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M-1グランプリ2022

ちびで嫌なやつ。これだけ聞くと、自分のことのように思えるが、無論井口さんのことである。

ウエストランド優勝の実感がないのは、井口さんがプチブレイクしていたからか、はたまた河本さんが朝の各番組でネタを飛ばして(逆に全番組別のアレンジを加えたように見える)いるからか。

早速何年ぶりかのM-1論評をしている私に「そこのお前だよ!お前!」とさされているようだが、同じちっちゃいものクラブのメンバーとして、井口さんには負けてられない。さて、分析しよう。なぜウエストランドが優勝したのか。

早速答えを言う。それは、慣れと油断だ。カッコつけるために断定系にしてみたが、この「だ。」には、「っていう解釈もあったりなかったり〜」という想いを込めていることを言い訳とさせていただきたい。慣れと油断。いい意味でも悪い意味でも。

まずは悪い意味。大変恐縮だが、オズワルドを例に挙げる。オズワルドに対する“慣れ”は、技巧派のしゃべくり漫才であるということ。それがすでに周知の事実だということ。このハードルを超えるのは、相当困難だ。仮に100のエネルギーで技巧派漫才を完成させたとしても、10のエネルギーの発想型新進気鋭漫才に負ける可能性が多いにあるからだ。そして、年々笑いのハードルは上がっていく。和牛のパターン(展開)に近い。そして、“油断”が存在しない。なぜなら、“慣れ”の範疇の漫才をして、世間の“油断”を揺るがしにくいスタイルだからだ。

次に、いい意味。ウエストランドに対する“慣れ”は、井口さんが悪口を言うこと。キレるキャラクター。“油断”は、「バラエティにもう出てるし、どうせ優勝しないだろ」という侮り(このバラエティ露出による“軽視”は、昨年の錦鯉に近い部分がある)。クイズ形式にすることで緩衝材を作り、悪口を受け止めやすくするという“慣れ”の破壊。「きっとさや香かロングコートダディが優勝するだろ」という“油断”からの爆発(手前がキュウのローテンション漫才だったのも大きい)。

そして、何より、悪口の密度・共感性のクオリティが高すぎる。みんな無意識のうちに思ってるけど、そういえば口に出して来なかったこと。昔からやっていることだが、それをパターン化した上での悪口の更新がすごい。
ユーチューバー、インスタ、サウナー。最近の流行を捉えた上での的確さ(爆笑問題味を感じる)。お笑いをドラマとして捉える気持ち悪さ。佐久間さ〜んが好きな奴の横行。大量発生。Twitter上に蔓延るお笑い博士を通して知った情報だけで、我が物顔でお笑いを語る奴ら。急にネトフリの賞レースを一気に見て、お笑いフリークになった気分の奴ら。インスタとTikTokの切り取りを見て、番組を見た気でいる奴ら。おい、ラヴィットを録画して毎日見ているか?面白かった平場を何度も確認したか?足を使って劇場行ってるか?片手間で笑いをかじってる奴らに、笑いを語る資格はない。
急に井口さんが乗り移ってしまった。。私の意見ではなく、私の中の井口さんが言っているのです。

ここで、ウエストランドの一節を。

「あのな、今の時代、誰も傷つけないお笑いやんないと。」
「もうそんなの無理なんだよ、こっちは無作為に傷つけるお笑いをやってんだよ!そもそも芸人に品行方正求めてくんな!鬱陶しいな!いいか?お笑いは今まで何もいいことがなかったやつの復讐劇なんだから!芸人の1番の目的は復讐なんだよ!」
(M-12020 出順10番 ウエストランド)

そもそも誰も傷つけない笑いというのは、ぺこぱの最終手段でしかなく、メディア(虚像)から産み出された虚像でしかない。審査員は「誰も傷つけない笑いから傷つける笑いへの転換=潮目」と言っているが、私は違うと思う。バラエティでは変わらずケンカ芸や腐したりしてたし、そもそも誰も傷つけない笑いなんて存在しなかった。ただ、ウエストランドが面白かった。そして追い打ちをかけるように出順が味方をした。誰も傷つけない笑いなんて最初からなくて、ただ人間の本性が、ウエストランド優勝という形で表面化しただけだ。これだから、人間ってっ。

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