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「永遠の命」と「限りある命」

国立科学博物館で開催していた、「特別展 ミイラ」へ行ってきました。

私の好きなモデルさんが、足を運んでいる写真を見て知りました。

普段から美術館で絵や現代アートは見に行くけれど、こういうものは初めてで、ドキドキしながら、滑り込みで見に行ってきました。


以下、感想。

世界各国のミイラが集結

今回の展覧会では、43体のミイラが世界から集められました。

ミイラを聞くと、どのような姿を想像されますか?私はエジプトのミイラのような、人が包帯でぐるぐる巻きにされた姿が浮かびます。

もちろん、このようなミイラも展示されていましたが、まるで「干からびた人間」(この表現があっているのか分からないけれど)のような『ウェーリンゲメン』や、自らミイラになった日本人・『本草学者のミイラ』など、既成概念を覆すミイラもずらり。

その中でも、記憶に残っているのは、『ミイラ包み』です。

画像1

6体のミイラ包み

足を折り曲げてた、いわゆる体育座り状態でミイラ化しています。

展示されている全てのミイラが生きているようで、怖かったのですが、ミイラ包みは顔が見えない分、想像を掻き立てられて怖さが2倍増しでした。

この6体、順路の最後に展示されていたのが、画像で一番右側にある女性のミイラ。盗賊によって破られ、顔が剥き出しになっています。

実際、間近で見てみると、長い指にはまだ爪が残っていたり、髪の毛もあり、まるでまだそこに魂があるように思いました。


「永遠の命」と「限りある命」

ミイラ展を行って考えたのは、死とは何か?ということ。

私にとって、死とは身体と魂が分かれることだと思っています。

そう思い始めたのは、母方の祖父が亡くなった時。私がまだ保育園に入っていた時で、何が何だか分からず、火葬されて骨になった祖父を見て、びっくりして泣いていました。

その時、両親から、「星になって、空の上から見守ってくれているんだよ」と言われ、非科学的な考えではありますが、亡くなった祖父の存在を近くに感じることができました。

この世で精一杯生きた身体はその役目を終えて、「お疲れ様」と慰労の意味を込めて火葬し、その骨をお墓に埋めるけれど、その魂は私の生きている世界に残っている。そう思うと寂しさも和らぎました。

一方、ミイラ。

文化の異なる世界各国から集まってきたミイラの共通している概念は、永遠に身体を残そうとしたということ。何千年の時を超えて、今も残っているということも衝撃的ですし、実際に見てみると、本当に生きてるように見えます。

もちろん、ミイラは亡くなっています。心臓は動いていません。ですが、その肉体には、依然として魂が篭っている。身体と魂が分かれていない、ミイラたち。

それは、まさしく「永遠の命」といえるでしょう。


過去から届いたメッセージをどう読み取るかは、人それぞれ。

ミイラを作った背景は、国や文化によって変わってきますが、例えば『ミイラ包み』の場合は、先祖崇拝のための一つのあり方と捉えることができます。(古代アンデス文明には、文字が残っていないので、断定はできません)

そう考えると、方法は違えど、どの時代にも先祖を大切にするという考え方があったのだな、と感慨深くなりました。そして同時に、彼らから頂いた命を大切にしようとも、強く思いました。


ミイラ展は巡回展なので、続いて熊本、福岡、富山と続いていきます。

ミイラそのものの展示だけでなく、映像やパネルで一体一体の解説があり、どうやってミイラが作られるのか、といった知識まで深く学ぶことができる展示会です。


機会があれば、是非。

今日はここまで。
















東京では終わってしまいましたが、全国にまわる展示会なので、是非会場が近くの方は足を運んでみてください。

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