3月15日

今は3月15日の午後3時


3月の上旬になると日本人はレミオロメンのことを頭に思い浮かべてしまう。特に当日である3月9日付近ではみんなの頭に浮かんでいるレミオロメンの総量は地球上でピークを迎える。本当はタイトルを『3/15』にしていたけど、脳裏にちらついたレミオロメンのせいで俺は『3月15日』に変えざるを得なかった。とにかく3月上旬のレミオロメンの影響力はすごい。じゃあいったいいつ頃からレミオロメンのパワーが衰えるのか、いつから僕たちはレミオロメンに支配されなくなるかと考えたとき、パワーが衰え始めるのは『3月17日』、完全に支配から解放されるのは『4月1日』だと思うんだ。もちろんパワーが衰え始める時期には賛同しなくてもいい。俺みたいな繊細な人にしかレミオロメンの影が薄れる瞬間はわからないから。まあ相手の表情を読み取って何を考えているのか当てることが、全くできない俺のような繊細な人にしかわからないからさ。いいんだよ、それは。でも、支配が解かれる瞬間はある確かな根拠に基づいて言ってるんだ。エイプリルフール。エイプリルフールが始まったらレミオロメンなんかみんな忘れるよ。レミオロメンでもエイプリルフールには勝てない。それは、断じて、至極真っ当に。でも揚げ足取ろうとするやつは「3月31日の時点で『明日エイプリルフールだ』って思ってレミオロメンのこと忘れるだろ?」とかなんとか言ってくるんだろ?どうせ。バカかお前は。「完全に」と言っているだよ。エイプリルフール当日にならないとレミオロメンの思念はきれいさっぱりなくならない。レミオロメンって中々しぶといぞ。まあとにかく俺が言いたいのはこんなことじゃない。友達の母親に手紙を書かなければならなかったんだ。というのもその母親が俺にお菓子を送ってくれたわけだけどその感謝の気持ちを母親に伝えといてと頼んだところ、ものの見事に俺の願望は彼という壁に遮断されてしまっからね。なんで伝えないんだよ。不義理な人間だと思われるだろ。そんなことは嫌だ。俺だって誠実でありたいんだ。こういうときに限って人間は頭をフル回転させる。俺は送られてきた箱に彼の母親の住所が書いてあることを思い出したんだ。トンネルは開通された。あとは手紙を用意するだけだ。言葉なんていくらでも浮かぶ。相手を思っていれば言葉なんていくらでも浮かぶんだ。近くの100均に行った。自転車で2分くらいの高架下にある陰気臭いダイソー。看板の色は薄くなっていて何度も洗濯して色落ちした洋服みたいだったよ。そこで奇妙に思うことがあった。すべての店員が170cm以上の高身長なんだ。それも女性の店員。いったいここの店長はどういう採用基準を取っているんだ?俺はこう思った。身長の高い店員がいる方が防犯効果が高まるんじゃないかってね。そういう研究結果がすでに論文として発表されているんじゃないかって。どうせお前らのことだ。てっきり店長の好みが高身長の女だとかしょうもないこと考えてたんだろ。いや、別に構わないよ。だってそっちの方がスケベな考え方で欲が見えていて面白いからさ。俺はファニーじゃなくてインタレスティングなことしか考えられないんだ。結局調べても俺の予想を裏付けるような研究結果は出てこなかった。まあ仮に高身長が防犯に繋がるとしよう。ただ、ポケットの位置っていうのは基本的に低いところにあるから店員はむしろ小さい方がいいんじゃないかと反論が浮かんできた。それに客に対して高身長による心理的圧力をかけるなら190cm以上の男の店員の方が正しい人材と言えるしな。結局さ、店長の好みで選りすぐりしていたわけだよ。まったく、欲まみれの100均だよ。ただでさえ、安く済ませようという魂胆のやつばかり集まる巣窟だっていうのに。そんで俺は家に帰り手紙を書いた。相手のことを考えながら書く手紙っていうのは素晴らしいもんだよ。そのとき俺ははっきりと人に誠実に向き合っている感じがしたね。


今は3月17日の午前8時。3月15日の午後14時のことを思い出しながら続きを書いた。


そんで郵便局に行って手紙を出してきた。切手と証紙どちらがいいかって聞かれて証紙ってなんだって思った。どうやら就活やらで大事な書類を送るときに使うどちらかといえば硬いやつらしい。おいおいビジネスじゃないんだからさ手紙を送るときに証紙を選択肢にいれてくんなよ。犬のキャラクターが書かれたかわいい手紙なんだから社会的なものとは切り離しておくれよ。そんで色々あった末に下北沢の居酒屋に行くことになったんだ。そこには友達と友達の彼女が待っていて、俺は初めてその彼女に会ったんだけど、なんていうか気さくな人でとても話しやすかったんだ。その上、視点も面白くて会話していて楽しいなあと思ったんだ。やっぱり気が合う人の彼女っていうのは同じように気が合うもんなんだな。そんで2人の家に遊びに行って夜深くまでお話しして、それはとても有意義な時間だったし、なによりその日はほんのすこしだけ残念なことがあったから、そのむなしさっていうのを人と一緒にいるだけで忘れることができたんだ。俺はひどく泥酔していたわけだ。彼女がオススメしてくれた芋焼酎、なんて名前だったか忘れたけどとても飲みやすくて美味しかったな。夜中3時くらいに下北沢の彼らの家を抜け出して俺は自転車を押しながら自分の家へと歩いて帰っていった。はずだったのだが、次に目を覚ましたときにはなんと目の前には見知らぬ大盛りの牛丼があるじゃないか。俺はどうやらすき家に入って寝ていたらしい。こんもりと紅しょうが牛丼に覆い被さっていた。貧乏性の俺が無意識に積み上げた赤。冷めた食べかけの牛丼をゆっくり噛んで食べる。お会計700円くらいだったな。けっこう痛い出費だよ。そして自転車に乗り家に帰った。長い1日だった。もう3月16日になっている。ってあれ?3月15日午後3時以降の俺ってレミオロメンのこと1度も頭に浮かべてなかったかもな。レミオロメンは過去の奥の方に押し込まれて意識の外側に追いやられていったんだ。それって「今」の濃さがあってのことだよな。過去って今で塗り潰せるんだ。


小さい頃からお金をもらうことが好きでした