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地獄の復職

私が休んでいる間に課長が異動になり、新しい課長が着任していました。
「新しい課長は温厚な人だから大丈夫」と伝えられていたのですが、顔合わせをした瞬間「この面構えや醸し出す雰囲気は到底温厚な人のものではない」と直感しました。
結果的に私の直感は正しいものでした。

係長は私との接し方について上から何か言われたようで、私とは最低限度の会話しかしなくなりました。

新しい課長と顔合わせを兼ねて面談した時に、課長が私の苦手分野を聞いてきました。
配慮してもらえると思って正直に申告すると、私が言った苦手分野を全て私の業務として振り分けられました。

腑に落ちないながらもマニュアルを読み込んだり係の先輩に聞いたりして努力しましたが、メンタルが本調子ではないこともあって最初の頃はミスすることもよくありました。

私がミスをする度に課長に個室に連れていかれて1時間近くネチネチ説教されました。
課長は説教をするだけで改善点等のアドバイスは一切してくれませんでした。
2~3日に一度だった説教も毎日になり、やがては仕事とは直接関係のない人格攻撃がメインになりました。

課長は周囲を上手く取り込んだので私の味方になってくれる人は皆無で、部長まで私の人格攻撃に加わりました。

一度だけ課長に反論したことがあるのですが「ボーナスの査定はどうなってもいいのかな?」と言われ、その後は萎縮して何も言えなくなりました。

完全にパワハラのターゲットになっていたものの、自分に与えられた業務を必死で取り組んでいました。
それでも全く評価されることはなく、毎日のように人格攻撃を受けて傷付くことの連続でした。

メンタルがボロボロになった影響で食欲がなくなり食事は一日一食、帰宅すると食事もとらずにビールばかりを飲む生活になりました。
そんな生活をしていると1か月で体重が5kg以上減り自分でも驚くほど激ヤセしてしまいました。

主治医は激ヤセした私を見て凄く心配してくれたのですが、課長は「どうしてそんなに痩せてしまったんだ!体調管理もろくに出来ないなら仕事に来なくてもいい!」と烈火のごとく怒り狂いました。

私のメンタルが決定的に壊れたのは冬のボーナス支給日でした。

部長と課長に呼び出されて、課長の口から「今回は勤務成績不良でボーナスを減額したから」と言われ「通知書」と書かれた紙切れを1枚渡されました。
通知書には根拠条文らしきものが記載され、それに私が該当したと記載されているだけで一読しただけでは何の通知なのか全く分かりませんでした。

課長から「理由を知りたいか?」と言われたので「はい」と答えると「どうして知りたいんだ?心当たりはないのか?」と言って中々理由を開示してくれませんでした。

「どうしても知りたいです」と食い下がると「じゃあ今から考えるから別室で待機していなさい」と言われたのですが、この発言は全く予想外で信じられないものでした。
ボーナスを減額するという明らかに不利益な処分をするに当たっては当然明確な理由があると思っていたので、理由を考えていない、これから考えるというのは余りにも非常識だと激しい怒りを覚えました。

30分程して「理由がまとまったから部長室に来るように」と指示されました。
部長が「あなたの勤務態度について次のような事実が認められた」と言って淡々と理由を読み上げ、課長が黙々とメモをとっていました。

確かに私に至らない部分が多かったのは認めますが、事実と異なる部分や他の人なら軽く注意して終わるようなことまで取り上げて、それが理由の半分以上を占めていました。
実際に私が反論して部長が言葉に詰まる場面が何度もありました。
結局私が上司受けしない人間だから感情的に勤務成績を不良にしてボーナスを減額しただけだとしか受け止めることが出来ませんでした。

ボーナスが減額されたこと以上に勤務成績不良のレッテルを貼らてたことが悔しくて悲しくて、帰りの電車では人目もはばからずにずっと泣いていました。

もう今の部署では何をやってもダメだと悟り、主治医に異動が好ましい旨の診断書を書いてもらい、産業医面談でも今の部署にいるより早く異動した方がいいという話になりました。

当の部課長は「4月には異動してもらうよ。この部にあなたの居場所はもうないからね」と冷たくあしらわれました。
一瞬ムッとなりましたが、こっちこそ御免被ると思い部課長との人間関係に終止符を打つことにしました。

どうせ私は何をやっても評価されない人間だと投げやりになり、全てがやっつけ仕事になってしまいました。
このような流れもあって1~3月の3か月間の記憶は殆どありません。

そうこうしているうちに人事異動がオープンになる時期になりました。

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