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エゴン・シーレ展 感想

こんにちは、Shihoです。

今回は、東京都立美術館で4/9まで行われています、エゴン・シーレ展に行ってきました。

わたしにとっては2019年、大阪で行われていたクリムト展で出会った以来の再開で、めちゃめちゃ好きな画家のため、とても楽しみにしていきました。

エゴンシーレの絵がなぜ好きなのかについては、以下の音声であったり、記事を参考にしていただければと思います。(音声冒頭で、「音声はこれから曜日ごとにジャンルを決めて投稿します〜」みたいなことを言っていますが、全然やれてないですね。再開したいな。)

平日の3時ぐらいに行ったのですが、結構人も入っていましたね。仕事終わりに向かったため、カバンとかをロッカーに入れたかったのですが、1階にあるロッカーは全滅状態。

2階にもありますか?と美術館のスタッフに聞いてみましたが、設置場所は1階だけとのこと。ただ、回転もその分早いので、ちょっと待ってもらえると空くかと思います。

オンラインで買ってあったチケットを手に、いざ入場。一人で行ったので、せっかくだし音声ガイドを聞きながらみようとしたところ、アプリでも聞くことができるとのことでしたので、その場でアプリをダウンロードしました。アプリは無料ですが、コンテンツは有料です。

今やこんな時代になったんだなあと思いつつ、自分のワイヤレスイヤホンを耳につけ、いざ。(話ずれますが、わたしのイヤホンはノイズキャンセリング付きだったので、人が多かったのですが、作品に集中しながら聞くことができました。)

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今回の展覧会の構成は、エゴンシーレ初期〜晩年まで、同時代の画家の作品とともに飾られています。一緒に飾られているからこそ、エゴンシーレにどのように影響を与えたのかが想像することができます。画風であったり、またはその時代背景であったり。

エゴンシーレ、最初っから絵がうまい。10代にしてこのクオリティをすでに出していたの!?とびっくり。尊敬するクリムトの影響を感じる絵もその後登場し、なるほど、17歳にして「銀のクリムト」と呼ばれるのは伊達じゃないなと思いました。

エゴンシーレの作品で思い浮かぶ、あの自画像は、20歳ごろから始まります。わたしはその時期の作品が特に好きなのですが、ここに至るまでの過程を流れで見ると、ちゃんと自分自身に興味が至るまでのステップがあったんだなと見ながら感動していました。

自画像やポーズをとる人物を見ていて気がついたのですが、エゴンシーレの作品は肌や髪に様々な色を使っていることがわかります。例えば、今回のメインポスターにもなっている、自画像も、一見黒髪に見えるものも、よくみると黄色、赤、青が混ざっています。

この表現がわたしは好きで、趣味で描いているイラストでは、同様の試みをしています。わたしの場合は単純に、色を塗るために使っているコピックペンが限りあるため、色々使った方が楽しいじゃんという考えの元やっていますが。

果たして、シーレはどんな思いでこの手法をやったんでしょう。気になるなあ。

エゴンシーレの作品を、わたし風に描いて塗るとこんな感じかな。


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エゴンシーレの作品をみると、いわゆる「自分らしさ」というものが滲み出てるなと毎度思います。

それは彼の持つキャラクターや経験だけでなく、彼の生きた「時代の空気」も内包しているような気がします。

1890年に生まれ、1918年にスペインかぜで亡くなるこの間。ウィーンの街は戦争の空気に重く満ちていました。

それらが、まあ、出ちゃってる。

絵というものは意図しているのか、はたまた偶然なのか、言外にあるそれらを感じられる瞬間があります。いわゆる名画と言われるものだけではありません。商業の漫画でも、6歳の女の子が描いた絵でも、それらが見える瞬間があります。

わたしは幼少期から絵を描くことが好きだったけれど、もしかすると、そこに何かを託していたのかなとも思ったり。表現する言葉を多く持っていなかったので、少しでも何か手段が、自分を拡張させるような方法が欲しかった?

さて、あの時から20年経った頃に描いたわたしの自画像では、コロナによって時代の空気は重くなる一方の時に、ダブルピースして笑ってる自分を描いています。

先の見えない時代だけれど、せめて明るく生きていきたいという思いが強かったんでしょうね。それは、今も変わらず思っています。

とまあ、色々と考えさせられる展示でした。

4月までやっていますので、是非是非〜!

今日はここまで。

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