだと教えてくれた大事な人だ。


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やさしくありたいとずっと思っている。

私が昔ほしかったやさしさは、
決めつけないこと、聞くこと、待つこと、だったから
そうあろうとしてきた。そしてやりすぎた。

今の私がやさしくあるために必要なのは、
限度を知ること
踏み込まないやさしさを学ぶこと

もらったやさしさに気づくこと、だと思っている。

できるやさしさも ほしいやさしさも
変わっていくし、いろいろある。

お互いにあったかい気持ちになれるようなやさしさをやっていきたいなぁ。

れんしゅうれんしゅう。

ちまちま行こうぜ。


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