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”薄旨”の概念とワイン

”薄旨”という感覚が味わいの中で一番好きで、それを追求しているところがある。でも、これは一つの味わいのバロメーターであるわけでもなく、複合的な構成から”薄くて、旨味がある。”という感動に行き着くもの。例えば見た目ではとても透明感があるものが、舌に含んだ途端に強烈な味を示して来たらそれは”薄旨”かと問われると、勿論否なわけで一概に何か一つの個性だけで”薄旨”とは判断されない。ウオッカやジンは決して薄旨では無いし、見た目が麻辣湯のように真っ赤なボルシチでも味は薄いもの。決して一つの要素で”薄旨”は体現され得ない。

その複合的な要素を体現できる一番の表現として、私の中で圧倒的な信頼を獲得しているのが「だし」という表現。これはとても便利な言葉で限りなく”薄旨”の表現とイコール関係のイメージを孕んでいるのでとても好き。”薄旨”を説明する際、「だし」の言葉を使うだけで大抵の人から共感を得られるマジックワード。鰹や昆布、煮干しなどの要素によってもジャンル分けができ、その選択肢のいずれかにおいて私が伝えたい名状しがたいニュアンスは網羅される。

概して、”薄旨”好きの重要な要素は「香り」の要素に収斂される。”薄旨”好きの大抵の人間が「香りフェチ」とイコールでもある。この属性の人々は特に”自然由来の香り”に弱い。その要素は「木」「水」「石」「花」「スパイス」「フェロモン」くくれるというのが持論。「だし」における要素は乾物由来の「木」の要素だけで十分。そして香りにおいて強者であるのは「木」「花」の2種ではないかと思っている。

”薄旨”とは「香りフェチ」を魅了する極限の状態である。その存在は控えめでありながら、とても複雑な要素の一つ一つを確かめる/噛みしめていくような五感の快楽に溢れていく。そしてその香りの旅に終着点は無い。

”薄旨”好きの行き着く先はどこにあるのか。それは本当に人さまざまである。

・食事に向かえば割烹、フレンチ、エスニック、スープ媒体

・香りそのものに向かえばフレグランス

・日常にフォーカスすればコスメ、アロマオイル

・フィジカルならば登山、マリンスポーツ

多岐に渡る中に”薄旨”好きは潜んでいて、細部を追求するのは顕微鏡の倍率を上げ続けるように宇宙を垣間見ることになる。

そして私の”薄旨”の帰着点は「ワイン」にある。

”薄旨”界の中でもトップクラス(そんなものは無い)の素材としてワインを見出して以来、アロマとして至上の快楽はワインでしか受け止められない感覚がずっと支配していて、それは最高な事でもあり、最悪な事でもあるような不思議な嗜好ジャンルです。

ワインの業界の中にあって、”薄旨”の極限を表現する品種は「シャルドネ」と「ピノ・ノワール」というのが常識です。ですが個人的な最上の”薄旨”を表現してくれるのは「アリゴテ」という白ブドウだと私は信じているふしがあります。日本人舌にはそれが最適解だと、絶対的な信頼を置いて話していきたい。ですが、この「アリゴテ」という品種、大抵のワインが”外れ”でもあるリスクのある品種で、基本的には取るに足らない品種として倦厭される傾向にもあります。ですが最高峰の「アリゴテ」だけがそのアドヴァンテージをひっくり返してくるのです。そこが私がとても好きな所以でもあります。

そして、今回飲んだ「ポール・ジャクソン」の「ブルゴーニュ・アリゴテ」は私のアリゴテライフを更新する至高の1本でした。その圧倒的熱意により、この文章は気まぐれに書かれていて、無秩序な文章が書き殴られているところにスリップ・ストリーム的な感覚だね、と暖かく見守って頂きたく、そろそろ時間がやってくるそうです。

にしてもおいしい。そんなに高いわけではないんですけどね。

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